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STUDY

2022.5.12

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~

やたら小難しく語られてしまう西洋美術史を、フランクにおしゃべり感覚で楽しく紹介していくこの企画。前回の第24回はピカソやブラックが進めたキュビスムについて紹介しました。

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今回の第25回は「20世紀のパリ」についてご紹介しましょう。
この時代、通称、エコール・ド・パリ(パリ派)といわれる「天才芸術家集団」がパリに集まる。パリにとっては奇跡の時代であり、凄まじい数の名作が生まれました。また同時に、のちに「素朴派」といわれる画家も誕生した時代です。

あらゆる表現が評価されるようになり、19世紀までの伝統的な手法は完全に見直されることになります。そんな「多様性バンザイ」なワクワクする時代をみていきましょう。

20世紀・パリは「芸術家の憧れの地」となった

今の日本人にとって、パリといえばなんてったって「芸術の都」です。

しかし、そもそも西洋美術史を振り返ってみると、17世紀までは芸術の中心地はフランスではありませんでした。14世紀のルネサンスだって、イタリア・ローマやフィレンツェが舞台です。その後のバロック美術もフランスが中心! って感じではなく、ヨーロッパ全体で起きた様式でした。

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~Norberto Kolus, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

フランスがアートの話題の中心になった背景には、1648年の「王立美術アカデミー設立」があります。その学校が決めたルールや、王立展覧会の「サロン・ド・パリ」という存在が生まれたことで、その制約に対するカウンターカルチャーが立ち上がっていった。これがロマン主義や印象派などだったんですね。

これは他の国には存在しない(もしくはむちゃくちゃ遅れて到来した)ことであり、フランスはだんだんと芸術の中心地になっていきました。

そんなフランスは20世紀になると、あらゆる芸術家にとってはもう憧れなんですよ。地方の売れないバンドマンとか役者が下北沢に集まる、みたいな感じです。それで西欧諸国から芸術家が集まってきます。

「エコール・ド・パリ」の形成

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~By Lapady, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

そんな芸術家たちの多くが集まったのはパリのなかでも18区の「モンマルトル」でした。なぜかというと、シンプルに家賃相場が安かったからです。芸術を志す若者の多くは「パリで芸術をやりたい」と強く思っていたものの、お金がなかったので、モンマルトルに住んだんですね。

そしてエコール・ド・パリの舞台となったのが、ここモンマルトルのなかでも「洗濯船」と呼ばれた集合アトリエ 兼 住宅でした。ここはもともと画家マクシム・モーフラさんがアトリエを構えていたことから、だんだんと画家や詩人、劇団主催者などが出入りするようになり、住むようになっていきます。当時から土曜の夜になると、みんなで集まって、芸術や哲学のことをあれこれ話していたそうです。

1904年にはピカソもアトリエも借りました。前回の記事でお伝えしたキュビスム発祥の作品「アビニヨンの娘たち」も洗濯船で描かれたものです。このあたりからは「洗濯船」自体が「芸術の聖地」みたいな感じで評判が高まっていき、あらゆるアーティストが住むんですね。

また「住んではいないけどよく出入りする人」も豪華です。アンリ・マティス、ジョルジュ・ブラック、ギョーム・アポリネール、ジャン・コクトーらの芸術家が出入りしていました。20世紀の画壇を語るうえで欠かせないスタープレイヤーばかりです。もうなんか、悟空とルフィと炭治郎が毎晩一緒に飯食ってるみたいな……。そんな豪華な場所だったんですね。

「共同生活」によってムーヴメントが起きることがある

そういえば、日本でもとても近い現象が昭和初期に起きています。それが東京都練馬区の「トキワ荘」というアパート。ここには手塚治虫をはじめ藤子.F.不二雄、藤子不二雄(A)、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、水野英子といった、マンガ界のレジェンドたちが住みました。

手塚治虫は当時から、一般的に知られている漫画家でしたが、他の面々はまだ代表作を描く前の「駆け出し」の時期でした。これから時代を作る芸術家やクリエイターが「1つ屋根の下で共同生活をすること」は「つくる力」を生み出します。

今ではSNSがあって、自分の作品を評価してくれる人が出てきました。だからロジカルにデータを分析しながら自分のつくったものが「大衆に受け入れられているか」を判断できます。また他の人が作った作品をみて「これ超いいじゃん、ちょっと真似しよーっと」と思えます。刺激を受け放題です。

でも当時は自分の作品が「売れるために正しいか」とか「おもしろいか」なんて分かりません。そんななかで駆け出しのクリエイターはみんなむちゃくちゃ不安だったことでしょう。休日の趣味ならまだしも、本業をやっておらず、金銭的な不安もバリバリにあります。当時の駆け出しの芸術家たちは「いつ売れるか分からない」というプレッシャーに蝕まれ続けていたわけです。

そんななか隣に同じ境遇でがんばっている人間がいて、常に芸術の話をいろいろとしながら、評価を受け、刺激をもらいながら作品と向き合える。これは超絶デカいアドバンテージです。

また洗濯船には画商も住んでいました。トキワ荘には編集者も頻繁に出入りしていたそうです。この「クライアントとの距離が近い」というのもメリットだったはずです。いくら才能がある芸術家でも「見つからない」ということは多々あります。

こんな感じで洗濯船もトキワ荘も、駆け出しの芸術家にとって桃源郷だったわけです。そして桃源郷だったからこそ梁山泊になった、といえるでしょう。

ただ、これ「住人がみんな本気だった」ってのがホントにイチバン大事です。まだ日本にもおそらく「夢追い人たちのシェアハウス」は存在すると思います。しかしなかには「毎日バイト帰りにSwitchしながら『明日からがんばろうぜ』と1年間呪文のように唱え続ける」という地獄になっている噂も聞きます。

エコール・ド・パリの画家たち

さて、話を戻しましょう。そんな洗濯船に住人をはじめ、エコール・ド・パリの主な画家は以下です。

● マリー・ローランサン
● モーリス・ユトリロ
● アメデオ・モディリアーニ
● レオナール・フジタ(藤田嗣治)
● マルク・シャガール
● モイズ・キスリング
● アリス・プラン

彼らに共通点はありません。ただ、全員が「これまでにない新しい表現」を目指していた。またヨーロッパ各国からそれぞれのお国の文化を持ちより、刺激を受けていため、自然と革新的な画風が誕生したともいわれます。

例えばモディリアーニはアフリカやギリシャ彫刻をヒントにして、人物画を描きました。パッと見は「こ、怖いんですけど」と驚く方もいるかもしれません。首も顔も極端に細長く、瞳も描かれません。このあたりに彫刻っぽさを感じます。

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~ アメデオ・モディリアーニ『座る裸婦』, Public domain, via Wikimedia Commons

また日本人にとって、レオナール・フジタはこの時代の英雄でしょう。日本画の手法をルーツにした女性の人物画が得意な方でその色合いは「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛されました。最近になって、その色彩の秘密が分かっていす。硫酸バリウム、炭酸カルシウム、鉛白に加え、なんとシッカロールを使って色を調整していたそうです。

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~藤田嗣治 Deutsch: Jean Agélou (1878-1921), französischer FotografEnglish: Jean Agélou (1878–1921), French photographer, Public domain, via Wikimedia Commons

またマルク・シャガールもこの時代では巨匠の一人です。迫害対象だったユダヤ系の生まれで、地元の動物などをよく描いています。またキュビスムなどを根底にした平面の図式と、カラフルな色彩で妻・ベラとの「愛」を生涯にわたって描き続けた画家でした。

日曜画家による「素朴派」の誕生

さて、ここまでエコール・ド・パリについて紹介してきました。このように西洋美術は、もう完全に「多様な表現」を許す風潮に変わったわけです。そんななかで、より注目度を増したのが「アンデパンダン展」でした。

アンデパンダン展は1884年、ポスト印象派の時代にジョルジュ・スーラたちが初めて開催した展覧会です。ざっくりいうと「誰でも作品出せるよ~!」という展覧会でした。もちろん賞とかありませんが、ここで「発見」されて世に出る画家も出現するんですね。

そんななか「日曜画家」といわれるアーティストも出てきます。日曜画家とは平日は本業でフルタイム勤務をして休日にイーゼルとキャンバスを持ち出して絵を描く人たちです。私はコロナ前に訪仏しましたが、普通に街中で絵を描いている人たちがいました。日曜画家はフランスの伝統になっているんですね。

そんな日曜画家は本格的に絵を習っているわけではない。しかし習っていないからこその斬新さがあるわけです。画商や批評家によっては、そんな絵に「これはすげぇ斬新だ!」と魅力を発見したんですね。こうした何の影響も受けていない日曜画家たちは「素朴派」と呼ばれます。いうなれば「ヘタウマ」です。漫画家でいうと吉田戦車や和田ラヂヲのような、肩の力を抜いて見られるような魅力があります。

素朴派で最も有名な画家はアンリ・ルソーです。彼は税関職員として真面目に勤務しながら絵を描いていました。遠近感はまるでない。しかしセザンヌやピカソのように狙ってやったわけではない。人体のプロポーションもおかしい。陰影の距離感もちょっと不思議な感じ。「上手い」とはいえないのですが、今見てもなんか「クセになる魅力」があるんですね。

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~アンリ・ルソー『岩の上の子供』 , Public domain, via Wikimedia Commons

また絵画ではないのですが、フェルディナン・シュヴァルは郵便配達をしながら、なんと宮殿をつくっちゃった人です。43歳で道端で拾った石をきっかけに33年間、周りから変人扱いをされながら「理想宮」という宮殿をつくりました。

西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~シュヴァルの理想宮 Pabix, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

アートの多様化の裏で進んでいた戦争

こんな感じで20世紀前半になると、パリを舞台にしてさまざまな作品が出てきました。しかしその裏で着々と進んでいたのが第一次世界大戦です。ヨーロッパの画家たちはだんだんと作品づくりに集中できない時期を過ごすことになりました。


次回はそんな戦時下に生まれたダダイズムやヒトラーによる弾圧などの歴史について紹介します。

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ジュウ・ショ

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アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

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