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STUDY

2021.10.14

西洋美術史を流れで学ぶ(第12回) ~ルネサンスの終わり編~

「アートのことをもっと知りたいけれど、なんだか敷居が高くてよくわかんない……」

そんな方に向けて西洋美術史をフランクにお伝えするこの連載、今回はいよいよ16世紀後半のルネサンスの終焉についてご紹介します。君主から市民にパトロンが移り、より写実的な作品が求められるようになったルネサンスはなぜ終わったのか。

第12回はルネサンス終焉の理由について楽しくわいわいみてみましょう。

・関連記事:西洋美術史を流れで学ぶ(第11回) ~北方ルネサンス編~
https://irohani.art/study/5282/

ルネサンスを振り返ってみる

ルネサンスは1300年代からはじまりましたが、1500年代のなかごろにあっさりと終了します。まずは簡単に「ルネサンスとは何ぞや」を振り返ってみましょう。

ときは古代ローマの時代、テルマエロマエみたいな彫りの深い風呂好きたちは「ヒューマニズム(人文主義)」、つまり「人間がすべての中心である」と考えていました。当時は君主が戦いによって領地を広げていた時代で、美術作品としてはムッキムキな彫像が主です。当然パトロンは「国(君主)」でした。

ルネサンスを振り返るRadomil (talk · contribs), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

そこから爆発的に広まったのがキリスト教。「キリスト万歳!」みたいな風潮が3世紀ごろからスタートして美術作品はキリスト関連のものばかりになりました。当然「教会」が超パワーアップし、信者を集めるための広告としても聖書の一場面を描いたものが多くなります。「国(君主)」と「教会」が主なパトロンです。

『ウラジーミルの生神女』『ウラジーミルの生神女』 Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

しかし13世紀ごろからイタリアのフィレンツェ近辺で貿易が栄えたり、繊維業、金融業で一儲けしちゃう市民が出てきました。すると金持ちが商売しやすくなるように、君主に支配されない「自治都市(コムーネ)」を作ります。英語でいうとコミュニティ、日本語でいうと商工会議所みたいな感じですね。

ただ市民が自分で都市を作って運営するのは古代以来のこと。そこで「古代ギリシャ・ローマを見習おうぜ!あのヒューマニズムの時代に戻ろうぜ!」と宣言したのが「ルネサンス(文芸復興)」です。市民がパトロンになったので、聖書の一部とか王様の肖像だけでなく、メディチ家をはじめとした金持ちの絵を「リアルに」描くようになりました。

ジョットはキリストの磔刑像を人間っぽく描きました。ブルネッレスキは「線遠近法」を開発し、マザッチョは「人体の再現」「空間性」「感情溢れた表情」を確立しました。

ダ・ヴィンチは「空気遠近法」を発明し人の顔の輪郭線を消しました。北方ではカンピンが「普通の民家にマリアがいる」みたいな絵を描き、ファン・エイクは5cmの鏡の中にまで住まいの中の様子を緻密に描きました。

全部「もっともっとリアルに」といった写実主義の観念に基づいて描かれるようになったんですね。

なぜルネサンスが終わったのか

では「どうしてルネサンスが終わったのか」という話に移りましょう。一方向からはいえませんが、さまざまな理由が重なって、ルネサンスが終わりました。

自治都市(コムーネ)の崩壊

イタリアAmada44, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

1つは「金持ち市民」が力を失ったからです。みんなが「金儲けしてぇ」となると戦いが生まれるもので、さっきの自治都市(コムーネ)同士の内乱が起こります。すると金持ち商人は「どっちが多くの兵士を雇うか」みたいになり、それがもとでイタリア中が金欠になるんです。もうなんかコントみたいな話ですね。

その背景には「新航路の発見」もあります。それまで地中海航路しかなかったんですが、大西洋航路が見つかりました。それでイタリアに入ってくる香辛料などの値段が半額以下の大セールになっちゃって、収入自体が減ったんですね。

で、イタリア中が金欠なときにフランス軍が攻めてきます。そりゃもう、あっさり負けてしまい、大きなパトロンだった市民が崩壊。ルネサンスの画家たちもダメージを受けました。

ルターによる宗教改革がおこった

1520年のルターの肖像1520年のルターの肖像 Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons

ルネサンス期の画家たちは、市民からの依頼が増えたとはいえ、依然プロテスタントの教会からも発注を受けて、聖書をモチーフにした作品を作っていました。

教会の収入源のうちの1つが「贖宥状(しょくゆうじょう)」の販売です。贖宥状とは「罪を軽減してくれるお札」みたいなものです。「これを買えば罪を許されますよー」というやつです。まぁ「お守り」に近いですよね。

で1514年に当時のローマ教皇だったレオ10世は「サン・ピエトロ大聖堂の改修費用を集めます」といった名目で贖宥状をめちゃめちゃ販売するんです。余談ですが、このサン・ピエトロ大聖堂はラファエロやミケランジェロが建築監督になった、美術作品としてもすんごい建物です。

サン・ピエトロ大聖堂Jean-Pol GRANDMONT, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

話をもどしましょう。修理費用と謳って贖宥状を発行したんですが、これ実はレオ10世が単純にめちゃめちゃ浪費家でドイツのフッガーさんに返すお金を工面するために発行したんですね。彼はもともと豪族・メディチ家の生まれで浪費家としても有名なんです。

大学の神学科で教授していたマルチン・ルターは、そんなレオ10世の邪悪な目論見を知らなかったんですが「普通にさぁ、贖宥状バンバン発行し過ぎじゃない?ちょっと討論したいんだが」と宗教改革を起こしたんですね。

宗教改革の結果、プロテスタント教会ががっつりレオ10世から離れて、教会の資金力が激減しました。それでルネサンスの美術家たちも大打撃をうけた、というわけです。

ミケランジェロのカリスマ性が大爆発

ミケランジェロAttributed to Daniele da Volterra, Public domain, via Wikimedia Commons

それとは別に「ミケランジェロ」の存在があります。この人はルネサンス期の画家なのですが、ルネサンスのような「見たものをそのままに」というわけではなく「見たものをちょっとオーバーに」という方向性の画家です。かっこつけたいんです。

第10回でも紹介しましたが、彼の絵画作品は独特の“ひねり”や“ねじれ”が目立ちます。また筋肉ムッキムキで「え?どこのジムでそんなことになったの?ぜひ紹介して?」という感じです。

『聖家族』『聖家族』 Michelangelo, Public domain, via Wikimedia Commons

『最後の審判』『最後の審判』 Michelangelo, Public domain, via Wikimedia Commons

『アダムの創造』『アダムの創造』 Michelangelo, Public domain, via Wikimedia Commons

また特にこの「最後の審判」では人体が引き延ばされているのにも注目したいところ。なんか不自然ですよね。「等身どうなってんねん」とツッコみたくなるくらい頭が小さく見えます。

「最後の審判」

これはルネサンスの「あるがままの美」ではなく「人工的に“盛った”美」への転換でした。ミケランジェロの出現に周りの美術家たちも心酔。「俺も真似しよう」というフォロワーが出てきました。美術作品への意識としても、ルネサンスはだんだんと衰退していったんですね。

そして美術の舞台はイタリアからフランスへ……

さて今回はルネサンスの終焉について紹介しました。ルネサンスという運動は芸術の手法だけでなく、文化、価値観などをガラッと変えてしまった運動です。当然、現代の人たちにも大きな影響を与えています。

さて、ルネサンスを終えてアートはどう変わっていくのでしょうか。次回はマニエリスム、そして芸術の都がイタリアからフランスに変わっていた背景を楽しく見ていきましょう。

ジュウ・ショ

ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。