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2024.10.13
【前編】画家フランシス・ベーコン 激動の生涯と独創的な表現世界
20世紀を代表する画家の一人、フランシス・ベーコン。彼の作品は、その生々しい人体表現と、心理的な深淵を覗き込むような独特の画風で知られています。ゆがめられた人体、鮮やかな色彩、そしてどこか不安を誘う表情は、観る者の心に強烈な印象を与えます。
ベーコンは、1909年にアイルランドで生まれ、ロンドンを拠点に活躍しました。幼少期から絵画に興味を持ち、独学で絵画を学び始めます。初期の作品には、ピカソやスーティンなどの表現主義の影響が見られましたが、次第に独自のスタイルを確立していきます。
目次
レジナルド・グレイによるフランシス・ベーコンの肖像, Bacon by Gray
彼の作品は、同性愛や暴力、死といったテーマを扱っており、その暗いトーンは多くの批評家や観客を魅了しました。一方で、彼の作品はタブー視され、理解に苦しむ人も少なくありませんでした。
そんなフランシス・ベーコンの生涯を2記事に分けてご紹介し、
本記事では、彼の生誕から1950年代までの軌跡を辿りながら各時代の代表作品を紹介していきます。
それでは、彼の独創的な作品世界に触れ、その魅力に迫りましょう。
フランシス・ベーコンの生い立ちと家族環境(1910年代)
1909年、アイルランドで生まれる
1909年10月28日、フランシス・ベーコンはイギリス人の両親のもと5人兄弟の2番目として、アイルランドのダブリンで生まれます。
母親は鉄工業で財を成した裕福な家系で、父親は哲学者フランシス・ベーコンの傍系子孫(兄弟や別の枝の家系の子孫)の家系でした。父親の家系の方が歴史的な重みのある家系ですが、母親の家系の方が裕福だったそうです。
第一次世界大戦中はロンドンへ
1915年、ベーコンの家族はロンドンに移住します。時代は第一次世界対戦中、ベーコンの父親は陸軍省の領土記録局で働いていました。戦争が終わり、一家はロンドンからアイルランドに戻ります。
戦後、アイルランドへ戻るも治安が不安定。田舎の暴力を受ける
戦後のアイルランドは、ベーコンが生まれた頃と大きく変わっていていて、民族主義の高まりとイギリスとの対立が激化し、治安が非常に不安定な状態でした。ベーコン一家は、田舎の暴力に悩まされていたのです。家族は、カントリーハウスを転々として暮らしていました。
偏った性格の両親・優しい祖母
ベーコンの家庭環境は冷たく、緊張感に満ちていました。父親は喧嘩・口論ばかりで、母親は社交的で自己陶酔的なところがあったそうです。父親はベーコンに厳しく接していました。慢性の喘息を患っていたことが、父親との関係をさらに悪くしたようです。
幸い、母方のおばあさんとは良好な関係でした。彼女の家の部屋が、後のベーコンの絵画の背景にあったことからわかります。戦争・冷たい家庭環境下の中で、フランシス・ベーコンは成長していきます。
ベーコンの若年期と芸術への目覚め(1920年代)
父親から追い出され、ロンドンへ
1926年、ベーコン(16歳)は母親の下着を試着したところを父親に見つかります。激しい怒りを感じた父親は、彼を家から追い出しました。
ベーコンは母親からもらったお金やアルバイト、さらには年上の男性のパトロンから支援を受けて生活をしていました。
友人ハーコート・スミスと旅行へ
ベーコンの父親は、自立した人間にさせようと息子の生活に影響を与えようとしましたが、思うようにいきませんでした。そのような中、父親はベーコンと彼の友人ハーコート・スミスをベルリン旅行に行かせます。二人は、ベルリン・フランス・ロンドンなどを旅しました。
ベルリンは、ベーコンにとって初めての大きな文化的経験でした。彼はベルリンでホテルでの贅沢と周りの街の貧困を感じたり、エロスと芸術に触れたりと、今までに感じたことのない衝撃を受けたようです。特に映画「戦艦ポチョムキン」を観た時に影響を受けました。
パブロ・ピカソ展で絵を描くことを決意
ベーコンが「絵を書いてみようか」と思いはじめるきっかけは、パブロ・ピカソです。1927年にピカソが開いた素描展を見た時に、本格的に絵画をはじめました。
プッサンの「幼児虐殺」の影響も大きく受ける
ベーコンが大きな影響を受けた作品の一つプッサン「幼児虐殺」, Nicolas Poussin - Le massacre des Innocents - Google Art Project
ベーコンは数ヶ月間フランス北部のシャンティイーに住んでいたこともあり、その時出会ったプッサンの「幼児虐殺」の絵からも大きな衝撃を受けています。何度もこの作品を観に行っていたそうです。芸術への興味や情熱に火がつく作品だったといえます。
インテリアデザイナーになるためにロンドンへ。その間に絵を描いていた
1929年、ベーコンはインテリアデザイナーになるためにロンドンへ移住します。この頃は、家具のデザインと同時に絵画も手がけていたのですね。絵画の作品数はまだ少なく、現存しているのは1929年の水彩画とグワッシュ画の2点のみです。
家具のデザインと同様、絵画もヨーロッパの近代美術の影響を受けた作品となっています。ベーコンの初期の作品は、彼の後の表現主義的な作品とは異なり、より具象的なスタイルであることが特徴的です。
また、空間の表現やドア、葉などのモチーフは、初期の頃から一貫してみられるテーマの一つといえます。
インテリアデザイナーから絵画へ。独自スタイルを模索(1930年代)
ロイ・ド・スメトレとの出会い。独自スタイルを模索
1930年代のフランシス・ベーコンは、芸術家としての活動を本格的に始めました。この時期、彼はロンドンでインテリアデザイナーとして働きながらも、自分のスタジオを持ち、絵を描いていました。
建築家と協力して、モダンな家具や照明デザインを手掛けましたが、オーストラリア出身のポストキュビスト画家であるロイ・ド・メストレとの出会いにより、絵画に専念するようになります。
ベーコンはメストレから技術的なアドバイスを受けましたが、自分の独自のスタイルを見つけるのに苦労したようです。
展覧会で作品が注目されるも、成功は続かず
「磔刑」のイメージ, Triptych with the Way to Calvary, the Crucifixion, and the Disrobing of Jesus MET sf17-190-369d4
1933年の作品「磔刑」はロンドンの展覧会で注目を集めましたが、その後の個展や展覧会では批判を受け、成功は続きませんでした。
1937年以降、ベーコンは、絵を描くことよりも、パートナーのエリック・ホールと旅行をしたりギャンブルをしたりする方が楽しいと感じて、しばらく絵画から離れます。1940年代に再び制作を始めるまで、この時期の作品は現存していません。
絵画のスタイルを確立。人物像を主体としたベーコンの代表作の誕生(1940年代)
第2次世界大戦の現役として不適格とされる
ベーコンは、喘息を持っていたため第2次世界大戦の現役には不適格とされました。赤十字社やARP(空襲防護)に勤務しました。空襲警報員の仕事をしていたようです。
田舎へ引っ越し「オレステイア」に感銘を受け、絵を描きはじめる
ベーコンはモンテカルロに引っ越します。田舎の生活は喘息によく、創作活動にもいい影響があったのではないでしょうか。
ここで彼は、ギリシャの悲劇作家アイスキュロスの「オレステイア」を読み、その内容に深く感銘を受け、この作品からインスピレーションを得て絵を描き始めました。
再びロンドンへ。絵画展を開き一躍有名に
ベーコンは、1944年にロンドンに戻ります。翌年の1945年にロイヤル・アカデミー展に出展し、「磔刑台の人物のための三つの習作」を発表。イギリスのアート界で注目を集めました。
この作品は、戦争に疲れた観客に強い衝撃を与え、ベーコンは自分のキャリアを大きく前進させるきっかけとなります。
参考:磔刑の土台となる人物像の3つの習作(1944)Francis Bacon, Three Studies for Figures at the Base of a Crucifixion, 1944, Oil and pastel on fibreboard, approx. Triptych: Each panel: 37 x 29 in. (94 x 74 cm) irregular, © The Estate of Francis Bacon / DACS London 2018. All rights reserved.
ベーコンの絵画スタイルの確立
この頃、ベーコンの絵画のスタイルが確立されます。彼は人物を歪めたり、抽象的な表現を用いたりして、人間の苦しみや不安を表現し、彼の作品は観る人に強い衝撃を与えました。
1946年の「絵画」、1949年の「頭部II」などは、より力強いスタイルに変わっています。ベーコンの作品はますます評価されました。
ディエゴ・ベラスケスの「インノケンティウス10世の肖像」や映画『戦艦ポチョムキン』の叫ぶ女性のイメージを組み合わせた「叫ぶ教皇たち」は、彼の代表作となりました。
1949年には「人物像が」彼の作品の主要なテーマとなり、彼のキャリアにおいて大きな転換点となりました。
芸術家としての名声が確立。旅・私生活・テーマの多様化が作品に影響をおよぼす(1950年代)
旅行での新たなインスピレーション
恋人のエリック・ホールと別れた翌年の1951年から1952年にかけて、ベーコンは南アフリカの旅へと出かけます。アフリカの自然、野生動物や風景から多くのインスピレーションを得ました。
古代エジプト美術にも感銘を受けています。旅の後は、スフィンクスを題材とした作品を制作するほど、この旅は作品に大きな影響を与えました。
私生活が制作へ大きく影響
ベーコンは1950年に長年付き合ったエリック・ホールと別れますが、その2年後にはテストパイロットのピーター・レイシーと付き合います。レイシーが亡くなるまで、二人の関係はとても激しいものでした。ベーコンの作品は、私生活の変化が大きく影響しています。
テーマの多様化
ベーコンは、自分自身や、知っている人、動物、歴史上の人物など、さまざまなものを題材にして絵を描きました。特に、ゴッホや他の画家たちの絵を参考にしながら、自分なりに解釈して絵を描いていました。
例えば、「ルシアン・フロイドの肖像」という絵は、実際にはカフカの写真を参考に描かれたもので、ベーコンの想像力が加わって、独特な雰囲気になっています。
シリーズ作品を手がける
1950年代のフランシス・ベーコンは、彼の芸術家としての名声が確立された時期でした。この時期、ベーコンは「叫ぶ教皇」のシリーズで広く知られるようになります。
参考:ベラスケスの『教皇インノケンティウス10世の肖像画』を模したフランシス・ベーコンの習作(1953年)Francis Bacon, Study After Velázquez's Portrait of Pope Innocent X, 1953. Oil on canvas. CR no. 53-02. © The Estate of Francis Bacon / DACS London 2018. All rights reserved.
特に、ディエゴ・ベラスケスの「インノケンティウス10世の肖像」を元にした作品は、ベーコンの代表作の一つとなりました。彼はこの肖像画をもとに、権力と恐怖、孤独をテーマにした独自の解釈を加えています。
まとめ
フランシス・ベーコンの生誕から1950年代までの生涯を辿り、彼の作品世界の一端をご紹介しました。彼の作品は、その生々しい表現と心理的な深みから、多くの人々を魅了し続けています。
次回の記事では、1960年代以降のベーコンの人生後半の活動や当時の作品、日本でベーコンの作品を鑑賞できる美術館、そしてベーコンを深く理解するための参考書籍をご紹介します。
ベーコンの独創的な作品世界に触れ、その魅力に迫りましょう。次回の後編もお楽しみに!!
関連記事:フランシス・ベーコン 深淵を覗き込む画家、その晩年の軌跡(後編)
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本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
本の執筆をメインに活動中。イロハニアートでは「難しい言葉をわかりやすく。アートの入り口を広げたい」と奮闘する。幼い頃から作品を作るのも見るのも好き。40代の現在も、自然にある素材や家庭から出る廃材を使って作品を作ることも。美術館から小規模のギャラリーまで足を運んで、アート空間を堪能している。
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