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2026.1.19
ベルニーニ《聖テレジアの法悦》を解説――ダン・ブラウン原作の映画『天使と悪魔』における効果
ダン・ブラウンのベストセラーを映画化した『天使と悪魔』は、ローマ教皇選挙をめぐる緊迫した陰謀を描き、世界中の観客を魅了しました。主人公ロバート・ラングドン教授が謎を解くヒントとなるのが、バロック芸術の巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが残した作品群です。
この記事では、ベルニーニの最高傑作である《聖テレジアの法悦》に焦点を当てます。彫刻の意味、ベルニーニの演出技法、映画における効果を解説します。
※映画のネタバレを含みます。
目次
映画『天使と悪魔』(2009)
参照:『天使と悪魔』(2009)
本作は、ダン・ブラウンの小説を原作とした、緊迫感あふれるミステリーサスペンスです。新教皇を選出する儀式「コンクラーベ」の最中、バチカン市国で起こる一連の事件が描かれています。
事件の犯人は、かつてカトリック教会に弾圧された科学者たちが結成した秘密結社「イルミナティ」を名乗ります。そして、CERN(欧州原子核共同研究機構)から盗み出した強力な爆弾「反物質」でバチカン全体を脅迫するとともに、次期教皇候補である枢機卿4人を誘拐し、四大元素(土、空気、火、水)を象徴する場所で順次処刑すると宣言しました。
警察から協力依頼を受け、犯人が残した暗号「啓示の道」を解き明かすべく、CERNの科学者ヴィットリア・ヴェトラとともに、主人公ロバート・ラングドンはローマを駆け巡ります。その道標として示されるのが、バロック芸術の巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによる作品群です。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《聖テレジアの法悦》(1647〜1652)/サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、コルナロ礼拝堂, Public domain, via Wikimedia Commons.
ヒントの1つとなるのが、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会に設置されている《聖テレジアの法悦》でした。情熱や浄化を連想させる「火」のシンボルとして、誘拐された枢機卿の処刑場所を指し示しています。
「ローマはベルニーニのためにつくられた」
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《自画像》(1630〜1635)/ボルゲーゼ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
1598年、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、彫刻家ピエトロ・ベルニーニの子として生まれました。10代にしてローマ教皇パウルス5世やシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿に見出され、バチカンへの出入りを許されるなど、恵まれた環境で初期のキャリアを築きました。
初期から発揮された彫刻の才能
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《ダビデ像》(1624)/ボルゲーゼ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
20代のベルニーニは、ボルゲーゼ枢機卿のために数々の傑作を制作します。特に、旧約聖書の英雄を描いた《ダビデ像》や、ギリシャ神話を題材とした《アポロンとダフネ》などは、大理石をまるで生きた肉体のように表現し、一瞬の動きと感情の緊張感を捉えるバロック彫刻らしさが表れています。
古代ギリシアのヘレニズム彫刻に影響を受けつつ、写実性とドラマチックな表現を両立させた作品群によって、彼はルネサンス以降の彫刻史に大きな変革をもたらしました。
教皇の寵愛とローマのバロック化
サン・ピエトロ広場, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼のキャリアの頂点は、1623年に教皇に就いたウルバヌス8世の時代に訪れます。対抗宗教改革を経たカトリック教会の威信を示すために、ベルニーニを重用したいと考えたのです。その寵愛を受けたベルニーニは、彫刻家、建築家、都市計画家として活躍しました。
そして、ルネサンス様式が中心だったローマを、豪華絢爛で装飾的なバロック様式へと移行させる中心人物となります。その象徴が、サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇を飾る巨大な円柱の天蓋「バルダッキーノ」や、大聖堂の前に広がる「サン・ピエトロ広場」の設計です。これらは単なる芸術作品ではなく、ローマ全体の都市景観を演出する総合芸術として、彼の天才性を証明しました。
試練と復活
しかし、1644年にウルバヌス8世が亡くなり、インノケンティウス10世が教皇に就くと、ベルニーニは一時的に冷遇されます。サン・ピエトロ大聖堂の鐘塔に亀裂が発見されたことで批判されるなど、キャリア最大の試練を迎えました。
逆境の中、彼は自らの真価を示すために制作に没頭します。その結果、ローマのナヴォーナ広場にある《四大河の噴水》や、これからご紹介する《聖テレジアの法悦》などが生まれました。名声を回復し、巨匠としての地位を不動としたベルニーニ。81歳で生涯を終えるまで創作活動を続け、その作品は「芸術の奇跡」と称賛されました。
《聖テレジアの法悦》が最高傑作と呼ばれる理由
《聖テレジアの法悦》は、ベルニーニが試練の時期に全精力を注ぎ込んだ、彼の集大成ともいえる傑作です。この彫刻がどのようにして「バロック芸術の最高傑作の1つ」と呼ばれるに至ったのか、詳しく解説していきます。
「エクスタシー(恍惚)」の瞬間
《聖テレジアの法悦》拡大写真, Public domain, via Wikimedia Commons.
《聖テレジアの法悦》は、スペインの修道女でカトリック教会の聖人、テレジアが経験した神秘体験、つまり「恍惚(エクスタシー)」の瞬間を具現化していると考えられています。
彼女の自伝には、「翼を持つ天使が炎の先端を持つ黄金の槍で心を貫く夢を見た」と示す記述があり、「神の愛」に魂が貫かれた瞬間として描かれました。《聖テレジアの法悦》において、テレジアは目を閉じ、天を仰いで大理石の雲の上に横たわり、官能的とも受け取れる表情を浮かべています。その隣には、やわらかな微笑みを浮かべた天使が、槍を構えて立っています。
ベルニーニの創作意図
《聖テレジアの法悦》拡大写真, Public domain, via Wikimedia Commons.
ベルニーニは、彫刻単体で終わらせず、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会のコルナロ礼拝堂全体を、「総合芸術の劇場」として設計しました。
彫刻の背後に隠された窓から自然光を取り込み、それが真鍮の光線を通して聖テレジアに降り注ぐように演出されています。さらにテレジアを雲の上に横たわらせることで、天上の光景のように見せ、神聖な喜びを現世に引き込む役割を果たしました。
礼拝堂の両脇には、彫刻の依頼主であるコルナロ家が、神秘的体験を鑑賞しているように彫刻されています。そのため、わたしたちも目撃者となるよう仕向けられていると感じられます。
バロック芸術の最高傑作になった理由
この作品が「バロック芸術の最高傑作の1つ」と評価される理由に、次の3つが挙げられます。
・大理石とは思えないほど、リアルでドラマチックな彫刻表現
・彫刻、建築、絵画といった要素が一体化した、総合芸術としての完成度
・自然光を巧みに活用し、作品に神々しい生命感を与える革新的な手法
こうした魅力を備えた《聖テレジアの法悦》は、対抗宗教改革期のカトリック教会が目指した、信者に力強く訴えかける「感動的な信仰体験」を実現しているのではないでしょうか。
『天使と悪魔』における《聖テレジアの法悦》の効果
映画『天使と悪魔』において、《聖テレジアの法悦》は単なる舞台装置ではありません。イルミナティが仕掛けた「啓示の道」において、この彫刻は「火」のシンボルとして、枢機卿の処刑場所を示す要素になりました。
彫刻における光と影のコントラスト、そして聖テレジアの恍惚の表現は、バロック芸術の核心である「ドラマ性」を体現しています。この芸術的ドラマ性が、映画では非情な「処刑の劇場」へと反転して利用されました。ベルニーニの創り出した神聖な空間が、悪意によって恐怖の場と塗り替えられることで、宗教と科学の対立、光と闇のテーマが視覚的に強調され、観客の緊迫感を高める効果を生み出しています。
アートと謎が交錯するバロックの真髄
映画『天使と悪魔』は、ロバート・ラングドンとともに、ローマの歴史的遺産を巡る旅でもあります。
特に《聖テレジアの法悦》は、信仰の神秘的な体験を、光と感情、建築が一体となった「総合芸術」として昇華させた、バロック芸術の真髄です。映画を鑑賞するときは、彫刻の美しさやベルニーニの演出にも注目してみてくださいね。
参考
・ロン・ハワード監督『天使と悪魔』(2009)
・Web Gallery of Art, searchable fine arts image database
https://www.wga.hu/frames-e.html?/bio/b/bernini/gianlore/biograph.html
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ライター。若手社会人応援メディアや演劇紹介メディアを中心に活動中。ぬいぐるみと本をこよなく愛しています。アート作品では特に、クロード・モネ《桃の入った瓶》がお気に入りです。



