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STUDY

2022.5.4

西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~

なーんか、やたら小難しく語られがちな西洋美術史を、フランクにおしゃべりする感覚で紹介していくこの企画。前回の第23回は産業革命によって「国民総ビジネス思考」になった反動で生まれた「象徴主義」などなどについて紹介しました。

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今回は20世紀前半の西洋美術史を語るうえで外せない「キュビスム」についてご紹介。みんな大好きパブロ・ピカソの、あの画風はなぜ誕生したのか? 背景にどんな考えがあるのかを楽しくみていきましょう。

キュビスムとは

西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~フアン・グリス『ピカソの肖像』, Public domain, via Wikimedia Commons

そもそも「キュビスムってなんなのよ」って話からはじめます。キュビスムは英語でいうと「キュービズム」です。もっというとキューブイズム、つまり「立方体イズム」です。日本では「立体主義」と訳されますが、正確にいうと「立方体主義」です。1900年代初頭にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが始めました。

私たちは何かを描くとき、基本的には自分の目でみた一方向からの視点だけで描くはずです。例えば「モナ・リザ」は、こんな感じで真正面の視点オンリーで描かれています。誰もモナ・リザの後ろ姿は知らないです。

西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』, Public domain, via Wikimedia Commons

キュビスムはいったん対象をいろんな視点からみて「解体」することから始めます。目の前にモナ・リザ(ラ・ジョコンダ)さんがいたとしたら、彼女を360度の全方位から見るんですね。「正面から観た目」「左から観た鼻」「斜め右からみた口」などの情報を吸収します。

で、その各要素を1つの画面に詰め込んじゃうわけです。いわゆる「ピカソの絵」の顔面があべこべなのは、こうした背景があります。

西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(※壁画レプリカ)Allendesalazar Street, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

こんな思考で描かれた作品をジョルジュ・ブラックが1908年に個展で披露した際に、画家のマティスさんは「なにこれ斬新なんだけど! 幾何学とか立方体の集合で絵が描かれてるやん」と驚いた。だから「キュビスム」である。誤解してほしくないのは、キュビスムは必ずしも「立方体」じゃないということです。

幾何学的な表現の裏にある、セザンヌの構造主義

また。キュビスムのもう1つの特徴が、モチーフがむっちゃ幾何学的に描かれていることだ。遠近法とかまるで存在しない。人の顔なんて、もうマンガくらいざっくりしている。

私は小学生のころ、ピカソの絵を観て「え、なんこれ、下っ手ぁ~。このおじさんマジで才能ねぇ~」と率直に思ったが、いやいやもちろんピカソはキュビスムに行きつくまでにものすごく写実主義な絵を通ってきている。当時の私を「下手なわけないだろう~。世界でイチバン多くの絵を描いた画家だぞ~」って、よしよししながら諭してあげたい。

では、何がピカソやブラックを、こんなざっくりした表現に導いたのか。その背景には「ポール・セザンヌ」という近代絵画の父がいました。キュビスムは完全にセザンヌの影響を受けて描かれたんですね。

ここからは「セザンヌの何がピカソをキュビスムに導いたのか」について紹介します。

セザンヌは中学生くらいから絵を始めた人で、クラスメイトに小説「居酒屋」で有名なエミール・ゾラがいた。今でいうとサブカルマンガの話題で毎日盛り上がる中学生的な感じで、そのまま絵画スクールに入ります。

でも王立大学に落ちて、私立に入るんですね。そこで出会うのが印象派の面々です。以前の記事でもご紹介しましたが、当時は国が運営する展覧会・サロンが「絶対」の時代です。サロンでウケなきゃ飯食えないっていう時代でした。で、サロンが好む絵画作品はルネサンス期から長く続く「遠近法しっかり計算して……正確なデッサンをして……」っていう表現だったんですね。
でも印象派の面々は「そんなんおもんないやろ」と、反旗を翻すわけです。ただセザンヌは比較的、サロン寄りの絵を描くタイプだった。ただ、ぶっちゃけ初期のセザンヌは表現以前に、シンプルにあんまり絵が上手くなかったんですね。

それもあって、最初にサロンに出品した際に王立美大の学生たちから「なんだよその絵は(笑)。一回デッサン学び直したほうがいいんじゃね(笑)」と腹立つ感じで小馬鹿にされます。これはセザンヌにとって、一回絵をやめて地元に戻るくらいの大ショックでした。この人ほんとプライドがデカいんです。

1年後にまた私立のスクールに戻ってきて絵を再開するころには、セザンヌはもう殺し屋みたいな顔つきで「あのとき馬鹿にしたサロン大好き学生ども、見てろよこの野郎」って感じなんですね。で、ここからは印象派のスタイルに染まっていくわけです。

印象派のスタイルってのは「その瞬間の光景を描く」ということでした。筆触分割をすることで、自然のあるがままの色彩を大事にしたり、光の動きを再現したりしていたんです。で、印象派はサロンに対抗して「印象派展」を自主開催し、批評家からボロクソに言われながらもだんだんと知名度を高めていきます。

セザンヌも印象派展にちょいちょい出品するんですけど、これがほとんど評価されない。そんな生活がものすごく長く続きます。彼は40歳くらいまで親からの仕送りで生活していたくらいです。しかもなぜか妻子持ちだったからすんごい貧乏でした。

そんな40歳くらいからセザンヌは印象派の手法に疑問を持つんですね。「その瞬間の『光』ばっかり描いて、肝心の木々とか葉っぱの本質を描けていないんじゃないか」と思うわけです。

例えば印象派が描いていた「木」ってのは「1850年8月13日15時37分54秒にパリ市バルビゾン村5番地で観たケヤキの木」なんです。でもセザンヌは「超一般的で超永続的なケヤキの木」を描きたかったんですね。いつなんどき、誰が見ても分かる「ケヤキの木」です。その姿こそ「モチーフの本質だ」と思いました。

彼は「(印象派の代表的画家である)モネの目はハンパなくすげぇ。でもそれは『一つの目』でしかない」と言っています。つまり裏を返すと「世界中の全員の目で観て共感できるモチーフを描くべきだ」と考えていました。

そんな思考において、セザンヌは何をしたか。そのモチーフ自体を分かりやすく表現するために、複雑な構図をシンプルに、抽象的にしていくわけです。

・遠近感をなくした。
・リンゴは赤く、ミカンはオレンジに! と極端な色使いをした。
・リンゴやミカンは球体、木は円柱、山は円錐と捉えた
・1つのモチーフを解読するために多角的な視点から捉えた

こんな具合にモチーフを抽象化していくんですよね。これがセザンヌのやった革命です。西洋美術史はルネサンス以降、500年くらいずーっと「遠近感を大事にして、1つの視点から描く」ってのが暗黙のルールでした。しかしセザンヌは鮮やかにこのルールを破ってみせたんですね。

セザンヌの考えを深めた「キュビスム」に

そんなセザンヌは本当に長く認められないんですけど、おじいちゃんになって「新しい表現をやりてぇ」っていう、エネルギッシュな若い画家から尊敬されるようになります。そして亡くなったあとも回顧展が開催されました。その回顧展にきていたのがパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなんです。

彼らはセザンヌの表現をもとにして、同じように「遠近感をなくす」「モチーフを幾何学的にざっくり描く」「モチーフを解剖する」という実験をしました。これがキュビスムになっていったわけです。つまりキュビスムはただ「新しかった」というだけでなく、描く「対象物の本質を観ようとする」といった考えがあるわけです。

アビニヨンの娘たちから始まるキュビスム

そんな「キュビスム」の出発点ともなった作品がパブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」でした。スペインのバルセロナの売春婦5人を描いた作品で、当時「下品や下品!」とプチスキャンダルを巻き起こしました。

作品では顔も体も多角的な視点から描かれており、身体はやけにカクカクしています。女性の柔らかさではなく、もうなんかデフォルメし過ぎて「木材」みたいな感覚で描いている。明らかに異常で、当時は周りの画家も「おいおいピカソ、気が狂ったんちゃうか……」と心配したレベルでした。

しかしそんな批判に負けず、ピカソとジョルジュ・ブラックは以下のようにキュビスムを突き詰めていきます。

セザンヌ的キュビスム

1907年の「アビニヨンの娘たち」から始まった時代です。このころは風景画を多角的な視点でとらえる実験をしていました。セザンヌの影響をもろに受けていた時代ですね。

分析的キュビスム

1909年あたりからは風景画は書いておらず、特に人物画や静物画をよくキュビスム風に描くようになっています。このころには「対象を解剖すること」を突き詰めすぎて、ぱっと見「マジで何を描いているのかよく分からない作品」もめっちゃあります。

もう、タイトルを見て、なんとなく何を描いたのかが分かってくるっていうレベルです。対象を取り巻く360度全方向から見た光景を1つのキャンパスに落とし込んでいたんですね。

総合的キュビスム

この時代は絵でなく新聞の切り抜きや写真を貼り付ける、いわゆる「コラージュ」を始めています。ピカソはコラージュ表現を1920年代に入っても続けていました。次回以降で紹介するダダイズム・シュルレアリスムに通ずる表現となっています。

キュビスムはアフリカ美術からの影響も受けている

今回は20世紀初頭にムーヴメントを起こしたキュビスムについて紹介しました。ピカソとブラックの表現の裏には確実にセザンヌがいたんですね。ただし、どちらかというとブラックのほうがセザンヌからガッツリ影響を受けた画家です。

ピカソの表現の背景には「アフリカ美術」もあります。よく「アビニヨンの娘たち」はアフリカ美術のお面と似ているといわれる通り、「大きな目」をはじめとしてピカソの代名詞の多くはアフリカ美術から得ているものです。

彼は「プリミティブな彫刻は絶対に超えられない」と口にしたことがあります。プリミティブとは日本語にすると「原始的」という意味になります。原始人ってほとんど動物で、本能の赴くままに獣を喰らい、洞窟で眠る、みたいなイメージありますよね。あんな感じでアフリカ美術の持つ「何の影響も受けておらず、本能のままに作られた美術作品」のエネルギーにピカソは惹かれたわけです。プリミティブだからこそ、奇妙奇天烈で斬新な発想の作品ができ上がるんですね。

それくらいピカソは「新しいもの好き」なんです。まだ観たことない表現をどんどん取り入れた人でした。「ピカソ=キュビスム」というイメージはありますが、実は彼がキュビスムをガッツリやっていた期間は数年です。どっちかというとブラックのほうがキュビスムに傾倒していました。


次回はそんなピカソも傾倒していたダダイズム、そしてシュルレアリスムの時代についてみていきましょう。

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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