STUDY
2023.1.5
「土器」には人間の美意識が詰まってた!日本美術史を流れで学ぶ(第1回)~縄文・弥生時代の美術編~
我々、日本人は意外と気づきませんが、実は「日本」という国は美術文化的に超絶おもろい国です。マクロ的にいうと東洋ですけど、ちょこんと独立した島国であり、大陸の国々と比べて他国からの影響を受けにくい環境でユニークなカルチャーを育んできました。
今でもやっぱりユニークですよね。「わびさび」やら「kawaii」やら「無宗教」やら「和」やら「コンピューター」やら「オタク」やら「オリジナリティ大爆発」といった感じ。ただし「日本文化を守れ!」と意固地になるわけではなく、西洋も東洋も、キリスト教も仏教も、いろんな文化・宗教を柔軟に飲み込む姿勢で成長している……。こんな国、マジでレア。「多様性」という言葉にここまで敏感な国はマジでないですよ。そう、我々はけっこうおもしろい国で、おもしろいアート、クリエイティブを見ながら生活をしているんです。
この連載では、そんな面白おかしい日本の美術史を、極力フランクにおしゃべりする感覚でお届けしていきます。今回はその第1回「縄文・弥生・古墳時代の美術」です。
縄文時代の美術作品
縄文時代は紀元前1万4,000年~10世紀ごろを指します。むっちゃ広いです。縄文時代は1万3,000年くらい続くんです。
なぜ「縄文時代」というのかというと「縄文土器」が出たからです。先に縄で模様付けをした土器が出てきて「これは縄文土器と呼ぼう」となり、「縄文土器が出た時代だから、縄文時代ね」と名付けられました。なんだろう……なんか順序が逆転している気もしますが「縄文土器」はそれほどまでに重要な産物なんですな。
実はけっこう奥が深い縄文土器
じゃあなんでソース顔の縄文人たちは「土器作っちゃお」って思ったのか。それは現代人と同じで調理・貯蔵のためです。そう考えると、私たちが普段フライパンで料理して、ごはんをタッパーに入れてるのはすごく原始的な欲求なんだなぁ、という気がして遥かな気持ちになりません? 1万年以上経って、縄文土器はティファールとなったわけですよ。進化の途中で取っ手を付けて、取っ手がとれるようになったわけですね。
いやまぁ、そんな話はどうでもよいんですけどね(自戒)。縄文土器といえば、我々は学校でこんな感じのものを教わります。
深鉢形土器(火焔型土器) 縄文中期 新潟県十日町市笹山遺跡出土 十日町市博物館蔵 国宝
撮影:Saigen Jiro, Public domain, via Wikimedia Commons
はい。これです。間違いなくこいつは縄文土器です。なかでも「火焔型土器」と呼ばれます。ただ、実は縄文土器って、これだけじゃない。そりゃ1万3,000年も経過したら、いろいろ進化しました。
年代 | 時代区分 | 縄文土器の種類 |
1万3,000年前ごろ | 草創期 | 丸底土器 |
9,000年前ごろ | 早期 | 尖底土器 |
7,000年前ごろ | 前期 | 平底土器 |
4,500年前ごろ | 中期 | 大型装飾土器 |
3,500年前ごろ | 後期 | 磨消縄文土器 |
2,800年前ごろ | 晩期 | 亀ヶ岡式土器 |
こんな感じで縄文土器は意外と奥が深いんですね。縄で模様が付けられ始めたのが早期のころで、最初は「いや絶対使いにくいやろ」っていう、自立しないコマみたいな形の尖底土器が作られ始めました。そこから学習して底が平らになり、皿などもでき始め、火焔型土器のような派手な装飾になり、だんだん逆に模様が単調になっていき、弥生土器へ……という時系列をたどります。
この中で上の火焔型土器は「大型装飾土器」の時代です。最も派手な時代ですね。今って基本的にろくろでぐるぐるしながら形をつくって模様を描きますよね。だからある程度、決まった形と模様になりますが、見て分かる通り火焔型土器の場合は超自由です。
上の画像とか見てみると、底の部分は土を細長く線状にしたうえで、壁を作ってますよね。これを「紐作り」といいます。こういうウィンナーの食べ方あるよね。
「紐作り」はろくろで作るのに比べて、そのくらいクリエイティブなんですよね。何の知識もない幼稚園児の絵がパワフルなのと一緒で、プリミティブ(原始的)だからこそのアート性が爆発してます。有名なエピソードでいうと、岡本太郎大先生が縄文土器の力強さ、いやらしさを絶賛していました。
弥生時代の美術作品
さて、時代は移り変わって、弥生時代。紀元前300年ごろ~300年ごろの時代です。作り方で言うと、焼き上げの方法が変わりました。弥生土器も縄文土器と同じく「紐作り」ですが、縄文土器が土器の下に草を敷いて焼くことで固めていたのに対して、弥生土器は土でドームを作って焼くようになりました。今の窯の原型です。
縄文土器より高温で焼けるようなった。その結果、縄文土器より丈夫になったという背景があります。
弥生土器の洗練されたデザイン
美術史的にみると弥生土器と縄文土器の大きな違いはデザイン性。もうなんかめっちゃシンプルで洗練されました。
壺 弥生時代(前期)奈良県田原本町 唐古・鍵遺跡出土 東京国立博物館蔵
ColBase: 国立博物館所蔵品統合検索システム (Integrated Collections Database of the National Museums, Japan), CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
「なんでシンプルになったのか」。その理由は一概には定義づけられません。例えば縄文時代の呪術や信仰といった文化が弥生時代で変わったから模様を付ける必要がなくなった説があります。
また機能的なところでいうと、弥生時代は大陸の人がたくさんやってきます。それで人口爆発したので、縄文土器のような複雑な形を作るのがめんどくさくなった説もあります。
ただデザインとして「縄文土器が優れていて、弥生土器が劣っている」というわけではありません。デザインの言葉には「Less is More(少ないほうが豊か)」という常識があります。西洋美術史でいうと、20世紀のデザイン学校「バウハウス」に代表されるように、少ないデザインで最大の効果を得るということが、優れているとされることもあります。
そう考えると、派っ手派手な縄文土器を何千年も見てきた当時の人は「いやいや、それあざといから。こっちのほうがかっけぇっしょ」とミニマリスト的に要素を減らしたのかもしれないです。
縄文・弥生時代を舐めちゃいかんぜよ
日本美術史、第1回は縄文・弥生時代の美術、というか土器について紹介しました。縄文土器っておもしろいですよね。ただ調理したり、貯蔵したりするだけなら、別に模様なんて付ける必要ないわけです。しかし土を焼く前に火焔型土器みたいな形にしちゃう。したくなる。ここに人間の美意識が詰まっているような気がします。
もちろん呪術的な意味合いや、もしかしたら機能的デザインの一部だったのかもしれません。しかし数千年前の人類もまた「どうせ作るんなら、カッコよくしようぜ」みたいな感覚があったんじゃないかな、と思います。いま私たちは日常でいろんなクリエイティブやアートに触れ、良くも悪くも“知ってしまった”。しかしほとんど何も知らなかった縄文人が造形したのが、あの形なんですね。この感覚はおもしろいっすよね。だって、絶対使いにくいもん。でも遊びたいんですよね。人間って変!
ということで、次回は「古墳時代の美術」について、たっぷり紹介したいと思います。造形のほか、絵画作品も登場し始める「日本美術史的には第一の分岐点」です。
▼次回記事はこちら!日本美術史を流れで学ぶ(第2回)~古墳時代の美術編~
https://irohani.art/study/11453/
参考文献
『増補新装 カラー版日本美術史』辻 惟雄 監修
『日本美術史 JAPANESE ART HISTORY』(美術出版ライブラリー)(美術出版ライブラリー 歴史編)山下裕二 高岸輝 監修
『日本美術史ハンドブック』辻惟雄 泉武夫 編
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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
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