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2026.8.6

『ラス・メニーナス』に描かれたあの子は誰?スペイン王女マルガリータの儚い生涯

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『ラス・メニーナス』は、スペインの宮廷画家であるディエゴ・ベラスケス(1599-1660)が1656年に制作した作品です。本作はベラスケスの死の4年前に描かれたもので、彼の最高傑作として知られています。

この名作の中心に立っているのは、当時5歳のマルガリータ・テレサ。幼いながらも王女の風格が漂うその姿に、鑑賞者は強く惹きつけられます。

この魅力的な小さなヒロインが、『ラス・メニーナス』に描かれたあとどのような人生を送ったのかご存じでしょうか。

本記事では、王女のいくつかの肖像画とともに、彼女の短く儚い生涯をご紹介します。

血族結婚を繰り返したスペインのハプスブルク家

ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス』, Public domain, via Wikimedia Commons.

マルガリータ・テレサ(1651-1673)が生を受けたのは、17世紀のスペイン宮廷に君臨するハプスブルク家でした。

当時のスペイン・ハプスブルク家では、血族結婚が繰り返されていました。王族たちは、自分たちの血筋に他家の血が混じるのを嫌ったのです。
マルガリータ・テレサ自身も、叔父と姪の間柄で結ばれた両親の長女として生まれました。

ディエゴ・ベラスケス『黒衣のフェリペ4世』, Public domain, via Wikimedia Commons.

マルガリータ・テレサの父であるフェリペ4世(1605-1665)は、スペインの国王です。彼はベラスケスの描く肖像画を非常に気に入っており、他の画家に自分の絵を描かせなかったと言います。

ディエゴ・ベラスケス『王妃マリアナ』, Public domain, via Wikimedia Commons.

そんなフェリペ4世の2番目の妻となったのが、マルガリータ・テレサの母であるマリアナ・デ・アウストリア(1634-1696)でした。彼女はフェリペ4世の実の姪であり、マルガリータ・テレサを含む5人の子どもを産みました。

「青い血」を受け継いだちいさな王女

ディエゴ・ベラスケス『白と銀のドレスを着たマルガリータ』, Public domain, via Wikimedia Commons.

スペインのハプスブルク家では、長年にわたる血族結婚の繰り返しが、死産、先天性の病気、そして乳幼児の死亡率の高さに繋がっていきました。それでも王族たちは、高貴な自分たちの血筋を守るために近親者同士の婚姻を繰り返したのでした。

その長い繰り返しの中で、彼らの遺伝子はより濃くなりました。そして、この一族特有の外見的特徴を強めていったのです。

金髪に碧眼、そしてあまりにも白い肌のために浮き出ていた青い血管。この特徴から、スペイン・ハプスブルク家は「青い血」を持っていると言われるようになりました。

マルガリータ・テレサも、こうした特徴を強く持つ王女として描かれています。

ディエゴ・ベラスケス『青いドレスのマルガリータ王女』, Public domain, via Wikimedia Commons.

『青いドレスのマルガリータ王女』は、マルガリータ・テレサが8歳になったばかりの頃に描かれた肖像画です。本作を描き上げた翌年にベラスケスはこの世を去ったため、これが彼の手による最後のマルガリータ像として残っています。

横に大きく張り出したドレスは、当時のスペイン宮廷の女性たちの定番の装いでした。しかし、他のヨーロッパ諸国ではこのファッションは時代遅れとされていたと言います。

さらにこの頃、スペインはフランスに敗戦し、ヨーロッパの覇権を奪われつつありました。かつて隆盛を誇ったスペインという国に、少しずつ陰りが差してきた時期だったのです。

このように複雑な状況の中、マルガリータ・テレサは「青い血」を受け継ぎながら、大人の女性へと成長していきました。

実の叔父・レオポルト1世との結婚

フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マソによる『喪服を着たマルガリータ・デ・オーストリア』, Public domain, via Wikimedia Commons.

マルガリータ・テレサが14歳の頃、父であるフェリペ4世がこの世を去りました。

その翌年、マルガリータ・テレサはウィーンへと向かいました。神聖ローマ帝国の皇后となるため、故郷スペインから旅立ったのです。

マソによる『喪服を着たマルガリータ・デ・オーストリア』には、タイトルの通り喪に服した姿のマルガリータ・テレサが描かれています。

幼い頃の可愛らしさは影をひそめ、暗い視線をこちらに向けているのが印象的です。

そんな彼女の結婚相手となったのは、母・マリアナの実の弟であるレオポルト1世(1640-1705)です。

ベンジャミン・ブロック『金羊毛騎士団の首飾りをつけた若き日のレオポルト1世の肖像』, Public domain, via Wikimedia Commons.

マルガリータ・テレサより11歳年上のレオポルト1世は「バロック大帝」と呼ばれるほど文化を愛し、陽気な男性だったと言われています。

皇帝でありながら、自身でも作曲をして多くの音楽を生み出しました。彼の治世で、ウィーンはヨーロッパにおける文化芸術の一大拠点となったのです。

レオポルト1世は、マルガリータ・テレサとの結婚披露宴に豪勢な演出を加えました。
オペラやコンサート、そしてサーカスに花火大会。この賑やかさは、ヨーロッパ最大の饗宴として後世にも知られています。

束の間の幸福な日々

血の繋がった実の叔父のもとへ嫁いだマルガリータ・テレサ。しかし、夫となったレオポルト1世との仲は非常に睦まじかったという証言が残っています。

マルガリータ・テレサはレオポルト1世のことを「おじさま」と呼び、レオポルト1世は妻を「グレーテル(マルガリータのドイツ語の愛称)」と呼んで、互いに大切にしていました。

ヤン・トーマス『戯曲「ラ・ガラテア」のアキス役レオポルト1世』, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヤン・トーマス『劇場の衣裳を着た皇后マルガリータ・テレサ』, Public domain, via Wikimedia Commons.

ヤン・トーマスによる『戯曲「ラ・ガラテア」のアキス役レオポルト1世』、そして『劇場の衣裳を着た皇后マルガリータ・テレサ』という一対の夫婦像では、皇帝夫妻とは思えないほど解放されたふたりの姿が描かれています。

この絵は披露宴の期間に描かれた作品で、牧人劇『ラ・ガラテア』の扮装をしたものです。ヒツジ飼いの青年アキスと海神の娘ガラテアの愛を描いた作品で、レオポルト1世はアキスの衣裳を、マルガリータ・テレサはガラテアの衣裳を纏っています。

マルガリータ・テレサの表情は、スペインの宮廷で喪服を着ていた時とは別人のように華やいで見えます。しかし、この幸せな夫婦生活は長くは続きませんでした。

絵の中に生き続ける王女

ディエゴ・ベラスケス『ピンクのドレスを着たマルガリータ・テレサ』, Public domain, via Wikimedia Commons.

何世代にもわたる血族結婚の繰り返しは、マルガリータ・テレサにも儚い運命を課すことになりました。

当時は現代より寿命が短く、幼児の死亡率も高い時代でした。ひとりでも多くの子孫を残すために、10代の女性が出産することは珍しくありませんでした。

マルガリータ・テレサも、この時代の多くの女性たちと同じように16歳で最初の子を出産します。この子は男の子でしたが、生後1年も経たないうちに夭折しました。

続いて、18歳で女の子を、19歳でふたたび男の子を出産しました。女の子(マリア・アントニア)は成人するまで生き延びましたが、男の子の方は死産でした。

その2年後、4人目の子を産む際に母子ともに命を落とし、マルガリータ・テレサは21年の短すぎる生涯を終えたのでした。若すぎる年齢で短期間に出産を繰り返したことは、彼女の身体に大きな負担をもたらしたことでしょう。

まとめ

ベラスケスによって描かれた『ラス・メニーナス』。そして、彼が残した数々の幼いマルガリータ・テレサの肖像画。

彼女の儚い生涯とは対照的に、それらの作品は数百年経った今日でも、多くの人々に愛されています。
その永久性は、まるでマルガリータ・テレサが絵の中に閉じ込められ、永遠に生き続けているかのようにも思えます。

・参考書籍
『残酷な王と悲しみの王妃』著:中野京子(集英社)
『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』著:中野京子(光文社)

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糸崎 舞

糸崎 舞

元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。

元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。

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