LIFE
2026.5.8
葛飾北斎の浮世絵と《江島春望》。映画『HOKUSAI』にも天才絵師の信念は宿る
「葛飾北斎って波の絵を描いた人でしょ?」そんなイメージを持っている方が多いと思います。しかし約70年間の画家生活で、彼は3万点以上の作品を生み出しました。そこでこの記事では、映画『HOKUSAI』からスタートして、謎に包まれた生涯や、初期の傑作《江島春望》について紐解きます。
※映画のネタバレを含みます。
目次
映画『HOKUSAI』と天才絵師の信念
葛飾北斎は、世界で最も有名な日本人画家の1人でありながら、その生涯の多くが謎に包まれています。そんな中、橋本一監督による映画『HOKUSAI』(2021年公開)は、断片的な史実を編み上げ、どのように若き表現者が「天才絵師」になったのか、鮮烈に描き出しました。
葛飾北斎《自画像》(1839年ごろ)/ルーブル美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
町人文化が華やぎ、浮世絵の全盛期だった江戸時代。でも北斎は「自分にしか描けないもの」を求めて彷徨います。この葛藤は、たとえ才能があっても、自分だけの道を見つけるまでには、誰しも苦悩することを物語っているのかもしれません。
そして、有名な版元である蔦屋重三郎との出会いが、彼の運命を大きく変えます。喜多川歌麿や東洲斎写楽といったライバルたちの存在も、闘争心に火をつけました。彼らとの切磋琢磨を経て、北斎は「絵で世界を変える」という覚悟を固めていきます。
映画の後半、老年期に入った北斎は、幕府による弾圧が強まる中でも筆を置きません。その眼差しは常に「次」へと向けられています。劇中で象徴的に描かれる波や、若き日の自分と共鳴するように筆を走らせるシーンからは、肉体の衰えすら超越した生命力が溢れ出していました。
この映画は、死の間際まで「もっと上手くなりたい」と願い続けた、絵師の執念を浮かび上がらせています。画面越しに伝わるその情熱は、わたしたちにも「自分の人生をどう描き抜くか」という問いを投げかけてくることでしょう。
葛飾北斎の謎に包まれた人生とは?
90年間の人生で、葛飾北斎は数多くの傑作を遺しました。一体どんな人生を歩んだのでしょうか?
幼少期
1760年、下総国本所割下水で北斎は誕生しました。飯島虚心『葛飾北斎伝』(1893年刊行)によると、幼名を時太郎といい、後に鉄蔵に改名したそうです。また、幕府御用達の鏡師・中島伊勢の養子となりますが、家督は継がず、実家に戻ったと考えられています。
6歳ごろから作画に興味を示しはじめ、貸本屋の丁稚や木版印刷の版木彫りとして働いたこともあります。そして19歳になると、どういうツテを頼ったのか、浮世絵師・勝川春章に入門しました。
春朗時代
1779年、「春朗」の名前で画界デビュー。勝川派の中堅絵師として知られつつありましたが、生活は貧しかったようです。七味唐辛子や柱暦(一枚刷りのカレンダー)を売り歩き、かろうじて食いつなぐような時期もあったといわれています。
葛飾北斎の画壇デビュー作。歌舞伎『敵討仇名かしく』をもとにした役者錦絵となっている。葛飾北斎《四代目岩井半四郎 かしく》(1779年ごろ)/すみだ北斎美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
勝川春章が他界した後、門人の豊丸に号を譲り、「春朗」は勝川派を離脱しました。破門に近い形だったのではないかとも推測されています。
宗理時代
1795年、彼は「宗理」という画号で作品を発表しはじめました。琳派の絵画様式を目指し、俵屋と称した一門(宗理派)の頭領が使ったものです。襲名までわずか数ヶ月間。まるで別人のようにアップデートされた作品から、並々ならぬ努力の積み重ねが感じられます。
オリジナルの画技を確立させ、摺物や狂歌絵本で高い評価を得るなど、宗理は地位を確立していきました。しかし1798年、襲名からたった3年で「北斎辰政」として独立。1804年ごろまでは「宗理様式の時代」と考えられていますが、独立後は創作活動がより活発になっていきました。
その情熱は独立を知らせる摺物にも表れています。「師造花」の印を使い、森羅万象が唯一の師であることを示したのです。この「何者にも縛られない」姿勢こそ、北斎を天才絵師へと押し上げたのかもしれません。
宗理型美人図の傑作。落款の「可候」は、この時期使われはじめたとされている。葛飾北斎《風流無くてなゝくせ「遠眼鏡」》(1801〜1804年ごろ)/神戸市立博物館など, Public domain, via Wikimedia Commons.
葛飾北斎時代
「北斎」という名前は北斗七星に由来します。もともと彼は日蓮宗の熱心な護持者で、特に柳嶋妙見山法性寺を深く尊崇していたそうです。妙見は妙見菩薩を指し、北斗七星の化身とされています。その北斗七星に「北辰」「七政」という別称があることから、「北斎辰政」の画号が生まれました。
当時、北斎は挿絵制作に集中していました。寛政の改革による出版統制を受け、幕府の意向に沿った教訓的な読本が流行しはじめていたからです。手掛けた読本は10年間で190冊以上。創意工夫を凝らした北斎の挿絵に、読者は魅了されていきました。
画面の枠からはみ出すなど、挿絵の迫力を出すために工夫されている。曲亭馬琴『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』前編(1807年)/すみだ北斎美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
このころに画号を「葛飾北斎」へ改めます。また、曲亭馬琴と数々の読本で提携したり、戯作者・柳亭種彦と交流したりと、公私にわたる彼の動向が詳細に伝えられるようになりました。
戴斗時代
1810年に上梓した『己痴羣夢多字画尽』は、北斎にとって初の木版絵手本でした。「戴斗」の号が記されており、1819年まで使用されたようです。さらに300以上の小さな版下絵を、1814年に『北斎漫画』として出版。そして江戸の庶民から海外の芸術家までを驚かせる大ベストセラーとなりました。
武内宿禰や郭子儀、浦島太郎など、物語・歴史上の人物を描いているページ。葛飾北斎『北斎漫画』初編(1814年)/すみだ北斎美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
「戴斗」は川柳にも情熱を注ぎました。「卍」「万字」などの号で川柳句集に参加したり、時には選句したりと、本格的な活動に励んでいたそうです。しかし娘や妻が相次いで他界し、長女は離縁、孫は放蕩、さらに本人も中風(脳卒中の後遺症)になり、プライベートでは数々の不運を経験しました。
為一時代
1820年から1833年は「為一」の画号を使用しました。《冨嶽三十六景》などの錦絵を制作した時代で、「北斎=風景版画家」というイメージにもつながっていることでしょう。
葛飾北斎の代表作。作曲家ドビュッシーが感銘を受け、交響曲『海』を作曲したというエピソードもある。葛飾北斎《冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏》(1830〜1834年ごろ)/東京国立博物館, Public domain, via Wikimedia Commons.
ある題材を様々な角度から描く。あるものは強調して、ほかは省略する。限定された色数とスペースを最大限に活用する。そうしたテクニックは読本挿絵で培われ、数々の名作に凝縮されました。しかし晩期になると、歌川広重などの作風に人気が移ったため、錦絵や風景画から手を引いたと考えられています。
画狂老人卍時代
1834年、75歳の北斎は、富士図の集大成である『富嶽百景』を上梓しました。巻末には「画狂老人卍」と号した彼が、初めて自跋(あとがき)を掲載し、これまでの半生とこれからの決意をつづっています。
「6歳から絵を描き、50歳の頃から様々な作品を発表してきたが、70歳より前に描いた絵は取るに足らないものばかりだった。73歳で鳥や獣、虫や魚などの骨格や草木が何なのか分かってきた。だから精進し続ければ、80歳でますます技術が向上し、90歳になれば奥義を極められるだろう。100歳になればそれを超越し、110歳では一点一画がまるで生きているように描けるはずだ。長寿の神様よ、わたしの言葉が嘘でないことを見ていてほしい。」(『富嶽百景』初編の自跋より要約)
『富嶽百景』は、北斎版本の中でも『北斎漫画』に並ぶ最高傑作と評価されている。葛飾北斎『富嶽百景』初編《快晴の不二》(1834年), Public domain, via Wikimedia Commons.
1849年、北斎は90歳で亡くなります。世を去る直前、「あと5年あれば本当の絵が描けたのに」と嘆いたという逸話も残っています。彼を見送る葬列は100人近く。その中には武士の姿もあり、長屋の住民としてはとても立派なものだったそうです。
《江島春望》は葛飾北斎らしい「のびやかな浮世絵」
《江島春望》は、北斎が波を描くようになった最初期の作品です。浅草田原町の質商浅草庵市人による狂歌絵本『柳の糸』に収録されました。『柳の糸』には北尾重政なども挿図を寄せていることから、当時38歳の北斎が一流の絵師に劣らず活躍していたことが分かります。
葛飾北斎《江島春望》(1797年)/東京国立博物館, Public domain, via Wikimedia Commons.
本作の特徴は、伝統的な浮世絵の技法に、西洋画の遠近法や陰影表現を融合させている点です。司馬江漢らの影響を受けたとされる構図は、「のびやか」という言葉がふさわしい開放感に満ちています。
さらに、江ノ島を望む七里ヶ浜の景観と、人々の細やかな動きが淡い色調でまとめられています。波は裏側まで書き込まれており、《冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏》へと連なる、北斎ならではの視点が感じられます。
映画『HOKUSAI』において、《江島春望》は北斎が「自分にしか描けない絵」を掴み取る転換点として描かれました。美人画や役者絵が主流だった時代に、風景そのものを主役へと押し上げようとした北斎。対象を自然で情感豊かに写し取ろうとする瑞々しい感性が、一筆一筆に宿っていることでしょう。
葛飾北斎は世界に名を轟かせる浮世絵師へ
葛飾北斎の絵師生活はアップデートの連続でした。飽くなき表現への執着と、成長を信じて疑わない姿勢が、偉大な業績を実現したのではないでしょうか? 75歳を超えてもなお「110歳で一点一画を生きているように描く」と誓った信念は、今を生きるわたしたちの心にも、力強い情熱をともしてくれます。
今回ご紹介した作品は、彼の膨大な業績のほんの一部に過ぎません。この機会に、ぜひ多才な足跡を調べてみてくださいね。きっと新しい発見があるはずですよ。
参考
・橋本一 監督『HOKUSAI』(2021年)
・葛飾北斎 - Wikipedia
・風流無くてななくせ[遠眼鏡] - 神戸市立博物館
・すみだ北斎美術館 - 鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月
・すみだ北斎美術館 - 北斎漫画 初編
・江島春望 文化遺産オンライン
・永田 生慈 監修(2019年)『もっと知りたい葛飾北斎 改訂版』東京美術
・美術手帖編集部 著(2017年)『葛飾北斎 江戸から世界を魅了した画狂』美術出版社
画像ギャラリー
このライターの書いた記事
-

LIFE
2026.03.27
スカラベ(虫)は古代エジプトの神様だった?映画『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』を通して
神谷小夜子
-

EVENT
2026.03.17
【展覧会レポート】久留米市美術館「美の新地平―石橋財団アーティゾン美術館のいま」展に行ってきた!
神谷小夜子
-

LIFE
2026.03.04
エジプト文字はアルファベットの原型!?映画『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』
神谷小夜子
-

LIFE
2026.02.11
パピルスが古代エジプトを動かしていた?映画『アンノウン: ピラミッドが語る古王国の記憶』
神谷小夜子
-

LIFE
2026.01.30
【エジプト映画3選】古代エジプト文明の世界を探検しよう!パピルスや文字の不思議に迫る
神谷小夜子
-

LIFE
2026.01.21
アートとは「体験」すること。2026年に行きたい展示会情報6選
神谷小夜子

ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。

