STUDY
2022.4.6
西洋美術史を流れで学ぶ(第22回)~新印象派・後期印象派編~
やたらと難しく語られがちな西洋美術の話を「おしゃべりする感覚」で、ときにツッコミを入れながら紹介していくこの連載、前回は有名な印象派について紹介しました。
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西洋美術史を流れで学ぶ(第21回)~印象派編~
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芸術の都・フランスにおいて、国全体は「神話画や宗教画といった重厚なストーリーのある西洋絵画こそが正解だ」としていた。国営の展覧会・サロン・ド・パリ(通称・サロン)を開いて、その基準に当てはまった作品のみを評価していたわけです。
しかし印象派は「見たままの光景をそのまま描くこと」に重きをおいており「色彩は光から生まれる」と思っていた。だから女神とかキリストとか出てこない風景画や人物画を描くんですが、当然サロンからは評価されない。あまりに自分たちの作品が評価されないんで、自発的に「印象派展」を開催し、そこにカウンターパンチを食らわせる……といったストーリーを紹介しました。
今回はそんな印象派の姿勢を、さらに自分たちなりの解釈で広げていく「新印象派・後期印象派」について、楽しく見ていきましょう。
目次
印象派以降「サロン第一主義」は壊滅する
印象派が自分たちで開催した「印象派展」は1874年から1886年に開かれました。印象派たちが世間から認知されていく一方で、国営のサロン・ド・パリはものすごい勢いで力を失っていきます。
簡単におさらいをすると、1860年代までの画家にとって「サロン」というのは「唯一の登竜門」みたいなものでした。「サロンに認められたら絵の依頼が来るし、逆にサロンではじかれたら、画家として飯を食うのは難しい」くらいのレベルです。
ただ時代が進むに連れて「そんなん閉鎖的過ぎるやろ。多様化を認めろよ」という動きが出てくるんですね。以前の記事で描いた通り、ジェリコーやドラクロワの「ロマン主義」が出てきて「古い神話の絵とか人の心に響かなくない? 事実を描いた作品のほうが心にくるじゃん」みたいな思想が表立ってきます。印象派も同じような思考でリアリティのある写実的な絵を描きました。
そんななか、1870年ごろになると、サロンも「うーん、さすがにちょっと考えを変える必要があるんかもなぁ」と思います。それで印象派の源流でもあるバルビゾン派出身の画家、コローやミレーなどを選考委員に入れてみるんですね。
この後は「コローとかミレーが選考委員にいたら印象派の絵がサロンで入選するが、いなかったら落とされる」という、何とも一貫性のない状態になっちゃいます。そんななかで印象派は1874年、「もうサロンとか頼らんわい!」と印象派展を開催したんです。
1880年になると、印象派展の認知度も高まってきて、サロンは「もうちょい前衛的な絵にも寛容にならなきゃかもなぁ。ちょっと審査委員の幅を広げてみようか」って思うんですね。あの、最近「キング・オブ・コント」の審査委員が一気に若返りましたが、あんな感じです。
ただやっぱり「何百年も続いた慣習を見直す」ってのは簡単じゃない。この改革案に昔からの審査員は反対勢力も生まれます。で、サロンはもう大混乱しちゃうんです。評価軸がわからなすぎて、例年の倍以上の作品を入選させたりするんですね。
そんなごたつきがあり、結局サロンは1881年から民営化されます。また同時期から1890年代にかけて「サロン以外の民営展覧会」がたくさん出てくる。画家や画商たちは“一匹目のペンギン”である印象派展の成功をみて「サロンも国営じゃなくなったし、もう頼る必要はないだろ」って思ったんです。
すると画家の仕事の取り方自体が変わってくる。「サロンで認められて世間的評価を高める」じゃなくて「民営の展覧会で画商や批評家から評価をもらって、画家と依頼主とをつなぐ」という形になります。
だから当然、画家や作品も多様化していくんですね。それまでは「サロンでウケる画風」で描かなくちゃいけなかったけど、この時代からは「あくまで自分の表現したい形で作品をつくる。一部の画商・批評家が作品を評価してパトロンとつなげる」という形で画家はお金を稼げるようになるんです。
そんな背景があったうえで、新印象派・後期印象派をみてみると、ちょっとこの時代の西洋美術が分かりやすくなるかもしれません。
スーラやシニャックらによる「新印象派」の登場
ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』, Public domain, via Wikimedia Commons
そんな過渡期に発生した画家を新印象派・後期印象派といいます。広義で後期印象派という画家軍があって、新印象派が内包されるイメージです。
前回の記事でお話ししましたが、印象派の面々は「筆触分割」というテクニックを使って絵画作品に色を塗りました。筆触分割とは異なる色を隣同士に配置することで人間の錯視を誘発させ、あらたな色を作るものです。
それまでは基本的にパレットの上で色を混ぜて作っていた。ただ色は混ぜれば混ぜるほど黒に近づいていくんですね。印象派は基本的に「お外で風景の美しさとか光の加減を描こう」という意識なので、色彩が暗くなるのが根本的にNGなわけです。それで、あえて色をほとんど混ぜずに隣同士に配置することで表現をしていました。
そんな筆触分割を論理的に極めた画家が「ジョルジュ・スーラ」です。スーラはものすごく計画的に色の配置を決めたうえで、精密に精密に筆触分割を進めました。その結果、行きついたのが「点描」なんです。つまりミリ単位で筆触分割をおこなうわけですね。この点描の表現はポール・シニャックへと引き継がれていきます。
ポール・シニャック『七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像』, Public domain, via Wikimedia Commons
「誰の作品でも展示するよ~」というアンデパンダン展の開催
ジョルジュ・スーラ『アニエールの水浴』, Public domain, via Wikimedia Commons
スーラの点描は、印象派が目指す筆触分割の完成形ともいえるものでした。彼は1883年に彼は「アニエールの水浴」という作品を作ります。彼はこれを当時民営化していたサロンに持っていくわけです。しかしサロンは「なにこれ……点描じゃん。どう評価したらええんこれ」と落選にします。サロンはまだまだ保守的なんですね。
それでスーラは「もう、サロンとかどうでもいいわ。もうなんか、思考がおじいちゃん過ぎるわ」と幻滅。友だちのポール・シニャックらと「独立芸術家協会」を設立し「アンデパンダン展」を開催するんです。
これは「賞とかないけど、審査なしで誰のどんな作品でも展示するよ」というコンセプトです。今でいうとpixivみたいな場所を作ったんですね。これは保守的なサロンへのカウンターでした。
アンデパンダン展はのちにゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ムンク、ルドンなどの画家が出品をしており「美術の多様化」にものすごく大きく貢献した場です。現在でも日本をはじめ、各国で毎年開催しており、いまだに「新しい画壇のスター」を生み出す展覧会として機能をしています。
そんな偉大な場所を生み出したスーラやシニャックの点描画は、印象派のピサロから「お前たちの作品すげぇな。印象派展にも作品をだしてくれよ」とお声がかかるわけです。
それで彼らは1886年、第8回印象派展に点描画の作品を出品するんですね。ちなみに、新印象派の参加に対して、古参のモネなどは「いや、ちょっと俺らと目指してるところ違うわ」と反発します。板挟みのピサロは「まぁまぁ、新しい表現からも学ぼうや」みたいになだめるんですが、結局モネグループはいじけちゃって、第8回印象派展には参加していません。
脱・印象派! 幅広い展開を始める西洋美術
では新印象派以外の画家にも目を向けてみましょう。
この後期印象派の時期にはスーラやシニャック以外にも、たくさんの著名な画家が誕生します。ただ先述した通り「画風」はまったく一致していません。後期印象派のなかでも「ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ」は御三家といわれます。
なかでもぶっちぎりの主要人物は「近代絵画の父」といわれる、ポール・セザンヌです。
印象派の絵を「永久のもの」にしようとしたポール・セザンヌ
ポール・セザンヌ『リンゴと静物』, Public domain, via Wikimedia Commons
セザンヌはもともと印象派の画家でした。ただ彼は「風景や人の一瞬を切り取る写実的表現ではダメだ」と考えたんですね。どういうことかをざっくり紹介しましょう。
印象派は「見たまんまの姿を極力そのまま描こうぜ」って考えていました。例えば「リンゴ」を書くときに、光の当たり方や、光による色合いの変化をできるだけ忠実に再現したんですね。
つまりそのリンゴは「〇月〇日〇時〇分〇秒に〇〇県〇〇市〇番地〇-〇」で描かれた対象物なわけです。超具体的なもので、その一瞬しか存在しない光景を絵にしていました。
いっぽうで、セザンヌは「その一瞬だけじゃなくて『永続的で普遍的なもの』として対象を描きたいんだよなぁ」と思っていたんです。「〇時〇分〇秒のリンゴ」じゃなくて「これぞリンゴ!」っていうのを描きたかった。
だから具体的に描かれた対象を究極までデフォルメ、抽象化していきます。例えば彼は「木の幹は円柱、オレンジ・リンゴは球で構成されている」と分析しています。 対象物を細かく分解して、頭のなかでシンプルな形に置き換えて再構築していくわけですね。
ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』, Public domain, via Wikimedia Commons
すると絵も単純化されていきます。例えば「絵の遠近感がない」や「赤を強調してリンゴを描く」などがセザンヌの絵画の特徴です。すると「1つの絵のなかで多角的な視点の対象物」があらわれてくる。上の「リンゴとオレンジ」では中央、右、左で別々の視点から描かれているのが分かると思います。
これは当時めちゃめちゃセンセーショナルだったわけです。というのもルネサンスの時期に建築家のブルネレスキやダ・ヴィンチが遠近法を発明してから、400年くらい「見た光景を遠近法を駆使しながらちゃんと写実的に描く」というのは常識だったんですね。セザンヌの作品は、そんな「当たり前」をぶっ壊したわけだ。
セザンヌの影響を受けたゴーギャン、ゴッホなどのアーティストたち
ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』, Public domain, via Wikimedia Commons
そんなセザンヌの作品は斬新すぎて、そりゃもう気持ちいいくらい評価されません。当時の人からしたら「ただのパースが崩れたド下手な絵」なんです。ただ、キャリア後期になって、ポール・ゴーギャンやフィンセント・ファン・ゴッホといった、前衛的な画家が彼を支持し始めます。
セザンヌは絵が売れないうえに妻子がいたので、かなり長く極貧生活を続けていて、一時期は絵の具の代金として自分の絵を渡していました。ゴッホの絵で有名な通称・タンギー爺さんのお店です。
フィンセント・ファン・ゴッホ『タンギー爺さん』, Public domain, via Wikimedia Commons
ゴーギャンやゴッホはそんなタンギー爺さんの店で、セザンヌの絵を買うくらいファンだったんですね。結果的にセザンヌの絵の代金をゴーギャンやゴッホが支払うみたいな……ものすごく奇妙な売買をしていました。
繰り返しますが、3人とも画風や表現したかったことは違います。ただ「遠近感のない作品が多い」「対象をデフォルメして描くことが多い」など、共通点も多いです。そんな背景にはセザンヌの革命があったんですね。
「個の時代」に移ろっていく1890~1910年代
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』, Public domain, via Wikimedia Commons
今回は後期印象派の時代について紹介しました。サロンという大きな存在が権力を失って、画家独自の表現が一部の画商や批評家に認められることで、仕事を得ることができるようになっていった時代です。
西洋美術史のこれまでの変遷では「〇〇派」「〇〇主義」という括りで進んできましたが、このあたりからは、だんだんグループでまとめるのが難しくなっていきます。
最近でも「個の時代」という言葉が流行ってYouTuberやインフルエンサーが増えていますが、近しいものがあるかもしれません。先ほどアンデパンダン展とpixivを並べましたが、すごく似ていると思います。
当時は民営の展覧会ができて多様化が進みました。今はSNSが生まれて多様化が進んでいる。プラットフォームが誕生することで「自由に表現できて、個性を認めてくれる人に出会える」という時代になっていくわけです。
次回はそんな変遷期に起きた「象徴主義」と「世紀末美術」について、引き続き楽しくみていきましょう。
▼次回記事はこちら!西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~
https://irohani.art/study/7242/
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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
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