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STUDY

2026.7.20

【この絵、なんだか音楽みたい】カラフルな色と線が踊るカンディンスキーの世界

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ワシリー・カンディンスキー《コンポジションVII》(1913年)。油彩・カンヴァス、200×300cm。トレチャコフ美術館(モスクワ)蔵。, Public domain, via Wikimedia Commons.

絵を見ていて、「音楽みたいだ」と感じたことはあるでしょうか。ロシア生まれの画家・カンディンスキーの絵には、そんな不思議な力があります。

名前は知らなくても、カラフルな線や形が画面いっぱいに広がる絵を、どこかで見たことがあるかもしれません。それは偶然ではなく、カンディンスキーは本気で音楽のように絵を描こうとしていました。

《コンポジションVII》。《インプロヴィゼーション28》。《インプレッションIII》。

彼の作品につけられた題名は、どれも音楽の言葉です。

なぜ色と形だけの絵に、音楽の題名がついているのでしょうか。


きっかけは、一晩のコンサートだった

リヒャルト・ゲルストル《アルノルト・シェーンベルクの肖像》(1905年頃)。ウィーン・ミュージアム蔵。1911年の演奏会でカンディンスキーが出会った作曲家。, Public domain, via Wikimedia Commons.

1911年1月2日、ミュンヘン。カンディンスキーは、作曲家アルノルト・シェーンベルクの演奏会に足を運びます。

このとき彼が耳にした音楽は、それまで親しまれてきた音楽とはかなり違うものでした。親しみやすいメロディがない。安定した和音の流れもない。

音楽を支えてきた調和が意図的に崩されており、決して聴きやすい音楽ではありませんでした。

それでも大事な何かが伝わってくる。カンディンスキーは、その演奏に強く心を動かされました。

その体験は彼に一つのテーマを投げかけました。もし音楽にそれができるなら、絵画でも同じような表現ができるのではないか。

コンサートの直後、カンディンスキーは素描を描き始め、それを一枚の油彩画に仕上げます。題名は《インプレッションIII(コンサート)》。彼が体験した演奏会を、そのまま絵にした作品です。


音楽が絵になった一枚

ワシリー・カンディンスキー《インプレッションIII(コンサート)》(1911年)。油彩・カンヴァス、77.5×100cm。レンバッハハウス美術館(ミュンヘン)蔵。1911年1月2日、シェーンベルクのコンサートを聴いた直後に描かれた。, Public domain, via Wikimedia Commons.

まず目に入るのは画面の中央付近にある大きな黒い塊です。これはグランドピアノを意味しています。その前に広がる鮮やかな黄色は客席を埋めた聴衆のようにも、会場いっぱいに響く音のようにも見えます。

カンディンスキーが描こうとしたのは、演奏会の「様子」ではありませんでした。音が色になり、響きが形になった、あの瞬間をまさに「再現」しようとしたのです。

「インプレッション(印象)」という題名の通り、外から受けた刺激をそのまま絵にした作品です。そして作品のタイトルは、自分の絵を伝えるためのメッセージでした。

《インプレッション》は、外の世界から受けた印象をもとにした絵。《インプロヴィゼーション》は、内側から湧き上がるものを即興的に描いた絵。《コンポジション》は、交響曲のように何枚もの下絵を重ね、長い時間をかけて構成する絵です。

題名を見れば、作品の成り立ちを理解できるようになっています。


手紙から始まった、画家と作曲家の友情

アルノルト・シェーンベルク《自画像》(1908年)。アーノルト・シェーンベルク・センター(ウィーン)蔵。作曲家は絵も描き、「青騎士」展にも出品していた。, Public domain, via Wikimedia Commons.

コンサートで感じた興奮は、一枚の絵を描いただけでは収まりませんでした。二週間ほど経った頃、まだ一度も会ったことのないシェーンベルクに向けて、カンディンスキーは手紙を書きます。

「あなたが音楽で実現したものを、私は絵画でずっと求めてきたのです」

そして、こう続けました。

「今は不協和に聞こえる音も、絵の中で衝突する色も、明日にはきっと調和になる」

シェーンベルクはすぐ返事を送ります。二人のやり取りはそのあとも続き、生涯にわたる友情へと発展しました。

親しくなるにつれて、カンディンスキーは意外な事実を知ります。シェーンベルクもまた、絵を描く人だったのです。彼は作曲の合間に自画像や幻視を油彩で描いていました。

作品のいくつかは、カンディンスキーが仲間たちと開いた「青騎士」の展覧会にも並んでいます。音楽家が絵を描き、画家が音楽から絵を生み出す。二人にとって音と色は、まったく別の世界ではなかったのでしょう。


黄色はトランペット、青はチェロ

カンディンスキーは、色と音の対応を理論として書き残しています。1911年に出版した著書『芸術における精神的なもの』には「色はキーボードであり、目はハンマーであり、魂は多くの弦を持つピアノである」という説明があります。

彼にとって色は、それぞれ異なる楽器の響きを持つ存在でした。「黄色」はトランペットの鋭い音。見る者に向かって攻撃的に迫ってくる色です。

「青」は深くなるにつれて楽器が変わります。明るい青はフルート、暗くなるとチェロ、さらに深い青はコントラバス、最も暗い青はオルガン。

「赤」はチューバやティンパニの力強い響き。

「オレンジ」はアルトの歌声やヴィオラの温かみ。

「緑」はヴァイオリンの穏やかな中音域。

ここで冒頭の《コンポジションVII》をもう一度見てみてください。赤い塊はティンパニのように響き、青い面はチェロの持続音を奏で、あちこちに散った黄色い断片がトランペットのように鋭く差し込んでいる。

色の重なりが和音、線の流れがメロディ、画面全体が一つのオーケストラとして鳴り始めたように感じます。


「色が聴こえる」? カンディンスキーが持っていた特別な感覚

愛猫ヴァスカと写るワシリー・カンディンスキー(1910年代頃)。, Public domain, via Wikimedia Commons.

ここで種明かしをさせてください。

シェーンベルクの演奏会で彼がつかんだのは、「絵にもできるはずだ」という手応えでした。ただし色と楽器を結びつける感覚は、ずっと以前から彼の中にありました。カンディンスキーはもともと、音を聞くと色が見えたのです。

これは「共感覚」と呼ばれています。一つの感覚への刺激が、別の感覚まで一緒に動く。音を聞くと色が浮かぶ。文字や数字に色がついて見える。

そのような感覚を持つ人が稀に存在し、本人にとっては当たり前の感覚なのだそうです。カンディンスキーにも、その兆候は画家になるずっと前から現れていました。

1896年、モスクワ。法律と経済を学んでいたカンディンスキーは、ワーグナーの歌劇《ローエングリン》を聴き、画家になることを決意します。

彼はこう書き残しています。

「色という色が、目の前にありありと立ち上がってきた。荒々しい、ほとんど狂ったような線が、目の前に描かれていった」


ワーグナーの歌劇《ローエングリン》(1850年初演)。1896年、モスクワでこの楽劇を聴いたことが、カンディンスキーに画家への道を選ばせた。


絵の具をパレットで混ぜると、かすかな音が聞こえたとも語っています。そのため「黄色はトランペット」も、あとから考えて作ったルールではなく、最初から彼にはそう見えていたのです。

私たちには色の集まりに見える画面が、彼には音の鳴る世界として立ち上がっていたのでしょう。


あとは、聴くように見るだけ

音楽を聴くとき、私たちは「この旋律は何を意味しているんだろう」とはあまり考えません。メロディの流れ、和音の重なり、リズムの変化をそのまま受け取ります。

カンディンスキーの絵も、同じ目線で楽しむことができます。

「何が描いてあるか」ではなく「何が鳴っているか」。

次にカンディンスキーの絵を見る機会があったら、まず題名を確かめてみてください。《コンポジション》なのか、《インプロヴィゼーション》なのか。その題名は目の前にある一枚の「聴き方」を、そっと教えてくれます。


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大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。西洋哲学史の書籍『世界と人間を深く理解するための哲学の教科書』(ナツメ社)の執筆も担当した。立場や考え方の違いを越えて、芸術には人と人をつなぐ力があると信じている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。

大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。西洋哲学史の書籍『世界と人間を深く理解するための哲学の教科書』(ナツメ社)の執筆も担当した。立場や考え方の違いを越えて、芸術には人と人をつなぐ力があると信じている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。

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