STUDY
2025.5.2
上村 松園の異色作《花がたみ》と《焔》、その真意とは?
上村 松園(うえむら しょうえん)といえば、美人画の名手として日本美術史に名を残す存在。
明治、大正、昭和を生き、女性として初めて文化勲章を受章した彼女は、常に気品と清らかさを追求し、女性の内面に宿る強さややさしさを筆先で表現してきました。
目次
上村松園, Public domain, via Wikimedia Commons.
しかし、そんな松園の作品のなかに、明らかに「ただ美しい」だけではない、異質な存在感を放つ2枚の絵があります。それが、《花がたみ》(1915年)と《焔(ほのお)》(1918年)です。このふたつは、松園が自らの限界と向き合い、深い苦悩のなかで生み出した、まさに「心をえぐるような」作品でした。
気品に満ちた世界の中に、ただならぬ2枚の絵がある
上村松園『牡丹雪』, Public domain, via Wikimedia Commons.
上村松園の多くの絵に共通するのは、整った着物姿、澄んだ顔立ち、そして凛とした空気感。その世界はまさに、香り高く、宝石のように輝く女性たちの静かな佇まいで満ちています。
しかし、《花がたみ》と《焔》には、それまでの作品とは異なる感情が湧き上がってくるような異彩があります。画面には狂気や嫉妬、苦悩といった激しい感情が漂い、観る人の心をつかんで離しません。
これらはただの“異色作”ではありません。松園にとっても、自らの表現を根本から問い直し、乗り越えようとした挑戦の記録だったのです。
《花がたみ》——静かなる狂気の美
《花がたみ》は、能の演目《花筐(はながたみ)》に登場する照日前(てるひのまえ)という女性を描いた作品です。かつて愛された皇子が天皇となり、彼女のもとを去ったあと、照日前は狂女となって都へ現れ、舞を通して愛の記憶と喪失を訴えます。
上村松園《花がたみ》1915年 松柏美術館所蔵, Public domain, via Wikimedia Commons.
《花がたみ》は1915年に制作され、第9回文部省美術展覧会に出品された作品です。このとき展覧会では「美人画室」と呼ばれる、美人画だけを集めた展示室が設けられました。そこに展示された作品の多くは、当時の風俗に取材した艶やかな美人画であり、批評家から厳しい評価を受け、女性画家たちが非難の対象となってしまいます。
松園の《花がたみ》はこの美人画室には展示されませんでしたが、そうした状況を受けて、彼女は以降の出展において現代風俗を扱うことに慎重になっていきました。
そんななか、《花がたみ》の制作には異例のアプローチが取られます。照日前の“狂乱の舞”を描くために、松園は祇園の芸妓たちに舞を再現させて写生を行い、さらには京都・岩倉の精神病院にまで足を運び、実際に心を病む人々の表情や動作を観察したのです。
松園は「狂女の顔は、能面に似ている」と直感します。能面は表情が固定されているようでいて、光や角度によって微妙に異なる感情を浮かび上がらせます。松園は、照日前の“見えない心の動き”を、あえて能面のように無表情に近づけることで、より深く、観る人の想像力に訴えかける演出を選びました。
《花がたみ》は、縦208cm・横127cmにも及ぶ大作で、画面全体からただよう緊張感が印象的です。照日前の着物には、秋草や流水文様が丁寧に描かれ、その繊細さが狂気との対比を際立たせています。一見静かながら、内側からあふれる狂おしい感情がにじみ出る、松園渾身の表現です。
しかし、社会の偏見と向き合いながらも気丈に描き続けていた松園でしたが、40代に入ってから年下の男性との恋が破れ、大きな心の痛手を受けます。その影響もあって、1917年には神経をすり減らし、ついには文展への出品を断念せざるを得ないほど、深いスランプに陥ってしまいました。
《焔》——数多ある絵の中の、たった一枚の凄艶
このスランプを乗り越えるために松園が取り組んだのが、《焔》(1918年)でした。題材としたのは、《源氏物語》に登場する六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)。愛する光源氏の正妻・葵上に嫉妬するあまり、魂が抜け出し“生霊”となって彼女を苦しめる存在です。
大きな画面(189×90cm)に描かれた女性の姿には、強い情念が渦巻いています。噛みしめた口元、絡みつく藤の花と蜘蛛の巣。絢爛な打掛には、不穏さと執念が滲み出ています。これはまさに、美人画という枠を超えた、“一枚の物語”でした。
上村松園《焔》1918年 東京国立博物館所蔵, Public domain, via Wikimedia Commons.
女性の目には金泥が施され、光を受けて妖しく輝きます。さらに歯にも金彩が使われ、視線を吸い寄せるような緊張感があります。描かれた女性の姿は前かがみに身をよじらせており、その動きの不安定さが、心の乱れをより生々しく伝えています。
松園の孫である画家・上村淳之によれば、松園は「生霊ならば形にできる」と考えてこの作品に挑み、当初は《生き霊》という仮題だったものを、謡曲の師である金剛巌(こんごう・いわお)の助言で《焔》と名づけたといいます。
松園自身、この作品で情念というテーマをやりきったと感じたのか、その後しばらくこの路線を描くことはありませんでした。《焔》はまさに、「数ある作品の中で、たった一枚の凄艶な絵」と呼ぶにふさわしい異色作です。
「焔」のあと、松園はどこへ向かったのか
《焔》以降、松園は再び「静かな美」へと回帰していきます。情念を描ききったことで、むしろ内に思いを秘めた、落ち着いた女性像へと向かったのです。実際、1918年に《焔》を発表してからしばらくの間、彼女は大きな展覧会への出品を控え、制作にも一定の沈黙期間を経ています。
《焔》で情念を描ききった達成感と疲労感、さらに次なるテーマを模索する熟成の時間が必要だったとも考えられます。この時期は、松園にとって新たな表現に向けた「準備期間」だったのでしょう。
1922年には、古代中国の美女・楊貴妃を描いた《楊貴妃》を発表。以降も天女や母子像といった、清らかで凛とした女性像を描き続け、日本の美を極めていきます。
上村松園《楊貴妃》1922年 松伯美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼女が語った有名な言葉があります。
「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」
この言葉こそが、松園のすべてを物語っています。
表面の美だけでなく、「心」を描きたかった
上村松園は、ただの美人画家ではありませんでした。女性として社会的に制限の多い時代に、自分の表現と真摯に向き合い続けた画家。内なる情熱や痛み、悲しみを絵の中で昇華し、そこに気品と美を添えることができた唯一無二の存在でした。
《花がたみ》と《焔》は、そんな松園の“揺れる心”をそのまま映し出したような2枚です。だからこそ、今もなお私たちの心に迫ってくるのでしょう。
数多くの美しい絵のなかで、ただ2枚だけ、異質なほどに強く燃える作品がある。その存在は、松園という画家の深みと強さを雄弁に物語っています。
【参考文献】
上村松園 まとめ https://nomurakakejiku.jp/column/post-15857.html
焔 (絵画) https://ja.wikipedia.org/wiki/焔_(絵画)
上村松園の《花がたみ》と《焔》ー謡曲に由来するあやしい傑 https://go-to-museums.com/syouen-hh-1416
美人画の最盛期 ー上村松園を中心に関西の美人画家の女性表現を探る https://www.tad.u-toyama.ac.jp/_wp/wp-content/uploads/2024/02/takeda.pdf
上村松園 https://www.hanada-gallery.co.jp/artwiki/artists/view/uemura_syoen

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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
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