STUDY
2024.9.6
自由な個性で日本美術を彩る「琳派(りんぱ)」を解説。私淑によって生まれた流派とは
琳派(りんぱ)といえば、《風神雷神図屏風》などが有名な日本美術のひとつの流派。日本美術では狩野派と並んで有名な流派ですが、実は、琳派はかなりの個性派です。
尾形光琳《風神雷神図屏風》, Public domain, via Wikimedia Commons.
デザイン性が高く現代の感性で見てもかっこいい絵を生み出した琳派の画家たち。一般的な師匠・弟子の関係とは異なる形で結びついているんです。
この記事では、琳派の成り立ちや重要な画家、作品と作風について紹介します。ちょっと変わった流派であること、だからこそ個性豊かな絵画が生まれたことについて、理解を深めていきましょう。
琳派のキーワードは「私淑」
俵屋宗達《扇面散屏風》, Public domain, via Wikimedia Commons.
琳派の最大の特徴は「私淑」です。一般的な流派と異なり、師匠が弟子に絵を教える、という関係ではありません。画家が亡くなったあと、残された作品を通して間接的に学ぶ者が現れ、その繰り返しで琳派という流派の形になりました。
師匠を尊敬して作品の模写などをする一方、師匠の機嫌を取らなくて良いからでしょうか、琳派の画家たちはのびのびと自由に絵画を創造していたように思います。自由度の高さも、琳派の魅力のひとつではないでしょうか?
琳派の祖・俵屋宗達
俵屋宗達《風神雷神図屏風》, Public domain, via Wikimedia Commons.
ここからは、琳派の重要な画家を3人に絞って解説していきます。まずは俵屋宗達(たわらや・そうたつ、1570頃-1643以前?)です。姓からは「俵のお店屋さん…?」と不思議に感じますが、「俵屋」という絵屋または扇屋だったそうです。
江戸時代の京都で絵師として活動していた宗達は、当時の裕福な人々からの支持を得て、金箔をふんだんに使った華やかな作品を多く制作しました。国宝《風神雷神図屏風》が特に有名です。
俵屋宗達《蓮池水禽図》, Public domain, via Wikimedia Commons.
また、にじみを生かした「たらしこみ」という技法を初めて使ったのが、宗達とされています。先に塗った絵具が乾く前に色や濃淡の異なる絵具を載せてにじませ、偶然の効果で模様を生む技法です。
「金箔」と「たらしこみ」は、以降の琳派の画家たちも真似し、受け継いでいきます。「私淑」と並ぶ琳派の重要なキーワードなので、ぜひ琳派の作品を鑑賞するとき、思い出してみてくださいね。
琳派を大成させた尾形光琳
尾形光琳《燕子花図屏風》(右隻), Public domain, via Wikimedia Commons.
宗達の死後、私淑する形で琳派を大成させたのが尾形光琳(おがたこうりん、1658-1716)です。宗達が残した作品を通して自ら学び、その画風を継承しました。
「金箔」「たらしこみ」という宗達流を受け継ぐことはもちろん、光琳は独自のセンスも遺憾なく発揮。国宝《燕子花図屏風》では、燕子花のみをリズミカルに配置する、思い切った構図を打ち出しました。(私のような凡人は、鳥や虫、背景など色々描かないと不安になります…)
尾形光琳《紅白梅図屏風》, Public domain, via Wikimedia Commons.
国宝《紅白梅図屏風》でも、中央に大きな流れを配置してわざわざ画面を分断し、左右に紅白の梅の木を分けて配置するという、なかなか斬新な構図に挑戦しました。余計な要素のないシンプルさと、ドーンと思い切りの良い大胆な構図が、光琳の持ち味と言えます。
江戸に琳派を広めた酒井抱一
酒井抱一《桜図屏風》(左隻), Public domain, via Wikimedia Commons.
光琳の約100年後、琳派の舞台は江戸へと移ります。酒井抱一(さかい・ほういつ、1761-1829)は光琳に私淑し、江戸琳派の祖となります。
俳諧をたしなむ抱一の画風は、詩情が豊かで情緒に富んでいます。思い切りの良い光琳の「ドーン!」な作風を抱一の感性で消化したのか、金や銀を使いながらも派手にならず、しっとりした作風が特徴です。
酒井抱一《風神雷神図屏風》, Public domain, via Wikimedia Commons.
宗達・光琳・抱一は《風神雷神図屏風》を同じ構図で描いています。師匠を尊敬する気持ちと、「でも自分はこういう風に描きたい!」というそれぞれの個性が感じられるので、ぜひ見比べてみてください。
琳派に影響を受けた?金箔を多用したクリムト
グスタフ・クリムト《接吻》, Public domain, via Wikimedia Commons.
ところで、西洋にも琳派と同じように金箔を多様する画家がいました。19世紀末のウィーンで活躍したグスタフ・クリムト(1862-1918)です。
琳派が興った江戸時代の日本と、19世紀末のウィーンは、時代も場所も異なります。また、クリムトは日本を訪れたこともありません。一見、関係なさそうな両者ですが、クリムトは琳派の影響を受けていた、とする説があるのです。
関連記事:妖艶な作品ばかり?クリムトの人生と作品の特徴・見どころ紹介
グスタフ・クリムト 《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》, Public domain, via Wikimedia Commons.
両者が交差したのは、1873年のこと。ウィーン万博が開かれ、日本からは光琳の《紅白梅図屏風》が出品されました。クリムトは万博を訪れて作品を見て、衝撃を受けたのではないか、と考えられています。
《接吻》をはじめとするクリムトの黄金時代の絵画は、たしかに琳派を彷彿とさせる絢爛さがあります。もしクリムトが本当に琳派からの影響を受けていたなら、海を越えた「私淑」であり、琳派らしい広がり方と言えるのではないでしょうか?(クリムトも琳派の一員…というのは言い過ぎでしょうか)
私淑でつながった日本美術の流派・琳派
狩野派や長谷川派などさまざまな流派が彩る日本美術史において、私淑によって生まれた琳派は少し異彩を放っています。
金箔やたらしこみに特徴がある流派ですが、何よりも重要なのが「個性」だと思います。師匠がそばにいなかったからこそ、「師匠からの継承」と「個人の自由な美意識」を両立できたのではないでしょうか。
琳派の画家たちの作品を見る際には、新しい絵画を創造しようとする彼らの意欲にも着目してみると、鑑賞がより楽しくなると思います!
関連記事:狩野派?琳派?日本美術史の「流派」を押さえて楽しく鑑賞しよう
関連記事:琳派の継承者・神坂雪佳の世界に触れてみよう。神坂雪佳展内覧会レポート
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美術ブロガー/ライター。美術ブログ「アートの定理」をはじめ、各種メディアで美術館巡りの楽しさを発信している。西洋美術、日本美術、現代アート、建築や装飾など、多岐にわたるジャンルを紹介。人よりも猫やスズメなど動物に好かれる体質のため、可愛い動物の写真や動画もSNSで発信している。
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