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STUDY

2025.4.16

江戸時代以降の日本画家一覧!光琳や若冲など20人紹介…この画家知ってる?

この画家、展覧会では名前をよく見かけるけど、詳しく知らないなあ。
反対に、有名なのに展覧会では全然見かけない画家もいるよね。
ここ最近の私の気づきなのですが、皆さんはいかがでしょうか?

実は、教科書や入門書で紹介されやすい画家と、展覧会でよく見る画家は、違うことが結構あります。理由は、作品数や保存状態などさまざま。

というわけで今回は編集部と相談し、
「近ごろの展覧会で目にする機会が多い、江戸時代以降の日本画家」
を20人厳選して一覧にしてみました。

一般的な「日本画家の一覧」だったら入らないだろうな、と思われる画家も入っています。(画家以外の肩書きを持つ人もいます)

紹介したい画家は他にも大勢いますが、際限がないので……。この記事をきっかけに、「もっと日本美術や画家を知りたい!」と思っていただけたらなあ、と考えながら一気に紹介していきます。

葛飾北斎作 神奈川沖浪裏など展覧会で見かける日本絵画4枚

江戸時代の日本画家の一覧

狩野派一強だった日本の絵画が変わり、大きく多様化した江戸時代。狩野派も強いのですが、斬新な画風が受け入れられるようになり、「琳派」や「奇想の画家」など個性豊かな画家が登場しました。

また、版画の登場によって絵の複製が可能になり、作品をより安価に、より多くの人に届けられるように。浮世絵版画の流行です。お金持ちのものだった美術が、庶民も楽しめる時代になりました。

尾形光琳,燕子花図屏風など展覧会で見かける日本画家の作品4枚

(1)尾形光琳(おがた こうりん、1658-1716)

尾形光琳《燕子花図屏風》(右隻)尾形光琳《燕子花図屏風》(右隻), Public domain, via Wikimedia Commons.

俵屋宗達に私淑して作風を受け継いだ尾形光琳。2人は生きた時代が異なり、直接の師弟関係はありませんが、光琳は宗達の絵を見て学び、琳派という流派が生まれるきっかけとなりました。

光琳は宗達風を取り入れつつも、独自の美意識を育てました。同じモチーフを反復させたりと、今で言う「デザイン」的な感覚が鋭い画家だったようです。

例えば《燕子花図屏風》では、同じくらいの咲き具合の燕子花(かきつばた)が繰り返され、現実の風景とは異なる表現がなされています。

(2)土佐光起(とさ みつおき、1617-91)

土佐光起《源氏物語絵巻、二十帖「朝顔」》土佐光起《源氏物語絵巻、二十帖「朝顔」》, Public domain, via Wikimedia Commons.

土佐光起は、江戸時代の土佐派を代表する画家です。土佐派は、室町時代に興った「やまと絵」の一派。中国由来の「唐絵」に対し、日本で発展した「やまと絵」には、日本の四季や物語(源氏物語など)、和歌を主題にした作品が多く見られます。

室町時代、宮廷内を彩るやまと絵を制作した絵師たちの中で、トップにいたのが土佐派でした。一時は衰退したのですが、江戸時代に入って土佐派を復興したのが、光起です。

光起は伝統的なやまと絵を受け継ぐだけでなく、狩野派や中国絵画の画風も取り入れ、やまと絵の画題を大きく広げました。

(3)円山応挙(まるやま おうきょ、1733-1795)

円山応挙《孔雀図》円山応挙《孔雀図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

江戸時代の画家で特に押さえておきたいのが、円山応挙です。写実的な画風で主題が伝わりやすいからか、当時も今も絶大な人気を誇っています。

応挙の絵の基礎にあるのは、徹底した実物の写生です。実物を観察して描くのは当たり前に思えますが、当時は事情が違いました。弟子は師匠の絵を真似して学ぶのが普通で、必ずしも実物を見る必要はなかったのです。

写生によってモチーフへの理解を深め、再構成して作品に落とし込んだ応挙。迫力ある動物も優美な風景も、見事に描き出した作品が残されています。

(4)伊藤若冲(いとう じゃくちゅう、1716-1800)

伊藤若冲《動植綵絵「群鶏図」》伊藤若冲《動植綵絵「群鶏図」》, Public domain, via Wikimedia Commons.

今では「奇想の画家」の筆頭であり、大きな人気を誇る伊藤若冲。しかし日本美術の研究においては長らく「傍流」とされてきました(「主流」は応挙など)。

若冲といえば動物、とりわけ鶏を描いた作品がよく知られています。若冲も応挙と同様、実物を観察して絵に落とし込んだため、身近な動植物が頻繁に登場します。

鮮やかな色彩や、琳派にも通じる大胆な構図に特徴がある若冲。実物の観察も大切にしつつ、自らの美意識を全面に出して優れた絵画を生み出しました。

(5)鈴木春信(すずき はるのぶ、1725-1770)

鈴木春信《雪中相合傘》鈴木春信《雪中相合傘》, Public domain, via Wikimedia Commons.

浮世絵版画は、最初は墨一色で刷った白黒の絵でした。鮮やかな色を施した版画を研究し、作品を世に送り出した代表的な画家が、鈴木春信です。

当時開発された多色刷りの版画「錦絵(にしきえ)」に春信も取り組み、江戸時代のカレンダーとも言える「絵暦(えごよみ)」を制作。これが大ヒットし、錦絵の需要が高まるきっかけのひとつになりました。

春信は美人画を多く制作しました。特に着物の色や柄には、多色刷りだからこその豊かな表現が見られます。

(6)喜多川歌麿(きたがわ うたまろ、1753-1806)

喜多川歌麿《寛政三美人》喜多川歌麿《寛政三美人》, Public domain, via Wikimedia Commons.

美人画の名手といえば、喜多川歌麿も忘れてはいけません。生年未詳(1753という説が濃厚)で出身地も諸説ある、謎多き画家でもあります。

役者絵などを描いていた歌麿の才能を見出したのが、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)です。江戸時代を代表する版元で、敏腕プロデューサーさながら、有望な絵師を発掘しました。

吉原出身の重三郎に影響を受けたのか、歌麿は美人画を得意としました。鈴木春信が引きの構図で遠くから女性を描いたのに対し、歌麿は対象にぐっと近づき、顔を大きく描いた作品に特徴があります。

(7)葛飾北斎(かつしか ほくさい、1760-1849)

葛飾北斎《神奈川沖浪裏》 葛飾北斎《神奈川沖浪裏》, Public domain, via Wikimedia Commons.

狩野派や土佐派などさまざまな画法を学び、約70年にわたって活動した葛飾北斎。浮世絵や読本の挿絵、肉筆画、北斎漫画など多彩な画題と表現に取り組みました。

何を描いてもうまい画家で、晩年には「画狂老人」を自称するくらい、絵に打ち込んだ生涯を送りました。

北斎の名は海外にも轟いており、ゴッホやドガにも影響を与えたほど。1867年のパリ万博を機にジャポニズム(日本趣味)が流行し、《富嶽三十六景》をはじめ北斎の作品は西洋でも愛されました。

(8)歌川広重(うたがわ ひろしげ、1797-1858)

歌川広重《東海道五十三次之内「箱根湖水図」》歌川広重《東海道五十三次之内「箱根湖水図」》, Public domain, via Wikimedia Commons.

葛飾北斎と並んで二大浮世絵師に数えられるのが、歌川広重です。美人画や武者絵など幅広く手がけますが、《東海道五十三次》が大ヒットするなど、特に風景画で活躍しました。

広重が名を上げたのは観光地を描いた名所絵ですが、単に場所を描くのではなく、日常の風景を描写したところがユニークです。季節や天候、時間を織り込み、その土地で暮らす人々の暮らしまで描き出す、叙情的な作品を得意としました。

ゴッホが非常に愛した画家でもあり、《名所江戸百景「亀戸梅屋舗」》の模写が残されています。

(9)東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく、生没年不詳)

東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》, Public domain, via Wikimedia Commons.

東洲斎写楽の活動期間は1794年~1795年。10ヶ月ほどの短い期間に約150点もの絵を描き、突然に姿を消した謎めいた画家です。

歌麿の美人画の手法を取り入れたのか、写楽はドアップの役者絵でよく知られています。当時の役者絵はアイドルのブロマイドのようなもので、美化されて描かれることが多かったのですが、写楽は役者本人が持つ特徴を生々しく描き出しました。

28枚の絵を一度に発表して華々しくデビューしたと思ったら、約10ヶ月後には忽然と姿を消した写楽。いったいどんな人物だったのか、今なお盛んに研究されています。

(10)山東京伝(さんとう きょうでん、1761-1816)

山東京伝《吉原傾城新美人合自筆鏡》山東京伝《吉原傾城新美人合自筆鏡》, Public domain, via Wikimedia Commons.

山東京伝は江戸時代に活躍した浮世絵師であり戯作者です。浮世絵師としては北尾政演などの号で活躍しました。

絵だけでなく文章にも長けた京伝は、「黄表紙」や「洒落本」など風刺の効いた江戸っ子好みの文芸を牽引。文章と挿絵の両方を手がけた作品も数多く生み出しました。

2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜』で古川雄大さんが演じたこともあり、山東京伝はこれから注目度が上がっていきそうです。

(11)長沢蘆雪(ながさわ ろせつ、1754-1799)

長沢蘆雪《虎図》長沢蘆雪《虎図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

生を重視した円山応挙の高弟にあたるのが、長沢蘆雪です。作品には師匠から受け継いだ「応挙っぽさ」も感じられますが、独自の発想や美意識も強く見られ、今では「奇想の画家」のひとりに数えられています。 応挙の直接の弟子たちは応挙の継承に留まったのに対し、蘆雪は自分の画風を確立しました。表情が豊かで今にも喋り出しそうな動物など、個性の強い作品がよく知られています。

(12)池大雅(いけの たいが、1723-1776)

池大雅《楼閣山水図》(左隻)池大雅《楼閣山水図》(左隻), Public domain, via Wikimedia Commons.

江戸時代後期、新しい表現を求めた画家たちが中国の絵画を学び始め、日本で「南画(なんが)」というジャンルが発展しました。その代表的な画家が池大雅です。

中国の文人画には「優れた絵画は優れた精神と人格によって生み出される」という思想があり、南画もこれを受け継いでいます。大雅の叙情的な作品には、本人の深い教養と落ち着いた内面が表れているように思います。

(13)宮本武蔵(みやもと むさし、1584-1645)

宮本武蔵《枯木鳴鵙図》宮本武蔵《枯木鳴鵙図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ここまで頑張って読んでくださった皆さんに、ちょっと違う角度からご紹介を。剣術家の宮本武蔵も絵を描いていたことをご存じでしょうか?

禅の画題や鳥をモチーフにした水墨画が多く、どことなく静かで緊張感がある画面のように思います。シンプルで無駄がない作風に、武蔵の剣豪としての側面も感じ取れるような。

兵法を完成させるためには思想や芸術の分野を学ぶ必要がある、とも説いており、絵画に取り組むことも武蔵にとっては鍛錬の一部だったのかもしれません。

(14)松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644-1694)

「古池や蛙とびこむ水の音」などの俳句で知られる松尾芭蕉も、絵に関心を寄せていました。江戸から故郷に帰る様子をしたためた《野ざらし紀行図巻》では、紀行文だけでなく風景の絵も全体にわたって描かれています。

俳句の文芸的な価値を高めた俳聖であり、その功績が凄すぎて「画家」という肩書きを並べることに迷いを感じますが、絵による表現にも興味を持っていたのは確かなようです。芭蕉をもってしても、言葉ではなく絵で表現したいと感じることがあったのでしょうか?

芭蕉が文と絵の両方を手がけた《野ざらし紀行図巻》の写真は「幻の作品が再発見!?松尾芭蕉が自筆した《野ざらし紀行図巻》一般公開へ」の記事をご覧ください。

明治・大正・昭和時代の日本画家の一覧

明治・大正・昭和時代の日本画家の作品4枚

開国を経て海外との交流が盛んになり、日本の美術にも大きな変化が。西洋の絵画に衝撃を受け、日本の画家たちは留学して絵を学んだり、優れた絵画を見つけて日本に紹介したりしました。

一方、日本らしい美意識を大切にして絵に取り組んだ画家も大勢います。「日本画」という言葉と概念は、西洋風の絵画である「洋画」との対比により、明治期に生まれました。

(15)竹内栖鳳(たけうち せいほう、1864-1942

竹内栖鳳《金獅》竹内栖鳳《金獅》, Public domain, via Wikimedia Commons.

京都でも新しい日本画を模索する動きがあり、近代京都画壇で特に重要なのが竹内栖鳳です。

パリ万博を機にヨーロッパを旅行し、西洋絵画から強い影響を受けた栖鳳は、写実を取り入れた作風で画壇を牽引。なお、初めは棲鳳という号でしたが、西洋にちなんで「西」を取り入れた「栖鳳」としたようです。

特に得意とした動物画では、動物たちの目に命が宿り、生き生きとしたポーズで生命力豊かに描き出されています。それまでの日本美術に縛られず、かといって西洋らしさを盲目的に取り入れるのでもなく、新しい日本画を創ろうとする気概が読み取れるのではないでしょうか。

(16)上村松園(うえむら しょうえん、1875-1949)

上村松園《母子》上村松園《母子》, Public domain, via Wikimedia Commons.

京都に生まれた上村松園は、美人画の分野で活躍した女性画家です。女性として初めて文化勲章を受章した人物でもあります。

美人画は多くの画家が描いてきたジャンルですが、松園の作品には「女性が描く女性」だからこその美しさが宿っているようです。画家自身の経験や考え方が、モデルとなる女性の姿に投影されているのか、作品が醸し出す情緒が豊かに感じられます。

同時代の美人画家では東京の鏑木清方も挙げられ、「東の清方、西の松園」と並んで称されています。

(17)富岡鉄斎(とみおか てっさい、1836-1924)

富岡鉄斎《艤槎図》富岡鉄斎《艤槎図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

「最後の文人画家」と称される富岡鉄斎。学者を志した鉄斎は石門心学をはじめ儒学や神道、仏教などさまざまな学問に親しみました。日本を含む幅広い東洋の美術を研究し、絵はほとんど独学だったそう。

良い絵を描くためには「万巻の書を読み万里の路を行く」ことが必要である、という考えにならい、鉄斎は全国を旅して風景を見てまわります。徹底した研究と深い教養に裏打ちされた、理想の風景を描き出しました。

(18)小林清親(こばやし きよちか、1847-1915)

小林清親《東京新大橋雨中図小林清親《東京新大橋雨中図》, Public domain, via Wikimedia Commons.

江戸時代の木版画を継承し、最後の浮世絵師のひとりとされているのが、小林清親です。西洋絵画や写真の影響を受け、光と影で明暗を強調する「光線画」を生み出しました。

ガス灯の並ぶ道を和服の人物が歩いている風景など、清親は江戸が明治の東京へと変わっていく街の様子を巧みに捉えました。幼少期を過ごした江戸の景色への懐かしさが込められているのか、情緒のある作品に特徴があります。

(19)吉田博(よしだ ひろし、1876-1950)

>小林清親《東京拾二題「亀井戸」》小林清親《東京拾二題「亀井戸」》, Public domain, via Wikimedia Commons.

吉田博は風景画を得意とし、洋画と版画で活躍しました。当時の版画は「新版画」と呼ばれています。

ご存じのとおり、江戸時代には浮世絵版画が大ブームに。しかし文明開花により西洋文化に関心が移ったこと、写真や新聞といった他の印刷物が登場したことなどから、浮世絵は衰退していきました。

そんなときに、新しい版画でこのジャンルをまた盛り上げよう! と生まれたのが、新版画です。

もともと洋画家だった吉田は、版元の渡邊庄三郎と出会って版画の道へ。欧米を旅行した経験と洋画の技術を活かし、グランドキャニオンやマッターホルンをはじめとする海外の風景を描いた新版画で人気を博しました。

(20)佐伯祐三(さえき ゆうぞう、1898-1928)

佐伯祐三《黄色いレストラン》佐伯祐三《黄色いレストラン》, Public domain, via Wikimedia Commons.

20人目の画家は、エコール・ド・パリの時代に活躍した洋画家、佐伯祐三です。東京美術学校を卒業してパリに渡り、ヴラマンクやユトリロの影響を受けつつ、パリの街角をテーマに自分だけの表現を模索しました。

特筆したいのは、佐伯はパリの美術界で頭角を現しつつあった、ということ。当時のパリは、モディリアーニやシャガールなど、世界各地から芸術家を志す人々が集まる芸術の都です。ハイレベルな環境で、佐伯はサロン・ドートンヌへの入選を果たし、注目を集めていました。

画家としてもっと大きな花を咲かせられる、という時期でしたが、30歳で夭折。彼の作品も展覧会で見かける機会が多いかな、と思ったので、取り上げてみました。

【おわりに】20人の日本画家をまとめてみて

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。書くのも大変でしたが、読むのも相当大変だったと思います…!

1人分の説明はとても短く、書き手としてはもっと文字数を割いて注釈をつけないと不安なのが本音。それでも20人分まとめると結構な文字量になりますね……。何か1つでも記憶に残れば十分だと思います。

ときどき「明菜さんは美術に詳しいですね」と、おそれ多くも言っていただきますが、参考文献なしにこういう記事を書けるわけではないんです。大まかな美術史の流れは頭に入っており、口では結構説明できるつもりなのですが、話し言葉をそのまま書くと薄っぺらい……。そういうことありません?不思議だなあ。

私もいろんな文献を確認し、言葉を選び、時間をかけて書きました。読者の皆さんも一度で全部理解しなくて大丈夫ですし、興味のあるところだけつまみ食いでも全然OKです。

読み疲れてしまったかもしれないですが、この記事を開いたときは、「日本美術について知りたい」という気持ちがあったのではないでしょうか。その思いを大切に、もっと深く知りたい、調べたいと思っていただけたら嬉しいです。では、また次の記事でもお会いしましょう!

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明菜

明菜

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美術ブロガー/ライター。美術ブログ「アートの定理」をはじめ、各種メディアで美術館巡りの楽しさを発信している。西洋美術、日本美術、現代アート、建築や装飾など、多岐にわたるジャンルを紹介。人よりも猫やスズメなど動物に好かれる体質のため、可愛い動物の写真や動画もSNSで発信している。

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