STUDY
2023.3.16
唐の影響を受けた名作仏像がズラリ!日本美術史を流れで学ぶ(第4回)~飛鳥・奈良時代の美術編その2~
おしゃべり感覚で日本美術を楽しく学んでいただくこの連載。前回の第3回では飛鳥・奈良時代の美術について紹介しました。
仏教が中国・朝鮮から渡来し、しかもその背景にはインドの影響もあった……みたいな超グローバルな時代。仏像をはじめとする日本文化がどう醸成されたかがよく分かったのではないでしょうか。
▼前回の記事はこちら!
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前回「日本は唐の影響を受けながら美術作品を作っていったんやで」と紹介しましたが、その結果、具体的にどんな仏像ができたのか。今回は唐の影響を受けまくった奈良時代の仏像を紹介していきましょう。
目次
奈良時代の仏像のキーワードは「写実主義」
まずは簡単におさらいをしておくと、飛鳥時代には渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)さんが仏像を作り始めました。法隆寺金堂の「釈迦三尊像」が代表作です。
Tori Busshi, Public domain, via Wikimedia Commons
止利様式の特徴は前回紹介しましたが、上下のまぶたが同じ形、やせ型で面長、ちょい微笑んでいる(アルカイック・スマイル)みたいな感じ。服のしわもカッチカチです。ぱっと見、すごく端正なお釈迦さんなんですけど、かっちりし過ぎてて、ちょっと人間らしくないよね~、というのが持ち味でした。
それが奈良時代は唐の影響を受けて、写実的になっていきます。つまり「すんごく人間ぽい」という感じになるんです。例えば腰巻や上衣といった衣類のひだがよりリアルになりますし、体系はふくよかになる。不自然に微笑むこともなくなりました。
この写実的な表現は作り方を工夫することで可能になりました。飛鳥時代って一本の木を彫りまくる「一木造」や、複数の木のパーツを組み合わせる「寄木造」が主流だったんです。つまり基本は「木を直で彫る」っていう。これじゃ、なかなか繊細な表現は難しい……。
そんななかで奈良時代に入ると「塑像」「金銅像」「脱活乾漆像」などの作り方が出てきます。
● 塑像:骨組みに粘土をつけて彫る
● 金銅像:内側から粘土→蝋(ろう)→粘土の順番で型取りして焼き、蝋が溶けた部分に青銅を流し込んで成形する
● 脱活乾漆像:骨組みに粘土を貼り付けて成形したあと漆に浸した布を貼って成形する。
ただ木を彫るだけでなく、粘土や青銅、布などを駆使することで繊細な表現を可能にしたんですよね。いや、すごい。
初唐~盛唐へ。奈良時代の仏像の世界
奈良時代は平城京遷都の710年~平安京遷都の794年までを指しますが、この時代にはさっき紹介した技法で、いろんな仏像が作られます。ここからは重要作品をみていきましょう。
興福寺西金堂 乾漆十大弟子立像
仏陀は生涯に1250人の弟子がいたといわれますが、そのなかでも特に優秀な10人を「十大弟子」と呼びます。乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)は、その弟子を彫った乾漆像です。今は6躯が現存しています。
・乾漆十大弟子立像(法相宗大本山 興福寺)
https://www.kohfukuji.com/property/b-0017/
いやまぁインド人なんですけどね。日本に合わせて、顔は日本人になっています。まず表情が豊かですよね。そのうえで衣類のひだがかなりリアルになっています。まさに写実主義。
東大寺法華堂 不空羂索観音像
Ismoon (talk) 15:49, 10 February 2019 (UTC), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
奈良時代の仏像!といえば王様・東大寺ですよ。そのなかでも中心に据えられたのが「不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう)」です。脱活乾漆像の表面に金箔を張っています。高さは362cm、目が3つと腕が8本の「三目八臂(さんもくはっぴ)」モチーフの巨大な立像です。
モチーフはもちろん「光」。まず後光(後背)がエグい。そのうえ宝冠や、合掌の手の間にはさまった宝玉など、全体的にきらびやかです。こんなん対面した瞬間に「ははーっ」ですよ。ひれ伏さざるを得ない。
そのうえ身体がガッシリしているのに注目です。ボディビルの掛け声でいうと「キレてる!」でなく「デカい!」みたいな身体になっています。これは唐の開元年間の特徴と通じており、当時日本は唐から影響を受け続けていたことが分かっています。ちなみに日本ではここから平安初期まで、こうしたがっしりした仏像が増えていきます。
この像は、この後の鎌倉の彫像にも影響を与えており、よく「日本の仏像の古典(クラシック)」ともいわれます。
東大寺盧舎那仏像
Mass Ave 975, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
いわゆる「奈良の大仏」さんですね。752年に完成しました。とはいえ、当時つくったものが今でも現存しているわけではなく、その後の戦国時代で何度か焼損したので、ほとんどは再建されたものです。
なので今の大仏さんをみて「材質」や「表現」をみることで奈良時代の仏像の時代背景がわかる、というわけではないのが前提ですね。
それよりも重要なのは「当時なんでこんな超巨大な仏像をつくったのか」という部分ですね。いまでいうと約4,657億円もかけて260万人雇って、7年かけて仏像を作ったんですよ。令和の今はありえない。こんなことすると、SNSで「#スピリチュアル岸田」みたいなハッシュタグが流行っちゃいます。
当時、盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)を作ったのは聖武天皇ですが、当時の日本はかなり悪い状況でした。まず疫病が流行して政治の中心人物が次々に亡くなった。また飢饉やら地震があり、乱も起きたんですね。そのなかで社会不安が巻き起こっていた最中でした。
今でいうとコロナとオイルショックと東日本大震災が同時期に起きて、九州の知事が「国は何してんだー!」つって東京に攻め込んでくる、みたいな。もう未曽有&阿鼻叫喚みたいな状態です。
そのなかで聖武天皇は「仏やな」と。「仏の力で国を安定させたい」と思ったんですね。それで奈良の大仏さんをつくったり、全国に国分寺と国分尼寺というお寺を作らせたりしたわけです。つまり、奈良時代はそれくらい国は仏教の力を信じていた、ということになります。
大仏開眼会での美術作品
それで752年に盧舎那仏像が完成するわけですが、完成した際に大仏開眼会が開かれました。そのなかで「伎楽(ぎがく)」というパントマイム演劇のような伝統芸能が開催されました。伎楽は飛鳥時代に中国から伝わったものです。
東大寺所蔵の伎楽面30面のうち酔胡従(重要文化財)/今泉篤男 et al., Public domain, via Wikimedia Commons
これによって中国で作られたお面がいくつか伝わってきたのも注目ポイントです。
なかでも「崑崙(こんろん)」というお面は伎楽内ではかなりゲスな役回りです。モデルは中国の周辺民族になっています。今見ても「こいつは100%悪人やろ」という顔だちでしょうが、このイメージが当時から確立されていたのはおもしろいポイントですよね。
・伎楽面 崑崙(e国宝)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100769&content_part_id=007&langId=ja&webView=null
唐招提寺 鑑真和上像
Tōshōdai-ji, Nara, Public domain, via Wikimedia Commons
最後にご存じ鑑真さんの坐像です。鑑真は「唐の文化を日本に伝えたいのです」という一心で、5回の渡航に失敗してもめげずに6回目の渡航で日本に到着して唐の文化を広めました。
この時の渡航には絵画、彫り物、刺繍などの技術者も含まれていたといわれてるのがポイントです。ちなみに、2回目の渡航のときには85人も乗っていたのだといいます。
つまり鑑真によって、唐の後期文化が日本に持ち込まれることで、奈良時代の仏像はまた新しい一面を見せるわけですね。
例えば、飛鳥時代に最盛期を迎え、奈良時代ではあまり用いられなかった「一木造」。鑑真一行はそれまでの木材とは別の「榧(かや)」に直接ノミを入れて彫っていたんですね。この榧材の一木造の仏像は、東大寺を建築していた工人に受け継がれ、平安時代前期に盛り上がることになります。
中国の影響で育った日本文化の源流
さて、こんな感じで奈良時代の美術作品の王道はもう何と言っても仏像です。つくることで救われる。という時代だったからこそ、奥深い作品ができました。
「日本文化」という意味でも、ターニングポイントとなりますね。ここまで唐の影響を受けたカルチャーが日本に浸透していくと、日本文化の源流の一部は中国にあることにあらためて気付きます。個人的には「伎楽」のお面はむっちゃ好きです。この時代から今に至るまで「悪人ぽさ」や「善人ぽさ」という感覚的なデザインは変わっていない。
いやむしろこの当時に生まれた「○○ぽさ」が今の私たちに影響を与えているのでしょう。まさに歴史を知って、今を理解するというおもしろさがありますよね。
さて、そんな徐々に形成されていく日本文化が花開くのが、みんな大好き平安時代。次回は平安時代の美術作品について紹介していきたいと思います。
▼次回記事はこちら!日本美術史を流れで学ぶ(第5回)~平安時代の美術編その1~
https://irohani.art/study/12700/
参考文献
『増補新装 カラー版日本美術史』辻 惟雄 監修
『日本美術史 JAPANESE ART HISTORY』(美術出版ライブラリー)(美術出版ライブラリー 歴史編)山下裕二 高岸輝 監修
『日本美術史ハンドブック』辻惟雄 泉武夫 編
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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
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