STUDY
2024.11.25
埴輪(ハニワ)とは?成立と発展・美術的な楽しみ方・名作5選紹介!
埴輪(ハニワ)は日本の古墳時代(3世紀後半〜6世紀中葉)に、前方後円墳などの古墳の周囲や墳丘上に並べられた素焼きの土製品です。古墳時代の初期には、単純な円筒形から始まりましたが、次第に形象化が進み、人物や動物、家屋、器材を象った埴輪が現れました。
この記事では埴輪のさまざまな形や名品、いま埴輪を見られる注目の展覧会などについてご紹介します。
『旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-』(市原歴史博物館)展示室風景 撮影:はろるど
埴輪とは?その誕生と発展の歴史
『蛭子山1号墳 出土埴輪群』 , Public domain, via Wikimedia Commons.
埴輪のルーツは弥生時代後期(2世紀後半)の吉備地方(岡山県・広島県東部)にあると考えられています。
同地方の墳丘墓に備えられた特殊な壺と、壺をのせるための特殊な器台が由来とされ、それらが古墳時代初期(3世紀後半)に壺形埴輪と円筒埴輪へと発展しました。
埴輪は古墳を聖域として区画し、荘厳に見せるための装飾品であっただけでなく、死んだ人の魂を守ったり、鎮めたりする大切な役割を持っていました。
土の中に埋められず、古墳の上に据え置かれた埴輪は、「見せる王権」とも指摘されるほど、古墳の被葬者の権威を示す象徴でもありました。
つまり当時の豪族や支配者は、自身の墓に多くの埴輪を並べることで、権力や富を示しながら、自らの支配の正当性をアピールし、人々の心を結集しようと考えていたのです。
ハニワにおけるさまざまなかたち 〜円筒埴輪・形象埴輪〜
埴輪には土管のような形をした円筒埴輪と、動物や人物、建物や武器を模した形象埴輪の2種類に分けられます。
【円筒埴輪】
『円筒埴輪』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
古墳時代初頭(3世紀後半)に壺形埴輪と円筒埴輪が出現すると、前期(4世紀中葉以降)に家や道具、鳥などを象った埴輪が現れ、中期(5世紀中葉以降)には人物やその他の動物の埴輪が登場しました。
最も初期に登場した円筒埴輪は、埴輪が生まれてから消滅するまで作られた、埴輪の中心的な存在です。
儀礼空間としての領域を区切るために古墳の周囲に大量に立てられると、古墳の巨大化に伴って、時に数万本にも及ぶ数が一つの古墳に並べられました。サイズはさまざまだったものの、大きいものでは2メートルを超えることもありました。
【形象埴輪】
『馬形埴輪』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
形象埴輪は、人物や動物、器財など具体的な形を持つ埴輪です。古墳に埋葬された被葬者の身近な存在として配置されたと考えられ、当時の生活や社会構造を映し出す役割も持っています。
1. 家形埴輪
『家形埴輪』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
家形埴輪とは、古墳時代の地位の高い人物の住宅や倉庫など、王の治めた集団に因んだ建物を表現したもの。葬られた人の魂が宿る場所とする説や、生きていた時に暮らしていた屋敷を再現したとする説などがあります。
また家形埴輪は形象埴輪の中で最も古く、長く作られてきたことから、重要な埴輪と考えられています。よって埋葬施設の上など古墳の中心施設に置かれました。
中には細かい構造が再現されている埴輪もあり、当時の建築の様式を伝える貴重な資料とも言えます。
2. 動物埴輪
『埴輪 鹿』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
動物の埴輪で最初に表現されたのは鶏で、その後、船などとともに水鳥が現れるようになりました。古墳時代中期(5世紀)に入ると、犬などの多くの動物が加わります。また最も多い豪華な馬具を装着した飾り馬は、王の権威の象徴とされました。
鶏、鹿、猪、鷹などは王の儀礼と関連づけられる一方、猿や水鳥、魚などは自然の動物を写したとも考えられています。捕らえた魚をくわえる鵜や、警戒するように周囲をうかがう鹿などは、動物の生態を細かく観察し、生き生きと表現した埴輪と言えるでしょう。
3. 人物埴輪
『埴輪 盛装女子』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
形象埴輪として最も遅く出現したものの一つが人物埴輪です。武人、巫女、狩人、力士、農民など、性別や仕事、階層が明確に表現されていて、現代の人々が見てもその人がどのような役割を果たしていたのかが分かります。
男女像に分かれた人物埴輪には、全身像と下半身を省略した埴輪に分かれていて、それぞれ主役と脇役として表現されていたことが明らかになっています。
人物埴輪の多くは群像としてストーリー性を持って作られ、また配置されていた点も重要です。鷹狩りなどの狩猟の場面や王の祭祀などが埴輪によって表現され、王権が強くなると、人物造形が写実的になっていきました。
埴輪は漫然と並んでいたのではなく、言わば劇場のように展開していたのですね。
ハニワの名品5選
特に美しい造形と重要な歴史的価値を持つ埴輪の名品を5つご紹介しましょう。
国宝『埴輪 挂甲の武人』 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館
『埴輪 挂甲の武人』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
頭から足先まですべて防具で覆われた、古墳時代としては最も武装している武人埴輪です。近年の修理によって弓が新たに復元されました。なお直立の姿勢は戦場での姿ではなく、儀礼に参加している時の様子だと考えられています。
国宝『埴輪 正座の女子』 群馬県高槻市 綿貫観音山古墳出土 古墳時代・6世紀 文化庁(群馬県立歴史博物館保管)
細い折り目のついた裳と呼ばれるスカートをはき、正座する女性の埴輪です。当時の朝鮮半島から伝来した裳をはく女性は極めて珍しく、高貴な人物であったとされています。なおこの『正座の女子』の対面には、同じく国宝の『あぐらの男子』が置かれていました。
重要文化財『円筒埴輪』 奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
高さ242センチにも及ぶ巨大な器台形の円筒埴輪です。その巨大な姿に圧倒されますが、一方で厚さは2センチにも満たない程に薄く、高い技術によって作られたことが分かります。
重要文化財『家形埴輪』 大阪府八尾市 美園古墳出土 古墳時代・4世紀 文化庁(大阪府立近つ飛鳥博物館保管)
高床の建物を表した家形埴輪の代表例です。柱の外の面には線にて盾が刻まれ、部屋にはベッドも据えられています。儀礼の場を示した埴輪であるとされるものの、古代の建物の構造がわかる貴重な埴輪と言えます。
『埴輪 踊る人々』 埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館
『埴輪 踊る人々』, 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
埴輪の中でも特に人気の「ゆるキャラ」のような人物埴輪です。2体とも同じ片手を挙げるポーズをしていて、儀礼に際しての踊る姿と解釈されてきましたが、近年は馬を引く姿であるとの説も唱えられています。
いま埴輪を見られるおすすめの展覧会
埴輪の人気は近年高まっていて、各地でも展覧会が開催されています。東京と近郊の展覧会からおすすめをご紹介します!
『挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」』@東京国立博物館
『挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」』(東京国立博物館)展示風景 撮影:はろるど
『挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」』@東京国立博物館
会期:2024年10月16日(水) ~12月8日(日)
展覧会公式サイト:挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」
東京国立博物館では約半世紀ぶりに開催されている、過去最大スケールの埴輪展です。全国各地から約120件の選りすぐりの埴輪が集結していて、上に挙げた「名品5選」の埴輪も、全て公開されています。
『旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-』@市原歴史博物館
『旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-』(市原歴史博物館)展示風景 撮影:はろるど
『旅するはにわ-房総の埴輪にみる地域間交流-』@市原歴史博物館
会期:2024年10月12日(土)〜12月15日(日)
博物館公式サイト:市原歴史博物館
千葉県の市原市の古墳で出土した埴輪のルーツを、埼玉県の鴻巣へと辿りながら、出土した埴輪の魅力を紹介する展覧会です。タイトルに「旅する」とあるように、埴輪を通して6世紀における上総と関東の交流を解き明かしています。
『ハニワと土偶の近代』@東京国立近代美術館
『ハニワと土偶の近代』(東京国立近代美術館) 撮影:はろるど
『ハニワと土偶の近代』@東京国立近代美術館
会期:2024年10月1日(火)~12月22日(日)
展覧会公式サイト:ハニワと土偶の近代
明治以降の埴輪と土偶をモチーフとした美術や工芸などを紹介する展覧会です。埴輪の展示は2体に留まりますが、どのように埴輪のイメージが近現代の美術に取り入れられていたのかを辿ることができます。
古墳の衰退とともに減少していった埴輪…
山倉1号墳 出土埴輪, Public domain, via Wikimedia Commons.
古墳時代の約350年に渡って作られた埴輪。しかし6世紀後半になると西日本で前方後円墳のような大型の古墳が造られる機会が減り、それに伴って埴輪の製作も少なくなっていきます。
この時期、日本では中央集権的な国家体制が築き始められ、その支配機構に各地の王たちが組み込まれたため、大規模な前方後円墳のような権力の象徴は不要になったのです。
一方で関東地方では6世紀後半になっても、中央とのつながりを示すために前方後円墳が造られ、埴輪の製作も続きました。この時期に限ると、国内で最も多く前方後円墳を築いたのは、むしろ関東地方だとされています。
結果的に前方後円墳と埴輪が全国的に造られなくなったのは、6世紀末から7世紀に入ってからのことでした。仏教が伝わり、推古天皇のもとで蘇我氏らが政権を率いる新たな体制になると、前方後円墳や埴輪はもはや時代に適合しなくなったのです。
埴輪の美術的・文化的な価値は、現在も多くの人々を魅了し続けています。そして古代日本人の生活と価値観を写し出す鏡として、未来に残すべき貴重な遺産と言えるでしょう。
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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。
千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。
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