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2021.10.27

「旅情詩人」と呼ばれた版画家、川瀬巴水の人生をたどる。『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』展レポート

大正から昭和にかけて活躍した版画家、川瀬巴水(かわせ はすい 1883〜1957年)。「昭和の広重」とも呼ばれ、日本各地を描いた風景版画は海外でも知られ、「HASUI」として「HOKUSAI」と並び称されるほど人気を集めてきました。

今年はすでに東京と神奈川にて計2回の巴水展が開かれるなど、巴水のいわば当たり年。ファンにはたまりませんが、その締めくくりに相応しい充実した回顧展が、新宿のSOMPO美術館にて行われています。巴水の歩んだ人生とともに魅力を紹介します。

川瀬巴水『芝増上寺』 東京二十景川瀬巴水『芝増上寺』 東京二十景 1925(大正14)年  巴水の作品の中でも最も売れたとされる人気作。摺られた数は実に3000枚にのぼるとも伝えられています。

35歳にして遅咲きのデビュー。渡邊庄三郎の「新版画運動」とは?

川瀬巴水『塩原三部作』展示風景川瀬巴水『塩原三部作』展示風景 東京の芝に生まれた巴水でしたが、伯母夫婦の住む塩原へは第二の故郷として何度も足を運びました。

東京の芝区(現在の港区)に生まれ、幼少期から絵を好み、画家を志していた巴水。しかし糸屋の跡取りという立場から、なかなか周囲の理解をとりつけることができませんでした。1908年、25歳の時にようやく絵の道を歩み出すと、2年後には日本画家の鏑木清方に弟子入りします。そして15歳年下の同門の画家、伊東深水が描いた木版画連作『近江八景』に感銘を受け、自らも木版画の制作に挑戦しました。

川瀬巴水『塩原おかね路』 1918(大正7)年 秋川瀬巴水『塩原おかね路』 1918(大正7)年 秋 木版、紙 渡邊木版美術画舗 「塩原おかね路」とは塩原温泉郷の一つである「塩の湯」に通じる道で、老舗旅館明賀屋の老女将お兼の発案により、鹿股川沿いの崖を削って作られました。

この頃、渡邊版画店の主人であった渡邉庄三郎は、衰退していた江戸時代以来の伝統的な木版技術の復興を図りながら、版元、絵師、彫師、摺師が共同で芸術性を第一とする新しい版画、すなわち「新版画」を世に出そうと提唱します。そして深水と橋口五葉、さらに巴水も新版画を渡邊とともに手がけるようになりました。巴水が版画デビュー作『塩原三部作』を描いたのは35歳。当時としては遅い版画家としての門出でした。

全国各地を訪ね歩いて風景を描き続ける。『旅みやげ第一集』と『東京十二題』

川瀬巴水『旅みやげ第一集』展示風景 川瀬巴水『旅みやげ第一集』展示風景 破水が風景版画家としての地位を確固たるものにした『旅みやげ第一集』。この時の写生旅行においても巴水は塩原へと出かけました。

「私に何が好きだと聞かれましたら即座に旅行!と答へます。」とまで語った巴水は、生涯にわたって旅を続けた版画家でした。そして版画家としてのキャリアをスタートさせて以来、旅行に出かけては風景を写生し、東京に戻って版画を制作する生活を繰り返しました。
まず初期の代表作として知られるのが、青森の十和田や千葉の房総、それに金沢などの風景を16図に描いた『旅みやげ・第一集』です。と同時に、故郷の東京を題材とした風景画シリーズ『東京十二題』や『東京十二ヶ月』を制作しました。

川瀬巴水『こま形河岸』 東京十二題川瀬巴水『こま形河岸』 東京十二題 1919(大正8)年 初夏 木版、紙 渡邊木版美術画舗 当時の駒形河岸付近には竹木商が多かったため、竹町とも呼ばれていました。その竹木商の仕事場の前にて停まる荷馬車を、昼寝をする人夫とともに描いています。

そして巴水は1921年、より遠い場所を風景版画に表すべく、再び旅行に出発。三重の伊勢や奈良、そして天橋立から広島の宮島、さらに佐渡や小千谷などを二度にわたって巡ると、今度は全28図からなる『旅みやげ第二集』を完成させました。またこの年、渡邊版画店主催の「新作版画展覧会」において、参加作家の中でも最も多い作品を出展します。巴水は新版画家において確固たる地位を築いていきました。※『旅みやげ第二集』のは後期期間のみ展示。

写生帖や版木や版画を失った関東大震災を乗り越える。人生最長の大旅行へ。

川瀬巴水『旅みやげ第三集』展示風景川瀬巴水『旅みやげ第三集』展示風景 関東大震災後、人生最長となる102日間の大旅行に出かけた巴水は、帰京するとすぐに渡邊版画店とともに『旅みやげ第三集』の制作に取りかかりました。

順調に創作を続けて来た巴水に大きなピンチが襲います。1923年9月1日に発生した関東大震災です。東京や神奈川の都市部が灰燼に帰し、死者・行方不明者が推定10万人を超える未曾有の大災害がおこったのです。当時、浅草から芝の自宅に戻る巴水本人こそ無事だったものの自宅は全焼し、描き溜めて来た写生帖の一切を失ってしまいます。そして渡邊版画店においても、多くの版木や版画を焼失してしまうのでした。

川瀬巴水『旅みやげ第三集』の写生帖。写生を大事にしていた巴水。震災以前の写生帖は全て失われてしまいましたが、それ以後の作品の多くは今も残されています。

しかし巴水は新版画への意欲を失うことはありませんでした。事業再建に取り組んだ渡邊版画店の庄三郎は、巴水を励まして写生旅行を勧めます。これに奮い立った巴水は、同年の10月下旬より、信州から北陸、さらに山陰から瀬戸内、関西から名古屋へと至る、実に100日を超える大旅行を敢行します。そして翌年帰京すると『旅みやげ第三集』の制作に取りかかりました。まさに旅に出ることが巴水の創作の全ての源でもあったのです。

「昭和の広重」とも呼ばれた巴水。広重と巴水の違いとは?

川瀬巴水『旅みやげ第三集』の写生帖川瀬巴水『馬込の月』 東京二十景 1930(昭和5)年 木版、紙 渡邊木版美術画舗 巴水の代表的作品の1つ。当時の馬込は田園風景が広がる郊外の農村地帯で、明治時代以降には多くの芸術家らが移り住むようになりました。図の松は巴水の自宅から歩いて20分ほどの場所にあった三本松で、一面を澄み切った「巴水ブルー」が包んでいます。

一方で故郷、東京への想いもいささかも損なうことはありません。一連の大旅行から帰ると、今度は復興途上の東京の風景を写生して回ります。そして1925年から1930年にかけて『芝増上寺』や『馬込の月』といった代表作20図からなる『東京二十景』を制作しました。またこの頃に現在の大田区南馬込へ転居し、洋館づくりの家を新築します。つまり『芝増上寺』は生まれ育った付近で、『馬込の月』は新居を構えた場所を描いた作品というわけでした。

川瀬巴水『尾州半田新川端』 東海道風景選集 川瀬巴水『尾州半田新川端』 東海道風景選集 1935(昭和10)年3月 古くから廻船の拠点として栄えた愛知県中南部の半田は、酒や味噌などの醸造業が盛んに行われていました。川沿いに立ち並ぶのも醸造蔵や廻船問屋の蔵で、雪の降る中を傘をさして歩く人物と、それを追いかけるように進む一匹の犬を描いています。

また「広重の再来」とも称された巴水ですが、むしろ広重に追従せず、独自の視点をもって風景を描いていたのも見過ごせません。1931年から版行された『東海道風景選集』は、広重の『東海道五拾三次之内』と同様に東海道を舞台にしていますが、広重が宿場を描いたのに対し、巴水はあくまでも風光明媚でかつ心地良さを与えてくれるような場所を描いたのです。巴水の版画家としてのプライドが垣間見える作品といえるかもしれません。

戦後も人気を集めた巴水。未完の絶筆『平泉金色堂』へ

川瀬巴水『朝鮮八景』展示風景 川瀬巴水『朝鮮八景』展示風景 巴水は朝鮮の鉄道局からの招待旅行に画家仲間と出かけると、自然の織りなす絶景や人々の装束といった異国の風景や風物に大きく刺激を受けました。

1930年代後期、さまざまな展覧会にて作品を多く出品し、すでに海外でも知られていた巴水ですが、自ら作風にマンネリを感じていました。しかし画家仲間とともに朝鮮半島へ旅行したことで一転、再び創作意欲に火がつき、大胆な構図や鮮やかな色彩を伴う『朝鮮八景』などが描かれるようになります。

川瀬巴水『増上寺之雪』 1953(昭和28)年:川瀬巴水『増上寺之雪』 1953(昭和28)年 木版、紙 渡邊木版美術画舗 当時の文部省文化財保護委員会が、伝統的な浮世絵の技術を残すため、巴水に依頼して制作された作品。スケッチから版画が完成するまでの全ての工程が記録にとられました。

62歳の時に終戦を迎えた巴水は、戦後、思わぬ出来事を目にすることになります。空前の版画ブームです。進駐軍関係者らが日本の伝統的な木版画を求めるようになったことから、戦争によって衰退していた版画が再評価されて活況を迎えます。当然、巴水の作品も人気を集めました。

川瀬巴水『平泉金色堂』 1957(昭和32)年川瀬巴水『平泉金色堂』 1957(昭和32)年 岩手県平泉の中尊寺金色堂が深い雪に覆われています。療養中病気と闘いながら描かれつつも、未完のまま絶筆となりました。その後、庄三郎が仕上げ、百箇日の法要の際に親族や知人に配られたとされています。

巴水がこの世をさったのは1957年11月、享年74歳のことでした。そして渡邊庄三郎も巴水を追うようにして5年後に逝去します。未完の絶筆で、のちに庄三郎が仕上げた『平泉金色堂』には、雪の中を歩く修行僧の後ろ姿が描かれていますが、そこには旅を終えて人生を閉じようとする巴水の姿が重ね合わせられているのかもしれません。

『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』の3つの見どころをご紹介

川瀬巴水『日本橋(夜明)』東海道風景選集(昭和15)年と2020年3月に撮影された日本橋の写真川瀬巴水『日本橋(夜明)』東海道風景選集(昭和15)年と2020年3月に撮影された日本橋の写真。江戸時代の五街道の起点で、1911年に架け替えられた石造りのアーチ橋。巴水の描いた当時は当然ながら首都高速の高架橋がありません。

さて巴水の人生とともに辿って来た展覧会ですが、いくつか抑えておきたい見どころがあります。まず1つは木版画の多くが可能な限りシリーズを通して展示されていることです。人気の『旅みやげ第一集』や『東京十二題』、それに『東京二十景』なども一度に鑑賞することができます。また一部の作品において現在の風景を撮影した写真が参照されているため、巴水の時代と見比べるのも楽しいのではないでしょうか。

川瀬巴水『野火止平林寺』木版畫順序摺 展示風景川瀬巴水『野火止平林寺』木版畫順序摺 展示風景 輪郭線を摺る黒摺から完成品まで、摺りを重ねて進行する制作の様子を追うことができます。

2つ目は木版画のもとになった写生帖や、制作のプロセスが分かる順序摺や版木なども紹介されていることです。中でも『野火止平林寺』では、摺りの過程を10回に分けて記録したセットがずらりと並んでいます。また名刺や双眼鏡といった遺品も巴水の人となりを伝える貴重な資料かもしれません。

「スティーブ・ジョブズと巴水」の展示風景「スティーブ・ジョブズと巴水」の展示風景 ジョブズがコレクションしたと言われる巴水の同様作品を紹介しています。右の『上州法師温泉』で湯に浸かる人物は巴水本人です。

そして3つ目は巴水を愛し、作品を蒐集したアップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズの新版画コレクションが展示されていることです。海外において生前から巴水は、北斎、広重と並び「3H」と呼ばれるほど人気が高く、ジョブズも10代にして巴水の作品と出会ったと言われています。

「スティーブ・ジョブズと巴水」の展示「スティーブ・ジョブズと巴水」の展示から、マッキントッシュを専門に扱う雑誌の表紙。ジョブズは1984年、発売したマッキントッシュを使用して、橋口五葉の木版画『髪梳ける女』を元にした画像を作成。描画性能をアピールしました。

20代後半に来日したジョブズは東京の画廊で巴水を購入すると、その後も蒐集(しゅうしゅう)を続け、晩年には自室に夕景を描いた巴水の作品を飾っていたほど愛着を持っていました。少なくとも2003年にまでにジョブズは新版画を43点購入し、そのうち半数以上の25点が巴水だったとされています。

川瀬巴水『平泉金色堂』(拡大)川瀬巴水『平泉金色堂』(拡大) 1957(昭和32)年 同作品では写生帖や水彩画も合わせて展示されています。

今年はいわゆるコロナ禍の中、外出が制限され、旅することもままならなくなった日々が続きました。巴水の風景版画は、誰もが郷愁を覚え、心に安らぎをもたらすようなものばかりです。まさに日本各地を旅するように、巴水の描いた情緒あふれる世界を辿ってみてください。


※展示は前期(10月2日~11月14日)と後期(11月17日~12月26日)で一部の作品が入れ替わります。

『川瀬巴水 旅と郷愁の風景』 SOMPO美術館
開催期間:2021年10月2日(土)~12月26日(日)
所在地:東京都新宿区西新宿1-26-1
アクセス:JR線新宿駅西口から徒歩5分。東京メトロ新宿駅から徒歩5分。東京メトロ西新宿駅C13出口から徒歩6分。
開館時間:10:00〜18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜日(ただし祝日・振替休日の場合は開館)、11月16日(火)
観覧料:一般1300円、大学生1000円、高校以下無料 ※オンラインチケット観覧料
※オンラインでの日時指定入場制
https://www.sompo-museum.org

はろるど

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千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。

千葉県在住。美術ブログ「はろるど」管理人。主に都内の美術館や博物館に出かけては、日々、展覧会の感想をブログに書いています。過去に「いまトピ」や「楽活」などへ寄稿。雑誌「pen」オンラインのアートニュースの一部を担当しています。