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2026.8.13
【取材レポート・国立西洋美術館】『版画家レンブラント』展。彼はなぜ版画家としても重要なのか?
フェルメールと共に、17世紀オランダの巨匠として名前が挙げられるのがレンブラントだ。彼の名を聞いて思い浮かぶのは、《夜警》や数々の《自画像》など明暗のコントラストによって人物の内面までをも描き出した油彩画作品だろう。あるいは、成功と没落の両方を経験した彼自身のドラマチックな人生に思いを馳せる人もいるかもしれない。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《百グルデン版画》1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館
しかし、レンブラントにはもう一つ、「版画家」としての顔がある。彼は銅版画技法の一つ、エッチングの表現を大きく発展させたのだ。その作品は当時人気を博しただけではない。19世紀フランスにおいて、版画ブームが起きると、芸術家たちの間でアイコン的存在となり、多くの画家や文学者に影響を与えた。
そんなレンブラントの版画家としての挑戦と、それが後世にもたらしたインパクトに焦点をあてた「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展が国立西洋美術館で9月23日まで開催されている。
今回は、その見どころを紹介しよう。
①レンブラントとエッチング
エッチングとは銅版画技法の一種である。あらかじめ銅版の表面に防蝕剤を塗り、ニードルなどで引っ掻いて描くことで、銅板の表面を露出させる。酸性の腐蝕液につけると、露出した線の部分のみが溶けて凹むため、そこにインクを詰めて紙に刷ることで作品が完成する。
そのため、銅版を直接刻むエングレーヴィングに比べて簡便で、より自由で多様な線が表現できるというメリットがある。
16世紀のヨーロッパでは、主流であるエングレーヴィングに比べ、一段劣る技法と見なされていたエッチングだが、17世紀に入ると、その手軽さに目をつけたオランダの画家たちが大勢参入した。
1625年頃、画家として独立して間もないレンブラントがエッチングを手がけるようになったのも、その流行に乗ったためと言える。
第一章の冒頭には、エッチングの制作を始めて間もない頃の小品が集められている。
この《自画像、口を開けた顔》もその一つだ。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《自画像、口を開けた顔》1630年 エッチング レンブラント・ハウス美術館
母や妻など家族をモデルにした作品もあるが、最も身近で自由に観察できるモデルは自分自身だっただろう。鏡を見ながら表情を変えたり、帽子を被ってみたり、と様々な実験をしていたことが、展示作品からは伺える。
聖書や神話のエピソードを題材とする物語画は、登場人物たちの感情表現が肝となる。その礎となるのが様々な表情の描き分けであり、この《自画像、口を開けた顔》もその修練の一環として制作されたと考えられている。
また、レンブラントはこの《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》のように、同じ原版から印刷するにしてもステート(刷り)を重ねる中で改変を加えたりと、エッチングならではの表現を試すことにも積極的に取り組んでいた。
(展示風景より)(左)レンブラント・ファン・レイン 《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》 エッチング、ドライポイント 1651年 レンブラント・ハウス美術館 (右)レンブラント・ファン・レイン 《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》 エッチング、ドライポイント、ビュラン 1651年 レンブラント・ハウス美術館
さらにレンブラントは銅版をスケッチブック代わりにして、ニードルで直接モチーフを描くこともしていた。
そのようなスケッチ風の小品の中には、販売を想定して署名を施したものもあり、17世紀オランダの画家らしい現実的なビジネス感覚も伺える。
これらの作品からは、画家としてエッチングという技法に真摯に向き合う姿勢と、それを画業の柱へと育てていこうとする戦略の両方が感じられる。
第2章に展示されている作品《窓辺でエッチングを制作する自画像》からも、レンブラントのエッチングという技法への思い入れと自信が伺える。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《窓辺でエッチングを制作する自画像》1648年 エッチング、ドライポイント、ビュラン/中国紙 レンブラント・ハウス美術館
②百グルデン版画ーレンブラント版画の集大成
レンブラントはエッチングに打ち込む中で、エッチングならではの独自の表現も編み出していった。
その成果が顕著に見られる一枚が、風景画《アムステルダムの風景》だ。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《アムステルダムの眺望》1641年頃 エッチング レンブラント・ハウス美術館
空を広く取るのは、低地が多いオランダの風景画の特色である。
また、版画では、空に雲などを配置するのが通例だったが、レンブラントは敢えて何も描かない空白として残すことで、空間により奥行きと開放感を増している。
また、レンブラントが取り組んだのはエッチングだけではない。銅版を直接彫るエングレーヴィングやドライポイントもまた並行して研究しており、時にはエッチングの中にそれらを部分的に組み込むこともあった。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《三本の木》1643年 エッチング、ドライポイント、ビュラン 国立西洋美術館
エッチングとドライポイントを組み合わせたこの《三本の木》では、画面左に、何本もの線を斜めに走らせることで激しい雨が振り注ぐ様子を表現している。前に立つと、今にも嵐が近づいてきているような気配が感じられ、立ち止まって見入らずにはいられない。
そして、そんなレンブラントのエッチングの白眉とも言うべき作品こそ、《百グルデン版画》である。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《百グルデン版画》1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館
この作品は、病人の治癒、パリサイ人たちとの議論など『マタイによる福音書』中のキリストを主人公とした複数のエピソードが一つの画面の中に渾然一体となって描き出されている。
中央に立つキリストは自ら光源となっているかのようだ。母親に抱えられて祝福を受ける子供をはじめ、左側にいる人々は光に照らされている。彼らの輪郭は、明確ながらエッチングならではの柔らかな線によって描き出されている。
対して右側の人々は、まるで闇の中からぼんやりと浮かび上がるかのようだ。また、キリストの背後に広がる暗闇の、なんと柔らかく深いことだろう。
実はこの作品は、日本から輸入された和紙が使われている。当時、オランダは、日本との交易が許されたヨーロッパでは唯一の国だった。レンブラントはこの交易を通じて入ってきた甲冑などの文物を収集していたが、中でも特に気に入っていたのが和紙だった。彼は和紙が持つなめし革にも似た高貴な光沢や質感、淡い色調に魅せられていた。1647年頃からはほとんどの版画に和紙を用いている。
またこの作品には、エッチングだけではなく、ドライポイントやエングレーヴィングなど他の版画技法も組み合わされている。まさにレンブラントの飽くことを知らない探求の産物なのだ。
タイトルに入っている「百グルデン」は、当時この作品につけられた値段に由来するが、版画としては破格のものである。
レンブラントに対する当時の評価の高さをうかがい知ることができる。
③後世へのインパクト!
このように、展覧会の前半ではレンブラントの探求と実践の積み重ねを概観することができる。
続く第2章・第3章では、レンブラントの死後、彼の残した作品がどのように後世の画家たちに影響を与えたのかをレンブラントの作品との比較も交えながら見ることができる。特に注目したいのが、19世紀以降に焦点を当てた第3章である。
19世紀当時、エッチングは時代の流れと共に半ば忘れられた技法となりつつあった。しかし、19世紀フランスでは、芸術家の個性を表現する技法として注目を集め、息を吹き返すこととなったのである。
その手本として、芸術家たちから崇められた存在こそ、レンブラントである。先に紹介した《三本の木》は、当時フランスで特に高く評価された作品の一つだ。この展覧会においても、実際に影響を受けたドービニーやアルフォンス・ルグロらの作品と共に並べられており、そのつながりを目で確かめることができる。
また、ゲーテの作品で広く知られるファウスト博士を描いたと考えられている《書斎の学者(ファウスト)》は、《『エッチングのパリ』誌ポスター》に使用されただけではない。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《書斎の学者(ファウスト)》1652年頃 エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館
フレデリック・レガメ 《『エッチングのパリ』誌ポスター》1875年 リトグラフ/青色紙 レンブラント・ハウス美術館
ヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダムの鐘』の助祭フロロの部屋のイメージ源にもなったとされる。
そして、レンブラントに影響を受けた芸術家の中には、20世紀の2大巨匠ピカソとマティスも含まれている。
アンリ・マティス 《版画を彫るアンリ・マティス》1900-03年 ドライポイント 国立西洋美術館
マティスの《版画を彫るアンリ・マティス》は、レンブラントの《窓辺でエッチングを制作する自画像》に触発された作品だ。画家の周囲には斜線を重ねることで影が表現されているのに対し、作業する手のあたりの線は薄く、光を放っているように見える。創造という行為の神秘がここに表現されている。
版画とはしばしば挿絵や複製などに用いられ、油彩などに比べると、一段低い芸術として扱われることも少なくなかった。
しかし、版画は知れば知るほど奥深い。どのように版へ線を刻むか。そしてドライポイントで生じる「まくれ」の具合、紙質など細かな条件の組み合わせによって刷り上がりは変わる。1枚として全く同じものは生まれない。
まさに生き物だ。
理解するには、向き合い続けるしかない。だからこそレンブラントをはじめ、多くの画家たちが版画技法に魅せられ、夢中になって取り組んだのだろう。
ここに紹介したのは展覧会のほんの一部に過ぎない。ぜひ展覧会に足を運んで、版画の宇宙というものを体感してほしい。
展覧会情報
会期:2026年7月7日(火)-9月23日(水・祝)
開館時間:9:30〜17:30(金・土曜日は〜20:00)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、7月21日(火)(ただし、7月20日(月・祝)、8月10日(月)、9月21日(月・祝)は開館)
会場:企画展示室
観覧料:一般2,200円、大学生1,300円、高校生1,000円
公式サイト:版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト
※中学生以下、障害者手帳*をお持ちの方とその付添者1名は無料(入館の際に学生証等の年齢の確認できるもの、障害者手帳等をご提示ください)
*対象となる手帳:身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳
※大学生及び高校生の方は、入館の際に学生証をご提示ください。
※国立美術館キャンパスメンバーズ加盟校の学生・教職員は、本展を学生1,100円、教職員2,000円でご覧いただけます。(学生証または教職員証をご提示のうえ、会期中、ご来場当日に国立西洋美術館の券売窓口にてお求めください)
※観覧当日に限り本展の観覧券で常設展もご覧いただけます。
※会期中、一部作品の展示替えを行います。
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アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。
アート・ライター。大学ではイタリア美術を専攻し、学部3年の時に、交換留学制度を利用し、ヴェネツィア大学へ1年間留学。作品を見る楽しみだけではなく、作者の内面や作品にこめられた物語を紐解き、「生きた物語」として蘇らせる記事を目標として、『Web版美術手帖』など複数のWebメディアに、コラム記事を執筆。
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