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STUDY

2021.7.2

西洋美術史を流れで学ぶ(第1回) ~メソポタミア文明・エジプト文明編~

西洋美術史を堅苦しくなくフランクに楽しく紹介していくこの企画。第1回は人類が絵を描き始めた4万年前の洞窟壁画からエジプト・メソポタミア文明について、解説します。

死者の書Book of the Dead for the Chantress of Amun, Nany | Third Intermediate Period | The Metropolitan Museum of Art


なぜ人は表現をする? ネアンデルタール人の洞窟絵画

美術の歴史はとんでもなく古いんです。今から4万年以上前、ほぼ原人に近いネアンデルタール人の時代には「美術作品」が生まれています。動物を狩るために石や木で作った槍や斧のような、実用性のある創作物はもちろんありました。しかし彼らは、なぜか住居にしていた洞窟の壁に「手形」や「動物の写実画」などを書いているんです。

ラスコー洞窟の壁画ラスコー洞窟の壁画(Shutterstock

その理由ははっきりとは分かっていません。狩りの成功を祈ったおまじないなのか、無意識的に弔いをしていたのか……。いやいやそんな高尚なものじゃなく「暇すぎて、な~んもすることない」とゴロゴロしながら描いたのかもしれません。とにかく人はネアンデルタール人の時代から「創作をすること」を本能的に始めていたんです。


エジプト・メソポタミア文明期

さてそんなネアンデルタール人の時代からときが進み、紀元前3000年~300年ごろに2つの文明が栄えます。エジプト文明とメソポタミア文明です。前者はチグリス・ユーフラテス川、後者はナイル川による豊穣な地だったから農耕も早く、文明がいち早く築かれました。

エジプト文明やメソポタミア文明など「水」に恵まれていた地は農地などの資源がありました。すると争いが起き、階級が生まれるんです。両方とも超中央集権で「国王こそ最高」みたいな風潮がありました。


エーゲ・ギリシャ芸術の礎となるメソポタミア文明の芸術

メソポタミア文明ではシュメール人が都市国家を形成します。「目には目を歯には歯を」のハンムラビ法典、楔形文字などを発明した彼らは主に大理石やレンガなどで彫刻や絵画を作りました。ときにはレンガに色をつけてモザイクアートのように見せています。

ウルのスタンダードウルのスタンダード (Shutterstock

メソポタミア文明の後期には、称える作品がいくつも生まれています。以下の「アッシュールバニパルの獅子狩り」は侵略しようとする敵国(ライオン)をやっつけるアッシュールバニパル王の姿を描いたものです。

アッシュールバニパルの獅子狩りアッシュールバニパルの獅子狩り (Shutterstock

これらのアート作品は主に大理石を使って作られています。このスタイルはのちにギリシャ芸術に引き継がれることになるんです。まさに初期西洋美術史の基礎はメソポタミア文明から始まりました。


エジプト文明の「来世のため」のアート

一方でエジプト王(ファラオ)が統治していたエジプト文明でもやっぱり超格差社会でした。例えばツタンカーメン。金箔を贅沢に使ったピッカピカなこの作品は、スマホアプリ自撮りくらいシワひとつなく、人間味がないのが見どころ。ファラオは太陽神・ラーの子とされていたので、もはや人間じゃないんです。つまり「神々しいほど良い」。それでこんなに金ピカなんですね。

ファラオツタンカーメン像の黄金のマスク (SriomによるPixabayからの画像)

一方そのため同じ権力者でも王妃・ネフェルティティは人間なので微細なシワが描かれています。この場合は単に肖像画なので、似てなきゃダメ。加工なしの写実性が求められるわけです。

ネフェルティティネフェルティティの胸像 (HeikoALによるPixabayからの画像)

さてエジプト文明期のアート作品の特徴といえば「来世思想」にもとづいたものです。

というのもエジプト文明とメソポタミア文明では「死生観」がまるで違っていました。当時の寿命はだいたい20歳といわれていましたが、メソポタミア文明は「与えられた20年を受け入れようぜ」という価値観。一方、エジプト文明は「人生はいったん黄泉の国にいって、また帰ってくるもの」と考えていました。太陽が昇っては沈むのを見て「太陽は向こう側であの世に逝っとるんや。絶対に人生は2、3周目があるはずや」と考えたんです。

だから「肉体が朽ちたら黄泉から帰ってきたときに困らないように」と遺体はミイラにして保存したし、「あの世で困らないように」と、ごはんや財産、ペットを一緒に棺に入れたりしました。

現代で棺に入れるものといえば「献花」や「思い出の品」。エジプト人が見たら「おい、大丈夫か? あの世で困るぞ」とつっこまれること必至でしょう。クレカやスマホを入れとかないと、あの世で飯食えません。

そんあ死生観のもと生まれた作品が「死者の書」です。エジプト人は「黄泉では結構な試練があるに違いない」と思いました。そこで作った”攻略本”を描いたんです。

死者の書Book of the Dead for the Chantress of Amun, Nany | Third Intermediate Period | The Metropolitan Museum of Art

例えば有名なやつだと「アヌビスの天秤」。片方に神鳥・マアトの羽根を、もう片方に死者の心臓を置く。心臓が羽根より重たく、しかも嘘偽りを語ると死後の世界にいく前に怪物に食べられる、という話です。たしかに事前知識なしでこんな切羽詰まった状況に出くわしたら「え? あ……えっと……私は嘘ついたことない善人です!」とか汗ダラダラで言っちゃいそう。

「死者の書」では基本的に人や神は顔と手足は横向き、動態は正面で描かれます。そして全員無表情です。できるだけみんなに伝わりやすいように、この構図にしたようです。つまり彼らはアートというより、参考書の「図」みたいな機能性を意識していたんですね。


さて、今回は洞窟壁画からメソポタミア文明・エジプト文明について紹介しました。今後の西洋美術史にどう影響するのか……。次回はギリシャ・エーゲ時代のムッキムキな彫像の見方を紹介します。

ジュウ・ショ

ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。