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2026.8.17

「あの人にもう一度会いたい」―幽霊の絵は、なぜ足がないのか。円山応挙から紐解く

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なぜ幽霊の絵には足がない?円山応挙から紐解く「あの人に会いたい」気持ち

円山応挙《お雪の幻》(1750年頃)。絹本着色。カリフォルニア大学バークレー校美術館蔵。足のない幽霊のイメージを広めた、応挙の代表的な幽霊図の一つ。, Public domain, via Wikimedia Commons.

白い着物、ほどけた髪、そして腰から下はすうっと霞んで消えている。

幽霊に足はない。

私たちは何となく、そういうものだと思っています。

けれど、よく考えると不思議です。その足は、いつ、誰が消したのでしょうか。足のない幽霊を広めたのは、江戸時代の絵師・円山応挙だと言われています。ところが応挙という人物を知れば知るほど、この話は奇妙に思えてくるのです。

ありのままを描く人が、ありえない姿を

円山応挙(1733〜1795)は、京都で活躍した絵師です。応挙が重んじたのは、目の前のものを見たとおりに写し取る「写生」でした。のちに写生派の祖とも呼ばれています。

円山応挙《群犬図》(1773年)。毛のひと房、からだの丸みまで写し取る「写生」は応挙の真骨頂だった。, Public domain, via Wikimedia Commons.

子犬や草花を描いた作品を見ると、その観察の細やかさに驚かされます。毛の一本、葉のひと反りまで、息をしているようです。ところが、その応挙が広めたとされているのが、現実にはありえない「足のない幽霊」の姿でした。

代表作の一枚が《返魂香之図(はんごんこうのず)》です。

青森・久渡寺に伝わるこの絵は、近年の調査で応挙の真筆と認められ、2021年に弘前市の文化財に指定されました。もう一枚が、冒頭で紹介した《お雪の幻》です。二枚は同じ絵に見えますが、別の作品です。

そしてどちらの絵でも、女性の姿は腰から下が消えています。足はどこへ消えたのでしょうか。

足を消したのは、一本のお香だった

焚くと煙の中に死者の姿が浮かぶという反魂香のイメージ(イメージ)

足が消えた理由として、古くから語られてきたのが「反魂香(はんごんこう)」です。反魂香とは、中国の伝説に登場するお香です。焚くと、その煙の中から死んだ人の姿が浮かびあがるとされています。

有名なのは漢の皇帝・武帝の物語です。武帝は若くして亡くなった李夫人をどうしても忘れられず、このお香を焚かせて、煙の中にその面影を見たと伝えられています。

この物語は唐の詩人・白居易の詩にもうたわれ、日本でも古くから知られてきました。煙の中から、すうっと立ちのぼる死者の姿。どこまでが煙で、どこからが人なのか、はっきりしません。足元も煙にまぎれて見えません。

つまり《返魂香之図》に描かれたのは幽霊ではなく、香の煙の中に浮かびあがった死者の姿でした。そのように考えると、足がない姿にも納得がいきます。

「足のない幽霊」の起源とは

ただし近年では「応挙が足のない幽霊を最初に描いた」という通説は見直されつつあります。応挙が生まれるよりも前に、すでに足のない幽霊が描かれていた形跡があり、たとえば元禄のころには、土佐光起の作品とされる足のない幽霊画もあったようです。

そうなると反魂香の説明には無理があります。反魂香の煙は応挙の絵から足が消えている理由にはなっても、幽霊から足が消えた理由にはならないからです。いつのまにか研究者の見方も「発明した」から「広めた」へと移っていき、本当の起源がどこにあるのかは今もはっきりしません。

おそらく応挙がしたのは、それまでばらばらに描かれていた「足のない幽霊」の姿を、ひとつの形にまとめ上げたことです。

白い着物、ほどけた髪、そして消えた足元。応挙の筆は、それらを「幽霊の姿」としてひとつに定着させたといえます。写生をきわめた絵師が描いたからこそ、その姿はまるで本当にそこにいるかのように見えたのでしょう。

葛飾北斎《百物語 お岩さん》(1831〜32年頃)。提灯と一体化した幽霊の姿。応挙以降、幽霊といえば足がないという表現が定着していった。, Public domain, via Wikimedia Commons.

このあとに続く絵師たちもこぞって応挙の幽霊を手本にしていきます。歌舞伎の舞台においても幽霊を宙に浮かせる演出が定着し、足がないことは「この世のものではない」という幽霊のシンボルとなっていったのです。

日本人が抱く幽霊のイメージを写生の名人が作ってしまったという、なんとも皮肉な話だともいえます。

幽霊画に込められた、愛しい人への祈り

返魂香之図(はんごんこうのず)》にはもう一つのエピソードがあります。

妻と妾を相次いで亡くした弘前藩の家老が、その供養のために応挙へ描かせたとされ、一周忌か三回忌に間に合わせようとしたという説もあります。また《お雪の幻》に描かれたのも、応挙が夢の中で見た亡き人の姿だと伝わります。

若くして亡くした妻、もしくは愛人だったとも言われ、はっきりとはしませんが、応挙自身がこの絵を「幽霊」と呼んだ記録は残っていません。

そう考えると、私たちが長いあいだ怖がってきた応挙の幽霊画はもともと恐怖のためではなく、亡き人にもう一度だけ会いたいという切実な思いから生まれたのかもしれません。煙の中に死者の姿を浮かび上がらせる反魂香にも、同じ願いが宿っています。

足が消えているのは恐ろしさを強調するためではなく、もう二度と触れることのできない人が、それでもなお、そこにいることを伝えるためでした。

幽霊画の歴史をたどると、そこには大切な人にもう一度だけ会いたいと願う、残された人々の悲しみと祈りが見えてくるのです。

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大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。西洋哲学史の書籍『世界と人間を深く理解するための哲学の教科書』(ナツメ社)の執筆も担当した。立場や考え方の違いを越えて、芸術には人と人をつなぐ力があると信じている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。

大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。西洋哲学史の書籍『世界と人間を深く理解するための哲学の教科書』(ナツメ社)の執筆も担当した。立場や考え方の違いを越えて、芸術には人と人をつなぐ力があると信じている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。

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