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2026.8.25

パナソニック汐留美術館「長谷川潔展」レポート!メゾチントの巨匠が描いた静謐な美の世界

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20世紀前半、西洋美術の本場で自らの腕を磨き、独自の表現を切り開くため、少なからぬ数の日本人画家がフランスへと渡った。

その代表格は、なんと言っても藤田嗣治と佐伯祐三だろう。そしてそんな彼らに並ぶ存在として、版画家・長谷川潔の名前を挙げたい。

長谷川潔 《時 静物画》 1969年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

長谷川は1919年4月にフランスに渡って以来、生涯を同地で過ごした。その中で当時のフランスで失われつつあった技法、メゾチントを復興させ、後年、《時 静物画》に見られるような静謐で深遠な独自の表現世界を築き上げた。版画史に彼が残した足跡は大きい。

そんな彼の画業に焦点を当てた展覧会『長谷川潔展』が、パナソニック汐留美術館で始まった。会場の様子と見どころを紹介しよう。

①長谷川潔とフランス

長谷川潔は1891年、横浜に生まれた。幼い頃から外国船の行きかう港を眺めながら海の向こうへの憧れを募らせていたという。

20歳の頃から洋画を学んだ彼は、1913年に参加した文学同人誌『仮面』の挿絵制作を通して、版画へと興味を抱いていく。

もっとこの技を磨きたい。

そのためにも、銅版画の本場であるフランスに行って学びたい。

そんな思いを胸に、1918年12月、長谷川は横浜港からフランスのル・アーヴルに向けて旅立つ。その後、日本の土を踏むことは二度となかった。

パリを自身の本拠地とした長谷川は、ドライポイントやエングレーヴィング、木版画など、あらゆる版画技法にチャレンジしていく。

(展示風景より)(筆者撮影)

美術学校などには通わず、手に入れた技法書や古い作品をたよりに独学で技術を身に着けていく。

そんな日々の中で長谷川はメゾチント(マニエール・ノワール)と出会う。

メゾチントは、17世紀に生まれた銅版画の古典技法である。まず、先端に多くの細かい刃がついたベルソーと呼ばれる道具を使って版面全体にささくれを作り(目立て)、真っ黒な下地を作る。さらにそのささくれを削ったりならしたりすることでやわらかなグラデーションや明暗を表現する。

(展示風景より)(筆者撮影)

会場内にはベルソー(写真右上)などの道具類が展示されている他、会場入口前の映像展示でそれらを使って実際に制作する様子を見ることができるので、おさえておきたい。

メゾチントは、長い間、絵画の複製などに使われていたが、写真技術の登場と共に廃れ、長谷川がフランスに来た当時には既に失われつつあった。

しかし、ビロードのような柔らかさと唐墨のような深みを併せ持つメゾチントの黒に魅せられた長谷川は、なんとしてもこの技法を自分のものにしたいと願った。本を読み込み、道具をイギリスから取り寄せるなど試行錯誤を重ねた。そして1925年に初めて開いた個展で、オリジナルの表現を活かしたメゾチントの風景画を発表した。

長谷川潔 《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》 1930年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

従来のメゾチントでは目立てを作る際、均一になるよう版面に小さな傷をつけていく。ところが、長谷川は線状の傷を縦横斜めと交差させただけではない。その痕跡をあえて目立たせることで、新たな表現を切り開いたのだ。

この《アレクサンドル三世橋とフランスの飛行船》でも、その技法は使われており、まるで磨りガラスごしに風景を見ているような不思議な印象を受ける。

当時のフランスの版画界でも、この表現はこれまでにない独創的なものとして注目を集めた。

長谷川は、この異国の地に確かな自分の足跡を刻んだのである。

②〈竹取物語〉挿絵の世界ー日本とフランスの架け橋

1910年代後半からフランスでは多くの画家が版画に取り組んでいた。

長谷川潔が1921年に画材店で知り合ったラウル・デュフィもその一人だった。デュフィは、1923年に自ら設立に関わった「独立画家=版画家協会」に長谷川を誘ってくれた。

長谷川は、作品発表の場だけでなく、デュフィやラブルールなど版画に携わる画家たちとの知己を得て、大いに刺激を受けた。

1920年代には、画家による豪華な挿絵入り本の出版が盛んになった。その背景のもと、長谷川潔もフランス語訳『竹取物語』の挿絵制作に携わる。

日本最古の物語文学である『竹取物語』を、日本人である長谷川は当然よく知っていた。しかし、この異国の地で、彼はこれまで培ってきた西洋の銅版画の技を用い、新たな解釈でもって『竹取物語』の世界を描こうとした。

例えばこちらの一枚は、『竹取物語』の最初の山場である「貴公子たちの求婚」の章を描いている。

長谷川潔 『竹取物語』《「貴公子たちの求婚」の章 挿絵》 1927-34年(1934年刊)、エングレーヴィング、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵

御簾を上げた室内に、十二単に身を包んだかぐや姫が座っている。花を見に来たのだろうか。

御簾や御格子といった室内の誂えや、シンプルでパターン化された衣服の文様が日本らしさを演出しているが、ここで注目したいのは姫の顔立ちだ。《源氏物語絵巻》に見られるような日本絵画伝統の「引目鉤鼻」ではない。目には長い睫毛が植わり、どこか物憂げで艶やかな雰囲気を感じさせる。

ラブルールの《カクテル》(第二章に展示)など、長谷川がフランスで出会った画家たちの女性表現にも通じると言えるだろう。

この『竹取物語』が展示されている第三章では、展示空間にも工夫が凝らされている。

(展示風景より)(筆者撮影)

(展覧会会場写真)(筆者撮影)

ショーケースを囲む壁にはテキスタイルデザイナー・須藤玲子氏によってデザインされた越前和紙を使った布地「和紙垣」が用いられている。

写真のように壁の向こうから光を当てることで展示室内は柔らかな光に満たされる。これは、「輝くように美しい月の姫」を想起させるだけではない。

日本とフランス両国の文化の架け橋とも言うべきこの出版企画に、最上級の和紙を日本から取り寄せるなど情熱をもって取り組んだ長谷川。その姿勢とも響き合うものがあるように思える。

③闇の中に浮かび上がるオブジェ

1929年に始まる世界的な経済不況、そして1939年の第二次世界大戦勃発と、暗雲が立ち込める中で多くの日本人芸術家がパリから去った。が、長谷川はフランスに留まり続けた。

支援者にも恵まれたものの、物心ともに苦労を重ねる日々が続いた。それでも創作意欲が途絶えることはなく、《窓からの眺め》など自然の姿を克明に描いた作品を手掛けている。

長谷川潔 《窓からの眺め〔シャトー・ド・ヴェヌヴェルの窓〕》 1941年、エングレーヴィング(雁皮紙刷り)、町田市立国際版画美術館蔵

1945年には敵性外国人としてドランシー収容所に収監されるという憂き目にもあった。この出来事で長谷川の心身には大きな傷が残り、創作も一時停滞したほどだった。

しかし、長谷川は立ち直る。

1950年代からは、若き日に名を挙げるきっかけとなった技法メゾチントへと再び挑戦するのである。

かつての長谷川は、風景を題材に、メゾチントという古典的技法の新たな可能性を追求し、それを前面に押し出していた。

しかし、約30年の間にエングレーヴィングやアクアチント、ドライポイントなど様々な技法に習熟し、異邦人として過ごす中で苦労も重ねた。

そして今、長谷川のメゾチントは全ての音を吸い込むような深い漆黒の中からさまざまなオブジェが浮かび上がる、静謐で神秘的な世界を表すものとなった。

展覧会第五章「静物画ーマニエール・ノワールの宇宙」に集められているのは、長谷川の画業の集大成とも言うべきそれらの作品群である。

その一つである《時 静物画》を見てみよう。

長谷川潔 《時 静物画》 1969年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

台の上には、一羽の小鳥、そして野原から拾ってきたと思しき木の葉や小さな草花、砂時計などが並べられている。

小鳥は長谷川自身の分身であると推測されている。一方、砂時計は時間の経過や死を表すモチーフとして西洋絵画で扱われてきた伝統的なモチーフだ。野原から取ってきたと思しき草花もまた生と死の象徴として解釈できるだろう。

闇を背景に浮かび上がるこれらのモチーフ同士の間に、明確なつながりは読み取れない。だが、おそらく一つでも取り除けば、あるいは一ミリでも位置がずれれば、画面全体のバランスが破綻してしまうだろう。

実際に、小鳥の目は画面の対角線の交差点に位置し、その嘴の先端はリングの中心とほぼ重なっている。

また、こちらの《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》は、17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌの『寓話』に収められた詩篇を題材にした作品だ。

長谷川潔 《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》 1963年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

暗い虚空の中にポツリと浮かび上がった葡萄と、毛糸を用いて作った玩具の狐の取り合わせが独自の洒脱さと遊び心を感じさせる。

そして会場にはこの玩具の狐をはじめ、晩年の長谷川の作品に登場するオブジェの数々も展示されている。是非、個々の作品と見比べてみたい。

(展覧会会場写真)(筆者撮影)

長谷川は1918年に日本を発って以来、約60年をフランスで画家として生きた。銅版画を極めることを志し、その本場たるフランスで、デュフィら画家たちと交流しながらひたすらストイックに腕を磨き続けた。

異邦人として生きることは、楽な道ではない。

それでも、彼がフランスに留まり続けたのは、「版画」という一筋縄ではいかない表現と、生涯をかけて向き合い続けたい、という思いだったのではないだろうか。

彼は、メゾチントという古典的技法を復活させ、独自の表現世界を切り開いただけではない。1951年には、作品がルーヴル美術館の版画・素描部門にも収蔵されるなど、フランスの地で確かな評価を手にした。

この展覧会に展示されている作品の一枚一枚は、そんな彼が道具を手に刻み残した自身の生の証と言えるだろう。

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ヴェルデ

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アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。

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