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STUDY

2025.8.27

日本画に革命を起こした速水御舟~速水前と速水後で、日本画はこんなに変わった~

40歳という短い生涯で日本画に革命をもたらした画家、速水御舟(はやみ ぎょしゅう)をご存知でしょうか。

1894年に東京・浅草で生まれた御舟は、従来の日本画にはなかった徹底した写実表現から『炎舞』のような幻想的で象徴的な作品まで、生涯を通じて画風が変化し続けたことで知られています。特に金を絵具のように巧みに使った独自の技法は、現代でも多くの人を魅了し続けています。

速水御舟速水御舟(1894年8月2日~1935年3月20日), Public domain, via Wikimedia Commons.

14歳で画塾に入門してから40歳で急逝するまでの26年間に、彼は日本画の可能性を大きく広げました。『名樹散椿』は昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定されるなど、その功績は計り知れません。

この記事では、御舟の波瀾に満ちた人生と現代にも通じる革新的な芸術表現について、美術初心者の方にもわかりやすく解説します。

速水御舟の幼少期 ~浅草の質屋から日本画界の寵児へ~

速水御舟《翠苔緑芝》速水御舟《翠苔緑芝》1928(昭和3)年、山種美術館、東京, Public domain, via Wikimedia Commons.

速水御舟は1894年(明治27年)8月2日、東京・浅草で質屋を営む蒔田惣三郎・いと夫婦の次男として生まれました。本名は栄一。後に母方の速水家を継いだため、速水姓を名乗るようになりました。

父親が営む質屋には、没落した武士階級の人々が武器や古書画、能衣装などを持ち込んでいました。現在では考えられないほど美術的価値の高い品々が質草として持ち込まれていたわけですね。この環境が画家・速水御舟を生み出したと言えるでしょう。

御舟は幼い頃から絵に関心を示していました。そして14歳のとき、自宅の襖に群鶏の絵を描いたところ、近所にあった安雅堂画塾の関係者にその才能を見出されたのです。ここから御舟は本格的に絵の道に進み始めました。

1908年、御舟は14歳で松本楓湖主宰の安雅堂画塾に入門しました。楓湖は「なげやり教育」と自称するユニークな指導方法で知られる教育者でしたが、御舟の才能をいち早く見抜いて特別に良い手本を与えるよう指示していたといわれています。

16歳でいきなり注目! ~初期の成功・事故・画風変更~

1910年、16歳の御舟は若手画家の登竜門とされた巽画会展に『小春』を初出品します。翌年には『室寿の讌』で一等褒状を受け、宮内省買い上げという栄誉に輝きました。

こうして勢いがつき、御舟の画家としての才能は広く認められるようになりました。
1917年の第4回院展では日本美術院の同人に推挙されました。

この作品について下村観山は「今まで展覧会の審査で、これほど立派な作品に接したことがなかった」と絶賛しました。これがきっかけとなり、御舟は23歳の若さで日本美術院の同人に推挙されました。

このまま進めば、どこまで成長するのだろう? と期待されていた御舟ですが、転機が訪れます。

1919年に左足を切断するという大事故に遭ったのです。市電の線路に下駄がはまってしまい、市電に轢かれてしまったのです。

この事故を境に、御舟の画風は大きく変わりました。それまでの様式を完全に断ち切り、写実重視の細密描写へと移行したのです。

1920年の第7回院展に出品された『京の舞妓』は、この変化を象徴する作品でした。舞妓の衣装の細かい文様から畳の目の一つひとつまで克明に描写したその写実性は、従来の日本画にはない革新的なものでした。しかし、その細密すぎる描写は賛否両論を招き、横山大観は「悪写実」と酷評したほどでした。

あまりに革新的過ぎると受け入れられないものなのでしょうか。「芸術とは好きなように表現すること」という考えの方からすると、新しい御舟の絵が受け入れられなかったことは疑問に感じると思います。

代表作『炎舞』が誕生! ~二度と描けないと語ったほどの奇跡~

炎舞炎舞, Public domain, via Wikimedia Commons.

御舟の最も有名な作品の一つが、1925年に完成した『炎舞』です。重要文化財に指定されているこの作品は、御舟の芸術が一つの高みに到達した傑作として高く評価されています。

この作品を描くため、御舟は軽井沢の別荘で3か月間滞在し、毎晩のように焚き火をして炎とそこに集まる蛾を観察し続けました。暗闇に舞い上がる火の粉と蛾の舞う様子を、金粉を膠と水を混ぜて溶いた「金泥」という顔料を使って、絶妙な色合いで緻密に描き出したのです。

『炎舞』で特に注目すべきは、背景の表現です。黒に朱を混ぜ、絵の具が絹面ににじむようにして描いた背景は、単なる黒色ではない「深い闇」を表現しています。「もう一度描けと言われても二度とは出せない色」と御舟自身が語ったほどの、奇跡的な表現なんですね。

描かれている蛾にも注目したいところです。蛾はすべて真正面向きに描かれているのですが、生きて飛んでいる感じが見事に表現されています。昭和天皇が『炎舞』を見て「蛾の眼が生きているね」と感想を述べたエピソードも有名です。

金を使った表現『撒きつぶし』 を活用

名樹散椿名樹散椿, Public domain, via Wikimedia Commons.

1929年の重要文化財『名樹散椿』では「撒きつぶし」という技法が使われています。

金箔を竹筒に入れて粉状にし振りまくことで、金箔や金泥とは異なる「しっとりと落ち着いた金地」を作り出せるのです。

「撒きつぶし」は、同じ面積に金箔を貼るのに比べて5〜6倍の量の金を使います。贅沢だな…とも思えますが、深みのある美しい金の輝きは観る人を魅了してやみません。

『名樹散椿』では、京都市北区の地蔵院にある樹齢400年と伝わる椿の老木を、「撒きつぶし」による金地の上に鮮やかな色彩で表現しています。
写実的な描写にキュビズムにも似た表現を取り入れた意欲作で、日本画の新たな可能性を示しました。

速水御舟の主な作品と、所蔵美術館

洛外六題

1917年(23歳)、第4回院展に出品。日本美術院の同人に推挙された。下村観山は「今まで展覧会の審査で、これほど立派な作品に接したことがなかった」と絶賛。

本画は関東大震災で焼失しているが、下絵の一部が京都国立近代美術館に所蔵

京の舞妓

京の舞妓京の舞妓, Public domain, via Wikimedia Commons.

1920年(26歳)、写実性を重視した細密な描写になった後の作品で、細密すぎる描写が賛否両論を招きました。横山大観は「悪写実」と酷評しましたが、良い評価をした人も多くいました。

東京国立博物館に所蔵

炎舞

炎舞炎舞, Public domain, via Wikimedia Commons.

1925年(31歳) に制作。暗闇に舞い上がる火の粉と蛾の舞う様子を、絶妙な色合いで緻密に描き出しました。炎の描写には、日本の伝統的な絵巻物や仏画における炎の描かれ方が影響しているといわれています。

山種美術館に所蔵(東京都)

翠苔緑芝

1928年(34歳) に制作。この作品は単純化された表現が印象的で、「あれ? 今までと雰囲気が違う」と変化を感じさせます。琳派や西洋画の影響があるといわれています。

山種美術館に所蔵(東京都)

名樹散椿

名樹散椿名樹散椿, Public domain, via Wikimedia Commons.

1929年(35歳) に制作。写実的に見える部分には、キュビズムにも通じる表現があると言われています。背景は「撒きつぶし」によってつくられ、光沢を抑えたフラットな金地が椿の樹を惹きたてています。

山種美術館に所蔵(東京都)

40歳で他界 ~いよいよこれからだったのに。横山大観が嘆いた~

御舟は35歳のとき、1930年にはローマ日本美術展覧会の美術使節として渡欧し、ジョットやエル・グレコに魅せられました。この経験は彼の後期作品にも大きな影響を与えています。

帰国後も日本画の新しい表現方法を模索し続け、多くの美術家から日本画の将来の担い手として期待されていました。

しかし、1935年3月20日、御舟は腸チフスにより40歳の若さで急逝します。いよいよこれからという時に、何とも惜しいですよね。彼の早世は多くの美術家に惜しまれました。横山大観は「速水君の死は、日本の為に大きな損失である」と述べています。

御舟の作品はあまり多くは残っていません。もともと寡作であったこと、関東大震災で多くの作品が焼失したこと、御舟自身が気に入らない画稿や下絵を焼き捨てたことなどが原因で現存作品は600点ほどといわれています。

日本画を進化させた貢献は、今も讃えられている

速水御舟は、短い生涯の中で日本画の「破壊と創造」を繰り返した革新的な画家でした。もし彼が長生きしていれば、より多くの革新的な作品が生まれて日本画の世界は今とは違うものになっていたかもしれません。

御舟の作品は山種美術館をはじめとする様々な美術館で鑑賞することができます。その緻密で幻想的な世界観、金を使った大胆な構図は、時代を超えて観る人を魅了してやみません。日本画の歴史において確固たる地位を築いた速水御舟の紹介でした。

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中森学

中森学

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セールスライター。マーケティングの観点から「アーティストが多くの人に知られるようになった背景には、何があるか?」を探るのが大好きです。わかりやすい文章を心がけ、アート初心者の方がアートにもっとハマる話題をお届けしたいと思います。SNS やブログでは「人を動かす伝え方」「資料作りのコツ」を発信。

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