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2026.10.14
印象派唯一のアメリカ人女性。メアリー・カサットが変えた“女性の描き方”って?
日本でも人気の「印象派」。
印象派と聞いて、あなたは誰を思い浮かべますか。
「光の画家」として知られるクロード・モネ、踊り子たちの躍動する肉体を描いたエドガー・ドガ、そして「幸福の画家」と称されたピエール・オーギュスト・ルノワールなど。
私たちに馴染みの深い印象派の画家たちは、男性ばかりではありませんか?
しかし、印象派の一員として活躍した、ひとりの女性がいました。彼女の名は、メアリー・カサット(1844-1926)。印象派展覧会に参加した、唯一のアメリカ人画家です。
目次
女性が職業画家として生きていくのが難しかった時代にもかかわらず、数々の名作を生み出し、また印象派の作品を多くのアメリカ人に紹介しました。
2026年は、カサットの没後100年にあたります。
彼女が美術界にどのような影響を与え、どんな功績を遺したのか。
一緒に紐解いていきましょう。
女性が職業画家になれなかった時代に、パリに渡ったアメリカ人女性
メアリー・カサット『自画像(1878年)』, Public domain, via Wikimedia Commons.
メアリー・カサットは、1844年にペンシルベニア州アレゲニー市(現在のピッツバーグ)に生まれました。
実家は裕福で、カサットは15歳の頃にはペンシルベニア美術アカデミーに通いながら絵の練習をしていました。当時、裕福な家の子女が絵を習うことは教養のひとつだとされていたためです。
恵まれた環境で絵を学び続けたカサットは、いつしか職業として画家を目指すようになりました。そして21歳の頃、「画家として生計を立てるつもりだ」と両親に宣言しました。
1800年代後半には、女性が職業画家になる道はほぼありませんでした。ほとんどの美術学校や展覧会は女性を受け入れず、パリの国立美術学校(エコール・デ・ボザール)も女性の入学を認めていませんでした。
そうした時代にあって、カサットの決意は非常に異例なことだったのです。
メアリー・カサット『アレクサンダー・J・カサットとその息子ロバート・ケルソ・カサットの肖像画』, Public domain, via Wikimedia Commons.
両親は反対したものの、最終的にカサットの強い意思を受け入れ、1866年にフランス・パリへ旅立つことを許しました。
この頃のフランスでは、皇帝として君臨していたナポレオン三世の変革によって、絵画の世界は大きな繁栄を見せていました。
王侯貴族だけでなく中流階級に属する人々が美術品を購入できるようになり、売買が拡大。さらに美術学校や美術教師の数も増え、新聞や雑誌などで意見を発表する美術評論家も登場しました。
カサットはこうした変革の時代のフランスで、画家としての一歩を踏み出したのでした。
彼女はその後生涯独身を貫き、82歳で没するまで、筆一本で自立した職業画家として生きることになりました。しかし、カサットは家族を深く愛し、彼らの姿を多く絵に残しています。
『アレクサンダー・J・カサットとその息子ロバート・ケルソ・カサットの肖像画』では、カサットの兄アレクサンダーと甥ロバートの仲睦まじい様子が描かれています。よく似た顔立ちの親子が、同じ方向を向いている姿に心が温まる肖像画です。
ドガとの出会い。印象派へ、そして袂を分かつまで
クロード・モネ『印象、日の出』, Public domain, via Wikimedia Commons.
当時、パリの美術界では、フランス美術アカデミーが主催する官展「サロン」が絶対的な力を持っていました。
年に一度開かれるこの公式展は、入選か落選かで画家の生涯が決まる、まさに登竜門。
伝統的な手法・題材から外れた作品は容赦なく落とされ、落選作品のキャンバスの裏には、赤文字の「R」が押されて返送されました。こうした仕組みは、多くの画家たちを苦しめていたのです。
これに反発したのが、モネ、ドガ、ルノワールなど約30名の画家たちでした。
彼らは1874年にサロンとは別の独立展を開き、1886年まで計8回を数えました。
しかし、彼らの作品は批評家たちから酷評され、モネの作品『印象、日の出』というタイトルから「印象派」と揶揄されるようになりました。
その頃、カサットは生涯の友に出会うことになります。
その人物こそが、エドガー・ドガ(1834-1917)。
バレエの踊り子たちの絵でよく知られている画家です。
エドガー・ドガ『ダンスクラス』, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼は印象派の一員でありながら、ほかの画家たちのように戸外には出ず、室内で絵を描き続けました。また、黒を積極的に作品に用い、日本の浮世絵の構図を取り入れる独自性を見せました。
カサットがドガの絵と出会ったのは、1875年。美術商の店に飾られていた彼のパステル画に、強い印象を抱きました。
一方のドガも、カサットの作品に強い関心を持ちました。1877年には、ドガがカサットのアトリエを訪れ、印象派の一員へと誘ったと言われています。
そこから2年後の1879年、カサットは初めて印象派の画家として展覧会に出展したのです。
エドガー・ドガ『自画像(1855年)』, Public domain, via Wikimedia Commons.
さらに、カサットの『青い肘掛け椅子に座る少女』は、ドガが関わった作品としても知られています。
ドガはカサットの作品にフィードバックを続け、それは時に厳しい批判を伴うこともありました。しかしカサットは、ドガの言葉を必要とし続けました。
メアリー・カサット『青い肘掛け椅子に座る少女』, Public domain, via Wikimedia Commons.
カサットとドガは、その後40年にもわたり親交を深めていきました。
印象派のやわらかな軽いタッチや明るい色づかいなどが気に入ったカサットは、それらを自分の作品へと取り入れていきました。
陽気でダイナミック、健全で楽観的な人生観を持っていたカサットと、陰鬱でシニカルな一面があったドガの性質は大きく異なりました。しかし、どちらも対象物をありのままに描き、風景よりも人物画を好むなど、自らの作品制作について共通の思いを持っていたのです。
ある年、印象派の展覧会にドガの絵が展示されないことが決まった時には、カサットも出展するのをやめたほどでした。
それほどまでに強固な友情で結ばれていたカサットとドガでしたが、1890年代には別の道を歩むことになりました。
この頃から、カサットは印象派の路線から離れ、自分自身の世界を育んでいきます。
男性の視線から解放された、"自分自身"としての女性の姿
1890年にパリで開催された日本版画の大展覧会。
ここで出会った浮世絵は、その後のカサットの作品に大きな影響を与えました。
1893年に描かれた『沐浴』や、1899年頃に描かれた『母と子/楕円鏡』などに見られるように、母親と子どもたちは、カサットが画家として成熟した時期の主なモチーフとなりました。
『沐浴』では、日常の何気ない入浴の一場面が描かれています。そこに使われているのは、対象を俯瞰する浮世絵の構図でした。
メアリー・カサット『沐浴』, Public domain, via Wikimedia Commons.
メアリー・カサット『母と子/楕円鏡』, Public domain, via Wikimedia Commons.
また、カサットは身近な女性の姿も多く描き残しています。
1881年には、姉リディアをモデルにした『タペストリーの織機に向かうリディア』を発表しました。リディアは生涯、カサットの重要なモデルであり続けましたが、この翌年に亡くなってしまいました。カサットは悲しみに打ちひしがれ、数ヶ月間仕事が手につかなかったといいます。
メアリー・カサット『タペストリーの織機に向かうリディア』, Public domain, via Wikimedia Commons.
カサットの大きな功績として、このように「生活する女性たちの姿」を描き、画題のひとつとして確立させたことがあります。
それまでの画壇では、女性は主に官能的な姿や、聖母マリアと幼子キリストのように宗教的なモチーフとして描かれてきました。
しかしカサットは、印象派に加わって以降「同年代の女性たちの、子どもたちとの親密な“生活”の世界」を描き続けてきました。これは長い絵画史の中で、男性の視点でしか表現されてこなかった女性たちを解放し、「自分自身」としての姿を作品の中に残した偉業といえるでしょう。
メアリー・カサット『現代の女性』, Public domain, via Wikimedia Commons.
実際、カサットは1893年のシカゴ万博にて女性館の壁画『現代の女性』を描きました。この作品には男性を一切登場させず、女性だけの世界を作り上げました。
壁画は3つのセクションに分けられています。
左側には、名声を追い求める若い少女たち、中央には知識の果実を摘む女性たち、そして右側には芸術や音楽、踊りを楽しむ女性たちです。
この作品は神話や聖書、美術史などを組み合わせ、それぞれの目標を追い求める女性たちの姿を表現したものです。
しかし、カサットの思いとは裏腹に、男性が目立って登場しないこの壁画は大きな批判を受けました。特に、女性が知識の成果を若い世代に伝える様子を描いた中央部分は、多くの批評家から酷評されてしまいました。
このような逆境にあっても、カサットは女性が自立するための考えを支持し続けました。アメリカの女性参政権運動に積極的に参加し、この運動を支援するための展覧会に出品したエピソードも残っています。
彼女は自分が活躍するだけでなく、女性全体の地位向上に努めた画家だったのです。
画家としても、芸術品の橋渡し役としても
1914年のメアリー・カサット, Public domain, via Wikimedia Commons.
数十年にわたり、カサットはアメリカ人の友人たちにフランスの印象派作品の購入を勧めていました。
大きな理由はふたつあり、ひとつは画家たちの生活を支えるため。そしてもうひとつは、当時文化的には無知だと思われていたアメリカの芸術水準を高めようとしたためです。
カサットは一貫して、芸術とは贅沢品ではなく、生活に欠かせない必需品だと考えていました。
裕福なアメリカのコレクターたちが芸術作品に真剣に投資することで、いずれはアメリカ全体の芸術が豊かになると信じていたのです。
画家としての歩みと芸術の普及に尽くした姿勢が評価され、カサットは1904年にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章しました。
そして1914年、カサットは白内障によって徐々に視力を失っていき、やがて制作を離れました。
その後1926年に82歳で亡くなり、現在も19世紀後半を代表する偉大なアーティストの一人として記憶されています。
これまでの男性画家たちが描かなかったものを描き続けたカサットは、女性が絵で生計を立てることが困難だった時代に、後に続く女性たちの道を切り開く偉業を成し遂げました。
また、印象派の画家たちの作品とアメリカのコレクターの橋渡しをし続けたことは、その発展に大きな影響を与えています。
母と子を主役に生活という身近な主題を選び続けたカサット。その人生は、計り知れない数の人々の未来を照らしたことでしょう。
メアリー・カサット『舟遊び』, Public domain, via Wikimedia Commons.
参考書籍:
『社会を変えた50人の女性アーティストたち』著:レイチェル・イグノトフスキー、訳:野中モモ(創元社)
『メアリー・カサット はじめて読む芸術家ものがたり3』著:スーザン・E・マイヤー、訳:渡辺真藍(同朋社)
『子どものための美術史 世界の偉大な絵画と彫刻』著:ヘザー・アレクサンダー、イラスト:メレディス・ハミルトン、監修:千足伸行、訳:野沢佳織(西村書店)
『岩波 世界の巨匠 第III期 カサット』著:アリソン・エフェニー、訳:松本透(岩波書店)
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糸崎 舞
元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。
元舞台俳優。現役時代、さまざまな演劇作品に出演した経験を通じて、世界中の歴史や文化、芸能への深い理解を培いました。俳優としての経験を活かし、アートの中に息づく文化や歴史を解説します。 好きなアーティストは葛飾北斎とアルフォンス・ミュシャです。
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