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STUDY

2022.2.15

西洋美術史を流れで学ぶ(第17回)~アカデミーとサロン編~

「美術館に行くのは好きで、西洋美術について深く知りたいけど……解説本がやたら難しく理解できない……」

そんな方に向けてフランクに西洋美術の歴史を解説するこの企画、第17回は「アカデミー」と「サロン」についてざっくり紹介します。

アカデミーとサロンは、西洋美術史において超重要な「ルール」を作り上げました。このルールによって画家たちは200年近くも“支配”をされ続けることになります。このルールを知っておくと、美術館の楽しみ方がガラッと変わること間違いなし。ですので、ここでざっくり見てみましょう。

▼前回記事はこちら
西洋美術史を流れで学ぶ(第16回)~ロココ美術編~
https://irohani.art/study/6473/

ルイ14世主導で作られた「王立絵画彫刻アカデミー」

ルイ14世の肖像ルイ14世の肖像 Hyacinthe Rigaud, Public domain, via Wikimedia Commons

西洋美術史において「アカデミー」というと、一般的にフランスの王立絵画彫刻アカデミーを指します。簡単にいうと「国立の芸大」です。今でいう「東京藝術大学」みたいなのが、1648年に設立され、画家志望の青年が入学し、絵の描き方や彫刻の造り方を学んで、画家として飯を食えるようになる、みたいなルートが誕生したんですね。

ではそれより前の時代のフランスではどうやって画家になったのか、というとほぼ徒弟制だったわけです。もともと「ギルド」という画家・彫刻家組合があって、そこに所属する人が仕事をもらえる、という閉鎖的な仕組みがありました。

だから「たのもう!」てな感じで志望者がギルドのアーティストの門を叩き、下積みを積んで、30代を超えてから独り立ちする、というのが画家として仕事をもらうための正規ルートだったんですね。

そんななか実はお隣のローマには既に1500年代から芸大がありました。だから優秀なフランスの画家志望者は「おいローマだと、もっと仕事もらいやすいらしいぞ」と引っ越しちゃうんですね。

これはフランスにとってもったいない。ローマに派遣されていたシャルル・ル・ルブランは「やべぇっす。フランスの画家が流出してます。うちも芸大作りましょうや」と国務評定官マルタン・ド・シャルモアに報告。それを知ってルイ14世が「王立絵画彫刻アカデミー」を作るんですね。

ちなみにルイ14世はこのほかにも「舞踏アカデミー」「音楽アカデミー」「建築アカデミー」などの国立大学を次々に作りました。フランスが「芸術の都」と呼ばれるようになった背景には、間違いなくルイ14世の尽力があります。

アカデミーがいうことは「絶対」

「アカデミー」のミソは「国立」ということ。1600年代という時代はまだ個人が絵を所有する前の時代において、画家のパトロンは国家か教会がメインでした。そんな状況でルイ14世は国家の仕事をすべてアカデミーに一任します。これは大事件ですよ。

つまり、それまでのギルドの仕事量はめっちゃ減るわけです。そして「画家として飯を食うためにはアカデミーに入らざるを得なくなる」という状況が出来上がるんですね。この時点で「アカデミーの教え=フランス美術の教科書」になるわけです。

アカデミーが作った「テーマの序列」という謎ルール

そんなアカデミーではもう基礎の基礎からガッツリ教え込みます。人体や生物のデッサンからスタートするわけです。これから「よっしゃ画家として飯食っていくぞ!」と考えているアーティストからしたら、絵の常識がすべてアカデミーとなる。

そんななかアカデミーはあるルールを決めます。絵のテーマに順位をつけるんですね。具体的には以下の序列を決めました。

 1.歴史画
 2.肖像画
 3.風俗画
 4.風景画
 5.静物画

簡単にいうと、生徒たちに「みんな歴史画を描こう! 風景画とか描くなよ」と宣言したわけです。歴史画にはキャンバスの外にもストーリーがあります。神話をモチーフにしていたり、寓意性があったりするんですね。寓意とは今っぽく言うと「匂わせ」です。例えば「恋」をテーマとした絵にキューピッドを描く、みたいな。「ストーリーが絵に重厚さをもたらす。だから歴史画は偉大だ!」というわけですね。

ただ、逆にいうとアカデミーのルールによって風景画や静物画の価値は一気に下がります。この時代、風景画とか書いていたら「それまだ背景だよな? その上から神話の人物描くんだよな?」と言われていた時代でした。

「サロン」によって画家の仕事が変わる

「サロン」によって画家の仕事が変わるÉdouard Joseph Dantan, Public domain, via Wikimedia Commons

そしてアカデミーは18世紀に「サロン・ド・パリ」を開催し始めます。これは通称「サロン」といわれる、王家主催の展覧会でした。「サロンに出品することで識者などが作品を観たうえで作品を評価して、パトロンがつく」という流れが絵でごはんを食べるために重要になっていくんですね。

とはいえ、最初のころはアカデミーの正会員と準会員しか出品を許されなかったんですね。これによって、もう完全に「アカデミーに認められなくては画家として生きていけない」という状況になるわけです。

つまりもう半ば「歴史画」を描くことを強要されている状況でした。フランスで芸術が盛り上がるいっぽうで、作品の自由度は狭まっていくんですね。

アカデミーによって誕生する「ロマン主義」や「印象派」

このアカデミー支配はかなり長く続きます。「正確無比な線を重視して描くこと」。「色の使い方は落ち着いたものを目指すこと」などのルールができます。

そんな厳しい抑圧の反動として、後年になって個人の表現を重んじる「ロマン主義」や、風景画で世界を変えていく「印象派」が誕生するんです。アカデミーの方針では画家としての自由度が低すぎたんですね。


次回はロココ主義の浮かれまくった世相の反動として生まれる「新古典主義」についてご紹介。その流行の裏には、アカデミーの規範があることを意識しながら読んでいただくと、より理解しやすいと思います。

【写真2枚】西洋美術史を流れで学ぶ(第17回)~アカデミーとサロン編~ を詳しく見る

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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