STUDY
2023.5.17
平安時代400年の仏像の変化を作品で見比べ!日本美術史を流れで学ぶ(第6回)~平安時代の美術編その2~
小難しい教科書ではいまいち理解できない日本美術の歴史をお喋りするような感覚でお伝えする連載企画。前回の第5回では平安時代の美術作品がどう変わったのかをお伝えしました。超絶ざっくり書くと、前期(784~800年代後半)までは、唐の影響をゴリゴリに受けていたんだけど、後期(900年~1100年代)は国風文化が芽生えるようになったよ~、って話です。
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今回はそんな平安時代の作品の変遷をより分かりやすくするため、実際に前期と後期で作品例を挙げながら見ていこうと思います。
仏像でみる平安時代前期と後期の違い
まずは仏像にフォーカスして平安時代前期・後期の美術作品から紹介してみます。まずは唐の影響をがっつり受けていた前期。特に8世紀~9世紀前半の桓武・嵯峨・仁明天皇の時代には唐風美術がめっちゃ盛り上がりました。このころの美術作品のキーワードは「密教」です。
平安時代前期の仏像
「密教」とはインド発祥の仏教の一つ。シンプルにいうと「言葉だけじゃわからない激ムズな教えだけど、理解できたら生きてる間に仏になれるよ」と説いたものです。空海が真言宗を、最澄が天台宗を日本に伝えました。ちなみに対義語は「顕教」、これは言葉でわかる仏教の教えをいいます。
そんな「密教」にまつわる美術作品が「曼荼羅」です。平安時代前期には密教由来の曼荼羅が多く作られました。曼荼羅とはシンメトリーの構図で「〇」を描き、そのなかにさまざまな仏様を描いたものです。特に日本では神護寺の「高雄曼荼羅(紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図)」(※)が有名な作品です。
※編集部注:高雄曼荼羅は6年間の修復を経て、2024年4月から奈良国立博物館で開催される特別展「空海 KUKAI ―密教のルーツとマンダラ世界」にて一般公開予定。
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/special_exhibition/202404_kukai/
他には「伝真言院曼荼羅(両界曼荼羅図)」も有名ですね。彩色された曼荼羅では最古のものです。
国宝 両界曼荼羅図 胎蔵界曼荼羅, Tō-ji, Public domain, via Wikimedia Commons
ちなみに今の時代でいうと、さくらももこさんのイラストなんか、すんごく曼荼羅ぽいモチーフのものが多かったりします。今でもデザインとして機能するほどキレイな構図ですね。曼荼羅は今でも、おしゃれな町のシーシャ屋さんとかにほぼ100%飾られてますんで、見本が気になる人はシーシャを吸いにいってください。
空海はそんな曼荼羅を絵から出して、仏像にしました。こうした密教の仏像は「インド由来の新しい仏の形」なのがポイントです。つまりインドの神様をモチーフにすることで仏像の表現の幅が広がっていくわけです。
というのも、インドの神様ってむっちゃユニークなんですよ。超かっこいい。なんか、ウルトラマンの怪獣みたいな……。腕が4本生えてたり、顔が4つあったりするんですよ。よく「多面多臂像(ためんたひぞう)」といいますが、平安時代にはインドから唐を経由して日本に流れ着いた「なにこれ怖っ……」と言っちゃう異形の像が増えてきました。美術的にはかなり斬新な表現だったわけですね。
そんな密教美術の最高傑作といわれるのが「観心寺如意輪観音像」です。腕が6本あります。
9世紀ごろ, 図:飛鳥園 編, Public domain, via Wikimedia Commons
そこから仏像全体の表現が進化していきます。ただの人物像ではなく、演出を加えたものが出てくるようになりました。例えば法華寺の「十一面観音像」は後光のように蓮の葉などを並べた、珍しい表現をしています。こうした密教像によって仏像のバリエーションは増えていきました。
・ 十一面観音菩薩立像(法華寺公式ホームページ)
https://hokkejimonzeki.or.jp/about/honzon/
個人的にはこのインド由来の異形的な表現は、今の日本のアニメ文化などに通ずるところもあるのかもしれない……と拡大解釈したくなったりしますね。
平安時代後期の仏像
これが後期にどう変わっていくのか。まず時代背景をいうと、実は900年代後半になると、唐では仏教排斥がおこなわれます。それで唐の呉越国は「やばい、仏教なくなっちゃう……そうだ。日本で盛り上げよう」と日本に浄土教を広めるわけです。「祈れば極楽浄土にいけまっせ」という教えですね。
その結果、900年代末~1000年代にかけて浄土教が広まり、1053年には藤原頼通が10円玉でおなじみ平等院鳳凰堂を建立します。庭園を含めて極楽浄土の光景を再現したものです。
Photo by Martin Falbisoner, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
それとともに、前回の記事でお伝えしたように「唐を見習おうぜ」という動きは鈍くなっていき、反対に「日本ならではの作品を確立しなきゃ」という考え方が国全体に広がっていきました。つまり浄土教など、海外由来の文化を取り入れつつ、日本独自の方向性と合致させていく考えだったわけです。
この時代に現れたのが天才仏師が康尚と弟子・定朝。彼らが作った国産の仏像は平安貴族的に大ヒットします。「これぞ浄土教の心安らかなメンタル状態を具現化している傑作だ」とウケまくるんです。
定朝(11世紀), 図鑑:福山恒夫 森暢 編, Public domain, via Wikimedia Commons
上は定朝の「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像」。華やかでありながら凹凸が少なく平面的なのが特徴で、ひと言でいうと「めっちゃ穏やか」なんですね。これが平安貴族の美意識にフィットしました。そしてその背景には心の安定を求める仏教の教えがあった、という感じです。
これは「定朝様式」ともいわれ、あえていうと「貴族にウケるモデル」ができたという感じなんですね。なのでその後に出てきた仏師も定朝のような「華やか」なスタイルを継承していきました。モデルができたので大量につくれるようになり、1100年代には「蓮華王院本堂千体千手観音像」というとんでもないものもできています。
Nara National Museum 奈良帝室博物館 (Showa 8 - 1933), Public domain, via Wikimedia Commons
これらのどっしりと構えた安定感のある構図は、実は平安時代より前の奈良時代などの表現にも共通しています。まさに温故知新。日本独自のスタイルを確立していったんですね。
次回は平安時代の前後期の絵画作品を紹介
今回は平安時代の前後期の仏像の変遷について紹介しました。次回は絵画について、平安時代の前後期を比較して見てみましょう。
▼平安時代400年で絵画作品はどう変わった?日本美術史を流れで学ぶ(第7回)~平安時代の美術編その3~
https://irohani.art/study/13740/
参考文献
『増補新装 カラー版日本美術史』辻 惟雄 監修
『日本美術史 JAPANESE ART HISTORY』(美術出版ライブラリー)(美術出版ライブラリー 歴史編)山下裕二 高岸輝 監修
『日本美術史ハンドブック』辻惟雄 泉武夫 編
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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。
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