STUDY
2024.10.28
フェルメールブルーと広重ブルー?理想の青への長い道のり
青色を絵画で表現することは、長い間、芸術家たちの夢であり、同時に挑戦でもありました。自然界には、空や海、遠い山々など、私たちの目に映る青色が数多く存在しますが、それを絵の具として安定的に再現するのは困難だったのです。
初期の画家たちは、植物から抽出された青い色素を使っていました。たとえば、藍(インディゴ)やツユクサから得られる青です。しかし、これらは絵の具としての完成度が低く、退色しやすいため、十分な効果を得ることができませんでした。
目次
アズライト(藍銅鉱)〜古くから東西の美術で使われた青
鉱物の一種である藍銅鉱(アズライト)から作られる顔料は、古くから東西で青色を表現するために使用されてきました。この顔料は「岩群青」とも呼ばれ、英語では「マウンテンブルー」とも称されます。
日本でも銅山が多く、この顔料が広く利用されましたが、藍銅鉱は孔雀石と混じって採れることが多く、精製が難しかったため、非常に高価でした。群青60グラムで米一俵が買えるほどの価値があったと言われています。
アズライトの原石, Public domain, via Wikimedia Commons.
藍銅鉱は中国や日本の伝統的な青色顔料として、敦煌の壁画や多くの美術作品に使用されてきました。また、古代エジプトでも使われ、15世紀から17世紀にかけてのヨーロッパでも、後述のウルトラマリンよりも頻繁に使用されていました。
「フェルメールブルー」ラピスラズリ〜海を越えてやってきた高価な青
ラピスラズリの原石, Public domain, via Wikimedia Commons.
やがて、宗教画などで鮮やかな青色が重要視されるようになり、特に聖母マリアの青いマントなど、神聖さや崇高さを表現するためにこの色が求められるようになりました。この鮮やかな青を生み出したのが、ラピスラズリという鉱石です。
アフガニスタンの山々で採掘されたこの鉱石は、時には金よりも高価でした。ラピスラズリは地中海を越えて西洋に運ばれ、その顔料は「ウルトラマリン」と呼ばれます。
フェルメールはこのウルトラマリンを使って、『真珠の耳飾りの少女』の青いターバンを描きました。この美しい青は、フェルメールがこだわった色であり、特に「フェルメールブルー」としても知られています。
関連記事:ヨハネス・フェルメールとは|代表作、どんな人だったのかを生涯とともに解説
ヨハネス・フェルメール『真珠の耳飾りの少女』1665年頃, マウリッツハイス美術館所蔵, Public domain, via Wikimedia Commons.
プルシアンブルーの登場〜青の美術表現に革命
しかし、ラピスラズリにも限界がありました。粒子が重く、水に溶けないため、グラデーションやにじみを表現することができなかったのです。
これを解決したのが、18世紀にドイツで偶然発見されたプルシアンブルーでした。錬金術師だったディーズバッハが赤い顔料を作ろうとしていた時に偶然発見された顔料でした。
プルシアンブルーは、鉄イオンの化合物からなる非常に細かい粒子で、これを水に溶かすと分散し、青の濃淡やにじみを表現できるようになりました。この技術革新により、画家たちは青を自由に扱えるようになり、ヨーロッパで広く使用されるようになっていきます。
日本に伝わったプルシアンブルー〜ベロ藍としての影響
プルシアンブルーは、鎖国中の日本にもオランダ経由で伝わり、ベルリンの藍と言うことで、日本では「ベロ藍」として呼ばれるようになります。
日本ではそれまで、群青や藍が主に青色顔料として使われていましたが、それらは非常に高価で、特別な場面でしか使用されませんでした。
日本でいち早くベロ藍を取り入れたのが、伊藤若冲でした。彼は緻密な描写と優れた技術で知られ、「超絶技巧」の一例として現代でも高く評価されています。若冲の代表作である1765年頃の『動植綵絵 群魚図』では、プルシアンブルーが使用されていました。
伊藤若冲『動植綵絵 群魚図』1766年頃 皇居三の丸尚蔵館所蔵, Public domain, via Wikimedia Commons.
若冲がどのようにしてベロ藍を入手したのかは不明ですが、彼の家が裕福であったことや、江戸に比べ、京都が長崎に近いことから、オランダ経由で早く手に入れた理由が考えられます。
「広重ブルー」ベロ藍が浮世絵に与えた革命的影響
ベロ藍は、化学的に合成可能で、大量生産ができたため、当時の庶民でも手に入れられるほど安価な絵の具となり、江戸の画家たちもベロ藍を取り入れ始めました。
葛飾北斎もその一人で、彼の代表作である『富嶽三十六景』では、ベロ藍を使って波や空の深みのある青を描き出しました。この鮮やかな青は、当時の日本でも非常に新鮮な色として捉えられ、特に「北斎ブルー」として知られるようになります。
葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』1830年-1834年頃, Public domain, via Wikimedia Commons.
ベロ藍は浮世絵界に広く普及し、北斎に続いて浮世絵の色彩表現をさらに進化させたのが歌川広重です。
広重は、浮世絵における風景画の巨匠として知られており、特に彼の描く青色は「広重ブルー」と呼ばれるほど高く評価されています。広重ブルーとは、彼が用いた深く鮮やかな青色が称賛されたもので、特に『東海道五十三次』や『名所江戸百景』といった作品に多く見られます。
歌川広重『東海道五十三次之内 日本橋 朝之景』1833年-1834年, Public domain, via Wikimedia Commons.
広重ブルーが特に高く評価される理由の一つは、広重がベロ藍を巧みに使い、光と影、遠近法を駆使して空や海の広がりや奥行きを見事に描き出している点です。
彼の青色は、単なる装飾ではなく、絵全体に深みと静けさを与える重要な役割を果たしています。広重が描く青は、昼夜の変化や、晴れと曇りといった時間や天候の移ろいまでも的確に表現し、自然の美しさや情景を感じさせる強力な要素となっています。
浮世絵の青におけるベロ藍の功績
浮世絵における色彩の変遷は、印刷技術の進歩とともに発展し、特にベロ藍の登場によって大きく変わりました。ベロ藍は、浮世絵における青の表現に革命をもたらし、風景画をよりリアルで生き生きとしたものにしました。
北斎や広重はこのベロ藍を巧みに使い、それぞれ独自の「青」を確立しました。北斎はダイナミックな青で波や空を描き、広重は青を通じて静けさと広がりのある風景を表現しました。
青が当たり前に使われるようになった背景には、顔料技術の進化と、その結果としてもたらされた芸術表現の多様化がありました。プルシアンブルーの発明は、青を特別な色から日常の色へと変え、芸術の世界に新しい可能性を広げたとも言えます。
もしこの顔料が発明されていなければ、北斎や広重の傑作が誕生しなかっただけでなく、私たちが青の魅力を日常的に楽しむ機会も、今ほど多くはなかったかもしれません。
広重ブルーの世界を味わう展覧会が開催中
現在、2024年10月5日~12月8日の会期で、太田記念美術館において展覧会「広重ブルー」が開催されています。なぜ広重がベロ藍を取り入れたのか、その背景が紹介されており、また、ベロ藍を使用した多くの作品が展示されています。ベロ藍がどのような青なのか、その美しさを鑑賞できる内容となっていますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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東京美術館巡りというSNSアカウントの中の人をやっております。サラリーマンのかたわら、お休みの日には、美術館巡りにいそしんでおります。もともとミーハーなので、国内外の古典的なオールドマスターが好きでしたが、去年あたりから現代アートもたしなむようになり、今が割と雑食色が強いです。
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