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STUDY

2023.1.26

埴輪は元祖ゆるキャラ?!日本美術史を流れで学ぶ(第2回)~古墳時代の美術編~

お喋りするような感覚で日本美術史をお届けするこの連載。第1回は縄文・弥生時代の土器について紹介しました。

土器って調理や貯蔵のために作るから、本当はデザインの必要性はない。ないんだけど、縄文土器は驚くほど創造性豊か。今と違ってろくろや窯を使っていないこともあって、とにかく隆起しまくっていて派手でした。でもそこから弥生土器にかけて、だんだんと洗練されていく。それがなんだか「人が作品をつくる源流」というか、アートの根本であるような気がしておもしろいっすよね~。みたいな話でした。

▼関連記事:「土器」には人間の美意識が詰まってた!日本美術史を流れで学ぶ(第1回)~縄文・弥生時代の美術編~
https://irohani.art/study/11111/

第2回は「古墳時代」の美術作品について紹介していきます。古墳時代になると「焼き物」だけでなく「古墳」「絵画」「装身具」など、創作物がめっちゃ多様化していく。まさに「日本美術の芽吹き」を見ているようでおもしろい時代です。

古墳時代の美術

古墳時代は300年~700年ごろを指します。その名の通り、超巨大な古墳が大量に出現し始めたから古墳時代ですね。安直! 縄文土器が出たから縄文時代みたいな感じです。

まず衝撃なのが「古墳時代に作られた古墳の数」。これ、すごいですよ。全国に古墳は約16万基もあります(2016年 文化庁調査)。コンビニが約5万5,000店(2018年 経済産業省)ですから、コンビニの約3倍くらいの古墳が日本にあるわけですね。

「なぜ古墳を作ったのか」というと、これはもうシンプルに「カッコつけたいから」です。

では誰にとってステータスだったのか、というと「支配者」ですね。当時は地域ごとに豪族が登場し始めた時期なんです。そんな豪族が、死んでもなお「見ろ。俺、こんなにすごかったんだぞ」的な感じで後世まで自分の存在をアピールするために作らせました。

なんだろう、ヴィトンのバッグ持って伊勢丹を歩く、みたいな。スタバを持ってお洒落な街を歩く、みたいな。そんな感じで当時は「デカい墓をつくる」がいちばんのステータスだったわけです。

古墳時代の「占い」への信仰の厚さ

では、こういう豪族が政治的にも支配していたのか、というと微妙に違います。当時は今みたいにきちんとした法律の仕組みなんてない。ちなみに日本初の法律はこのあと奈良時代に出てくる「大宝律令」です。

じゃあ古墳時代はどうやって「あのさ~、今年、米どれくらい植える?」とか「この人って有罪なの? 無罪なの?」とかを決めたかというと「呪術(占い)」でした。

だから当時、占いこそ至高なわけですよ。今だと裁判官や総理大臣が決めていることを全部占いで決めていました。といっても、もちろんがばがばです。論理性皆無です。

例えば裁判は「盟神探湯(くかたち)」というのが主流。これは熱湯に手を浸けて火傷したら嘘つき、無事だったら真実、みたいな手法です。

……いやもう地獄ですよね。もはや刑が執行されてますよね……。どこかで「(あれ~……これ全員火傷してるな……。 意味なくないかコレ?)」とかなりそうですけど、誰も言い出さなかったのかな。というがばがばさです。

まぁ、そこまで呪術のパワーが重視されていたなか「美術作品」が作られるようになるんですね。古墳時代の美術作品は古墳を含めて、お供え物や、壁画など、人を弔う思いから生まれました。

では実際にどのような作品ができたのかを見ていきましょう。

古墳は前期、中期、後期に分かれる

古墳時代最大の美術作品はもちろん「古墳」。建築作品として超貴重で素晴らしいものです。今でもファンが多いですよね。

大仙陵古墳(大阪府堺市堺区大仙町)
Copyright © National Land Image Information (Color Aerial Photographs), Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, Attribution, via Wikimedia Commons

古墳時代の400年間に実は前期、中期、後期と古墳の形も変化していきました。上の画像のような前方後円墳が最も有名ですよね。この形は300~500年末くらいは主流です。

ただし同じ前方後円墳でも、前期はシンプルなモノでしたが、中期は大陸の影響もあって九州地方で古墳壁画が描かれるようになりました。それと、人馬が一緒に入って殉死するみたいなえげつない文化も広まっていたのも特徴的ですね。

しかしそんな前方後円墳も646年に「薄葬令」が発表されてからは、規模がだいぶ小さいものになっていきました。下の写真は「終末期古墳」です。見て。こんなに小っちゃくなりました。

石舞台古墳(奈良県明日香村)
663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

「薄葬令」とは“ムシゴロシ”でおなじみ「大化の改新」の一環としてできた法令です。「巨大な古墳を作る」とか「人や馬も一緒にお墓に入る」という文化に対して、「いやいやいや、それ意味ないから。冷静に考えたらマジでヤバいことしてるから」と、葬儀を簡素にするようにしたんですね。

つまりここから古墳は作られなくなり、事実上これで古墳時代が終焉となるわけです。


日本美術初の絵画は古墳内の装飾壁画

梶山古墳(鳥取県鳥取市)
Yuniko, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

先述した通り、古墳時代の中期に、主に九州地方から出てくるのが「装飾古墳」です。

「ちゃんとあの世に行けますように」とか「死後に悪霊に襲われませんように」的な感じで古墳内部に絵を描いたんですね。厳密にいうと弥生時代の銅鐸などにも若干絵を描いた例がありますが、装飾古墳の場合はきちんと絵筆に塗料を付けて描いているのがわかります。

この文化は中国や朝鮮から伝わりました。なので、例えば中国で「月」をあらわすヒキガエルが盛んに描かれてたりします。月と死後の世界を重ねていたんでしょう。

各地で白、黒、青、緑など、カラーリングはほんと多種多様なんですが、「赤(朱)」がむっちゃくちゃ多いです。太陽や血液の色である赤色には「悪霊退散!」的な効果があると今でも信じられてます。神社の鳥居が朱塗りなのもそうですよね。

何はともあれ、この後、現代に至るまでさまざまな傑作が生まれる日本絵画の歴史は、古墳内の壁画からスタートしました。「祈る」という行為は、それくらいのパワーがあったわけです。

古墳の副葬品として焼き物や装身具が進化

再三繰り返しますが、古墳時代の人々は「我が主がちゃんとあの世に行けますように!」って情熱がとにかくすごかった。それだけのために、いろんな作品を“発明”しています。

例えば、みんな大好き「埴輪(はにわ)」ですね。最も主流の円筒埴輪をはじめ、家型埴輪、人物埴輪、動物埴輪など、いろんな埴輪が服装品として古墳に入れられました。人物埴輪はやっぱりかわいい。マジで元祖ゆるキャラなんじゃないか。

埴輪 踊る人々
I, Sailko, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

馬形埴輪
English Wikipedia user PHG, Public domain, via Wikimedia Commons

これも「魔除け」のために入れられました。先述したように古墳にはもともと人とか馬を入れていたんですが、だんだんとその風潮の異常性に気付き始める。それで埴輪を作りはじめたんじゃないか、という説もあります。

埴輪は当時の技術として創作性がかなり高いです。上の画像のように、馬具なども細部まで再現されています。また松江市で出土した「見返りの鹿埴輪」などは、振り返っている鹿の構図で焼き物が作られています。この単純な構図ではない作品も出てきているのは、当時の人の創作技術の進化が如実に見える例といえるでしょう。

埴輪の機能性だけをみればただの横構図でいいはずですよね。それをあえて「見返り」にするというのは、やはり創作意欲なのか。それとも、故人に対する思い出が関係しているのか。どちらにせよ、一辺倒ではなく工夫が見えるのが素晴らしいですよね。

古墳時代の土器・焼き物

前回の記事で紹介しましたが、縄文・弥生時代の美術作品のスターは「土器」でした。古墳時代にも土器はもちろん引き継がれていきます。縄文から弥生にわたって、だんだんと装飾がシンプルになっていった土器は派生して「土師器(はじき)」となり、古墳時代から平安時代まで、ほぼ変わりない形でつくられます。マジで超ロングセラーです。「納豆」くらいロングセラー。

古墳時代前期の壺(兵庫県立考古博物館蔵)
663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

一方で、朝鮮半島からの文化の影響を受けて「須恵器」も作られ始めました。

飛鳥時代の甕(兵庫県立考古博物館蔵)
663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

土師器が赤茶色っぽいのに対して、須恵器は灰色なのが特徴です。これは焼き方が違うからです。土師器は野焼きで焼き上げるのですが、須恵器は窯焼きといって窯を密閉して仕上げる方法なんですね。その結果、酸素が少なくなって酸化鉄が還元され、灰色になります。また須恵器はろくろを使ってつくります。

先ほど、絵画の文化が大陸から渡来した、と紹介しましたが、4世紀ごろの日本では大和政権が実権を握っていて朝鮮と積極的に外交していたんですね。それで、大陸から須恵器のほか、鉄器や機織りなどの技術も渡来しました。

その結果、弥生時代後期から古墳時代の美術作品は本当に多様化します。「馬具」「太刀」「装身具」「銅鏡」などが作られるようになりました。これも例に漏れずお墓に一緒に入るのが通例です。

なかでも古墳時代の有名どころといえば、中国由来の「三角縁神獣鏡」でしょう。20cmくらいの鏡で、弥生時代〜古墳時代までに約4,000面以上も出土しています。大ブームです。

三角縁同向式神獣鏡
Tokyo National Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

このころには土だけでなく、鏡や鉄などもまた美術作品の素材として用いられ始めたんですね。

しかし、はじめて鏡を見た日本人はどんな顔をしたんだろうか。「これ……水面か……? 水面をつくったんか…?」みたいな感じなんですかね。「え……? 誰……ですか? ねぇ、真似してくるんですけど! ねぇ!」ってパニックになったかもしれませんね。

しかしさぞ神秘的だったんだろうと思います。古墳に一緒に入れたのは、決して「あの世でもちゃんと身だしなみ整えてよね~」という配慮じゃないです。当時の「鏡」は、それまで神秘性があるものだったんですね。

中国・朝鮮の文化が流入してくる古墳時代

ということで、今回は古墳時代の美術についてご紹介しました。中国や朝鮮の文化が一気に流入してきて、国内の美術も多様化するおもしろい時代です。

そのすべてが「祈り」に向けられているのも興味深いですね。西洋美術でも初期は「美術=宗教」という感覚が強いものです。アートの根源は「祈り」であり、創作意欲の原体験でした。

そんな時代を経て、日本美術作品はさらなる広がりを見せていきます。次回は飛鳥・白鳳時代の美術作品を見ていきましょう。

▼次回記事はこちら!日本美術史を流れで学ぶ(第3回)~飛鳥・奈良時代の美術編その1~
https://irohani.art/study/11842/

参考文献
『増補新装 カラー版日本美術史』辻 惟雄 監修
『日本美術史 JAPANESE ART HISTORY』(美術出版ライブラリー)(美術出版ライブラリー 歴史編)山下裕二 高岸輝 監修
『日本美術史ハンドブック』辻惟雄 泉武夫 編

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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