Facebook X Instagram Youtube

STUDY

2024.8.27

バウハウス:機能性を極め、モダンデザイン・建築の基礎を築いた芸術学校の全貌とは?

「バウハウス」という言葉を聞いたことはあるでしょうか? 20世紀初頭にドイツで生まれたこの芸術学校は、わずか14年の活動期間にもかかわらず、現代のデザイン界に多大な影響を与え、その理念は建築、家具、グラフィックデザインなど、私たちの生活を形作るあらゆる分野に息づいています。
この記事では、バウハウスがどのような学校だったのか、その歴史、理念、そして現代デザインへの影響について深く掘り下げていきます。さらに、当時の状況や社会背景、重要な人物、そしてバウハウスに関連する場所なども紹介することで、現代デザインの礎を築いたこの革新的な芸術学校の全貌に迫ります。

目次

1. バウハウスとは?

バウハウスは、ドイツ語で「建築の家」を意味し、1919年、ドイツのワイマールに設立された総合的な芸術学校です。また、そこから派生した合理的・機能主義的な芸術運動を意味する場合もあります。バウハウスでは、「Form follows function(形状は機能に従う)」「Less is More(少ないほうが豊かである)」といった理念のもと、建築、絵画、彫刻、家具、陶芸、金属加工、織物など幅広い芸術教育が行われました。個人の芸術性と大量生産・機能性を融合させ、あらゆる芸術的媒体を一つの統一的なアプローチで融合させることを目的として活動を始めたバウハウスは、無駄な装飾を廃して合理性・機能性を追求するモダンデザイン、建築の基礎を築きました。

ワイマールにあるバウハウス大学ワイマールにあるバウハウス大学 2011Michael Wittwer, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

2. バウハウス誕生の背景

2.1 アーツ・アンド・クラフツ運動:産業革命と伝統の危機

1919年にドイツのワイマールで、総合的な芸術学校としてバウハウスが誕生した背景には、19世紀後半から始まった産業革命の影響がありました。産業革命は、当時の人々の生活を劇的に変化させました。機械化による大量生産は、これまで職人によって作られていた製品を大量に安価に提供することを可能にしました。しかし、同時に、伝統的な職人技が衰退し、品質の低い大量生産品が市場に溢れるという問題も生じさせていました。 この状況に対して、イギリスでは19世紀末に「アーツ・アンド・クラフツ運動」が興りました。この運動は、機械化による大量生産に反対し、伝統的な手仕事による質の高い製品作りを提唱しました。ウィリアム・モリスやアーネスト・ゲインズボローといった芸術家たちが中心となり、中世の工芸品を見習い、自然素材を用いた質の高い手工芸品を製作しました。


アーツ・アンド・クラフツ運動について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
【関連記事】ウィリアム・モリス:アーツ・アンド・クラフツ運動の旗手、その生涯と革新的なデザイン


関連記事はこちら

アストン・ウェッブ卿によるバッキンガム宮殿のフェンスと門、アーツ・アンド・クラフツによるカナダ門アストン・ウェッブ卿によるバッキンガム宮殿のフェンスと門、アーツ・アンド・クラフツによるカナダ門Txllxt TxllxT, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

2.2 ドイツ工作連盟:芸術と産業の融合

アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け、ドイツでも1907年に「ドイツ工作連盟」が設立されました。工作連盟は、アーツ・アンド・クラフツ運動とは異なり、機械化を否定するのではなく、むしろ積極的に受け入れ、機械化による大量生産と芸術を融合させることを目指しました。 工作連盟は、デザインの重要性を認識し、優れたデザインによって、機械生産された製品の品質向上を目指しました。建築家、デザイナー、芸術家などが集まり、新しいデザインの理念を模索しました。

ドイツ工作連盟のロゴドイツ工作連盟のロゴDeutscher Werkbund e.V., Public domain, via Wikimedia Commons

2.3 バウハウス宣言:芸術と技術の統合

ドイツ工作連盟のメンバーであった建築家ヴァルター・グロピウスは、1919年、ドイツのワイマールに「バウハウス」を設立しました。バウハウスは、ドイツ工作連盟の理念を継承し、バウハウスは「芸術と技術の融合」を理念に掲げ、芸術教育を通して新しい社会の実現を目指しました。 グロピウスは、バウハウス宣言の中で、「すべての造形活動の最終目的は建築である」と述べました。これは、芸術は単なる装飾や自己表現ではなく、人々の生活を豊かにするための道具であるという考えを表しています。 バウハウスでは、芸術と技術の統合、そしてデザインの重要性を強調した教育が展開されました。

バウハウスの印章バウハウスの印章Oskar Schlemmer, Public domain, via Wikimedia Commons

3. バウハウスのデザイン

バウハウスのデザインは、シンプルで機能的な美しさを追求したものでした。 バウハウスのデザインは、4つの特徴を持ちます。

3.1 シンプルで合理的なデザイン

バウハウスのデザインでは、無駄な装飾を省き、機能性を重視したシンプルなデザインが重視されました。 「形状は機能に従う(Form follows function)」という言葉は、バウハウスのデザイン理念を端的に表しています。つまり、デザインは単に美しければ良いのではなく、使い心地や機能性を重視すべきであるということです。

バウハウスチェスセットバウハウスチェスセットKent Wang, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

3.2 明快な表現

バウハウスのデザインには、直線、円、三角形などの幾何学的な形が多く見られます。 また、色彩もシンプルで明快なものが好まれ、原色(赤・黄・青)や白、黒などの無彩色を組み合わせることで、明快な表現を実現していました。

バウハウスデザインの作品バウハウスデザインEPTrilhas, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

3.3 新しい素材と技術の活用

バウハウスでは、鋼管、合板、ガラスなど、当時の新しい素材が積極的に取り入れられました。 これらの新しい素材は、従来の素材よりも強度があり、加工しやすいという特徴があり、バウハウスのデザインの可能性を大きく広げました。

バウハウスデザインの作品たちバウハウスデザインの作品たちMOs810, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

3.4 大量生産への適応

バウハウスのデザインは、シンプルで機能的であるため、大量生産にも適していました。 バウハウスの教師たちは、機械生産によって、多くの人々に質の高いデザインの製品を提供することを目指していました。

記事の後半では、現在に受け継がれている様々なバウハウスデザインについて解説しています。
バウハウスの精神を受け継ぐ現代デザイン

4. バウハウスの教育システム:革新的なワークショップ

バウハウスの教育は、当時の伝統的な芸術教育とは大きく異なっていました。グロピウスは、講義形式の授業ではなく、実践的なワークショップ形式を採用しました。教師と生徒が協力し、互いに学び合いながら、作品作りに取り組むという、当時としては画期的な教育システムでした。バウハウスの教育では、「Form follows function(形状は機能に従う)」という考え方が重視されました。つまり、デザインにおいては、見た目の美しさよりも、使い心地や機能性を重視すべきであるという考え方が重視されました。

バウハウスのレッスンプランバウハウスのレッスンプランLarderArch, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

4.1 教師陣:巨匠たちの集結

バウハウスには、当時の芸術界をリードする多くの才能ある芸術家たちが教師として集まりました。


▶ヴァルター・グロピウス:バウハウスの創設者で、初代校長を勤めました。バウハウス宣言を記し、近代建築の四大巨匠の一人とされています。


▶ワシリー・カンディンスキー:抽象絵画の創始者として知られ、1922年から閉校までバウハウスで勤務し、パウル・クレーとともに色彩や形態の研究発展に貢献しました。


▶パウル・クレー:独特な画風で知られる画家。1921年から1931年までバウハウスで色彩や造形の講義を行い、絵画理論の研究に力を入れました。


▶ヨハネス・イッテン:初期バウハウスにおいて予備教育を担当し、「バウハウス」に大きな影響を与えた一人として知られている芸術家であり教育者。同じバウハウスで教えたジョセフ・アルバースとともに、色彩学の分野に多大な影響を与えました。


▶ハンネス・マイヤー: グロピウスの後任として2代目校長に就任。機能主義を重視した教育を強化し、バウハウスの国際的評価を高めました。


▶マルセル・ブロイヤー: バウハウス家具工房の第一期生で、グロピウスにその才能を見出され、代表作「ワシリー・チェア」をはじめ、革新的なデザインの家具や建築を生み出しつづけました。


▶ハーバート・バイヤー: バウハウスで学習後、バウハウス初のタイポグラフィーの教師となりました。バウハウス・スタイルのフォント『ユニバーサル』を生み出しました。


これらの巨匠たちは、それぞれの分野の専門知識を学生たちに伝え、創造性を刺激しました。

各芸術家の経歴・代表作はこちら
バウハウスを支えた巨匠たち

バウハウスのアーティストたちのサインバウハウスのアーティストたちのサインLIVA-GER, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

4.2 基礎教育:造形の基礎を築く

バウハウスの教育は、まず半年間にわたる基礎教育から始まりました。 この基礎教育では、色彩、形態、素材などの造形の基本を学び、自由な創造力を育むことを目的としていました。学生たちは、さまざまな素材を用いて、独自の表現を探求しました。

4.3 工房教育:実践を通して学ぶ

基礎教育を終えた学生たちは、その後、それぞれの専門分野の工房に入りました。 工房では、木工、金属加工、陶芸、織物、印刷など、様々な技術を学び、実際に作品作りを行いました。教師は「マイスター」と呼ばれ、学生たちは師事して技術を習得しました。

バウハウスの建築セットバウハウスの建築セットInteligentnidesign, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

4.4 バウハウスにおける芸術の統合:バウハウスデザインという概念の誕生

バウハウスでは、建築、家具、陶芸、織物、印刷など、様々な分野の芸術を統合して学ぶことが重視されました。これは、芸術を専門分野に分けて学ぶ従来の教育とは大きく異なるものでした。 バウハウスの教育では、それぞれの分野の専門知識を学びながら、同時に、他の分野との連携を意識し、総合的なデザインを学ぶことを目指しました。 この総合的な芸術教育によって、デザインという概念が明確化され、デザインの重要性が広く認識されるようになりました。

5. バウハウスの歴史:ワイマール、デッサウ、そして閉鎖

5.1 ワイマール時代(1919-1925):揺籃期と表現主義

バウハウスは、1919年にドイツのワイマールに設立されました。初代校長には、ドイツ工作連盟のメンバーであった建築家ヴァルター・グロピウスが就任しました。グロピウスは、伝統的な芸術教育に疑問を持ち、芸術と技術の融合を目指した革新的な教育システムを導入しました。初期のバウハウスでは、表現主義的な傾向が強く見られ、自由な表現や個性の尊重が重視されました。ワイマール時代には、著名な芸術家たちが教師として招かれ、独特な教育が行われました。

しかし、ワイマール時代のバウハウスは、政治的な混乱や経済的な困窮、そして保守的な勢力からの攻撃に晒され、1925年に閉校を余儀なくされました。

ワイマールにあるバウハウス大学ワイマールにあるバウハウス大学Rainer Halama, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

5.2 デッサウ時代(1925-1932):全盛期と機能主義の確立

ワイマール校の閉鎖後、バウハウスはドイツのデッサウに移転しました。
デッサウでは、グロピウスが設計した新校舎が建設され、バウハウスは新たな発展を遂げました。デッサウ校舎は、ガラスのカーテンウォールやシンプルな幾何学的なデザインが特徴で、徹底した機能主義を方針とするバウハウス理念を象徴する建築として知られています。
ワイマール時代には、合理主義・機能主義的な考えと表現主義的な考えで、芸術に対する急進的なアプローチが定義されましたが、デッサウ時代では、徹底した機能主義を重視したバウハウス理念が誕生し、バウハウスのデザインはより洗練されていきました。

しかし、1930年代に入ると、ナチスの台頭により、バウハウスは再び政治的な圧力に晒されます。マイヤーは共産主義者とみなされ、校長を解任されました。その後、グロピウスはアメリカに亡命し、マイヤーも亡命を余儀なくされました。

バウハウス大学 デッサウで建築された新校舎デッサウで建築された新校舎 バウハウス大学Mewes, Public domain, via Wikimedia Commons

5.3 ベルリン時代と閉鎖(1932-1933):ナチスとバウハウスの対立

1932年、バウハウスはベルリンに移転し、私立学校として再出発しました。しかし、ナチスの圧力はさらに強まり、バウハウスはついに1933年に閉鎖されました。
ナチスは、バウハウスを「退廃芸術」とみなして、その活動を容認しませんでした。バウハウスの理念は、ナチスの権威主義的なイデオロギーとは対極に位置しており、ナチスの攻撃目標となりました。
バウハウスの閉鎖後、多くの教師や学生はアメリカやヨーロッパ諸国に亡命し、それぞれの場所でバウハウスの理念を広めました。


バウハウスに対するナチスの弾圧について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
【関連記事】西洋美術史を流れで学ぶ(第28回)~バウハウスとヒトラーによる弾圧編~


関連記事はこちら

6. バウハウスを支えた人々:巨匠たちの個性と影響

バウハウスには、数多くの才能ある芸術家や建築家が教師として集まりました。彼らの思想や作品は、バウハウスの理念を形作り、現代のデザイン界に大きな影響を与えました。

6.1 ヴァルター・グロピウス:創設者と理念の担い手

Walter Gropius (1883-1969)。バウハウスの創設者であり、初代校長。
グロピウスは、ドイツ工作連盟のメンバーであり、ドイツにおける近代建築の牽引役でもありました。グロピウスは、機能主義を重視し、シンプルで無駄のないデザインを追求しました。芸術と技術を融合させ質の高い工業製品を生産することで、人々の生活を豊かにしたいと考えてたグロピウスは、バウハウス宣言の中で「すべての造形活動の最終目的は建築である」と述べ、芸術の社会的な役割を強調しました。


■代表作品:デッサウ・バウハウス校舎、ファグス靴型工場

デッサウ・バウハウス校舎デッサウ・バウハウス校舎A.Savin, FAL, via Wikimedia Commons

6.2 ワシリー・カンディンスキー:抽象絵画の巨匠

Wassily Kandinsky (1866-1944)。ロシア出身の画家。ピエト・モンドリアンらと共に、抽象絵画の創始者として知られる。
カンディンスキーは、円や直線、四角形などを構成した幾何学的な絵が特徴で、バウハウスで色彩や構成についての講義を行い、色彩と形の革新的な使い方で、学生たちに大きな影響を与えました。1922年から閉校までバウハウスで勤務し、パウル・クレーとともに色彩や形態の研究発展に貢献しました。


■代表作品:黄・赤・青、コンポジションⅧ

黄・赤・青、ワシリー・カンディンスキー作黄・赤・青、ワシリー・カンディンスキー作Wassily Kandinsky, Public domain, via Wikimedia Commons

カンディンスキーについて、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
【関連記事】抽象絵画の父 カンディンスキー|音楽のように“色彩”を奏でた画家の人生と作品


関連記事はこちら


6.3 パウル・クレー:幻想的な世界を創造した画家

Paul Klee (1879-1940)。スイス出身の画家。
表現主義やキュビスム、シュルレアリスムなど当時のさまざまな前衛芸術運動から影響を受けながらも、どこにも属さない独特な作風で知られています。
クレーは、1921年から1931年までバウハウスで色彩と造形についての講義を行い、学生たちの創造性を刺激しました。彼の独特な画風は、多くの学生に影響を与え、後の現代美術の展開に大きな影響を与えました。代表作《本通りと脇道》では、幾何級数的な組成の色面に思い出やテーマを重ねるという技法が用いられ、美と具体性の共存を目指したバウハウスの影響といえます。


■代表作品:セネキオ、パルナッソス山へ。本通りと脇道。

セネキオ、パルナッソス山へ パウル・クレー作セネキオ、パルナッソス山へ パウル・クレー作Paul Klee, Public domain, via Wikimedia Commons

6.4 ヨハネス・イッテン:色彩と造形の理論家

Johannes Itten (1888-1967)。スイス出身の芸術家。バウハウス初期の予備教育を担当。「バウハウス」に大きな影響を与えた一人として知られている芸術家であり教育者。
色彩芸術を推進し、独自の色彩理論を教え、同じバウハウスで教えたジョセフ・アルバースとともに、色彩学の分野に多大な影響を与えました。グロピウスとの教育理念の対立から1923年にバウハウスを去りますが、その後も自ら私立の芸術学校を設立するなど教育に力を入れました。彼は色彩の心理的な効果や、色彩の組み合わせによる調和と対比について深く研究し、その成果は『色彩の芸術』<1961年>などの著書にまとめられています。


■代表作品:色相環

色相環 ヨハネス・イッテン作色相環 ヨハネス・イッテン作Latimeria2004, CC BY-SA 5.0 , via Wikimedia Commons

6.5 モホリ=ナジ:光と運動を探求した芸術家

László Moholy-Nagy (1895-1946)。ハンガリー出身の芸術家。バウハウスでは、写真、映画、デザイン、タイポグラフィなど幅広い分野を担当。
モホリ=ナジは、光や動きを表現することに関心があり、写真、映画、彫刻などの作品で、それらを積極的に取り入れました。彼は、新しい技術を芸術に取り込むことで、新しい表現の可能性を探求しました。


■代表作品:光と運動による造形、A 19

光と運動による造形、A 19、モホリ=ナジ作 1927年光と運動による造形、A 19、モホリ=ナジ作 1927年Sailko, Public domain, via Wikimedia Commons

6.6 ハンネス・マイヤー:徹底した機能主義の追求

Hannes Meyer(1900年-1985年)。スイス出身の建築家。バウハウスの2代目校長を務めました。グロピウスが残した審美主義的要素を一掃し、徹底した理論と機能主義によった取り組みでバウハウスの再建を試み、バウハウスの国際的評価を高めました。


■代表作品:ドイツ労働組合学校、国際連盟本部案

ベルリンにあるドイツ労働組合学校ベルリンにあるドイツ労働組合学校Clemensfranz, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

6.7 マルセル・ブロイヤー:革新的な家具デザイナー

Marcel Breuer (1902-1981)。ハンガリー出身の建築家、家具デザイナー。
ブロイヤーは、バウハウス家具工房の第一期生として家具デザインを学び、スチールパイプを使った代表作「ワシリー・チェア」をはじめ、革新的なデザインの家具や建築を生み出しつづけました。20世紀を代表するインテリアデザイナーのひとりです。彼の作品は、機能美を追求したシンプルなデザインで、当時の家具デザインに大きな影響を与えました。


■代表作品:ワシリーチェア、クラブチェア B3、ネストテーブル B9-9c

グッゲンハイム・ビルバオ展のワシリーチェアグッゲンハイム・ビルバオ展のワシリーチェアLuistxo, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

6.8 ヘルベルト・バイヤー:デザインとアートの融合者

Herbert Bayer (1900年-1985年)。オーストリア出身の画家、デザイナー、建築家、写真家であり、バウハウスでの活動を通じて広く知られています。彼は1900年にオーストリアで生まれ、1921年から1923年までバウハウスで学んだ後、1925年から1928年まで教鞭もとりバウハウス初のタイポグラフィーの教師となりました。バウハウス・スタイルのフォント『ユニバーサル』を生み出し、また広告やグラフィックデザインの分野でも革新的な作品を生み出し続けました。


■代表作品:ユニバーサルフォント

ユニバーサルフォントユニバーサルフォントPublic domain, via Wikimedia Commons.

7. バウハウスを訪ねて:聖地巡礼

バウハウスの理念をより深く理解するためには、実際にバウハウスが誕生し、発展した場所を訪れてみるのがおすすめです。

7.1 バウハウス大学(ワイマール):伝統と革新が交差する場所

バウハウスの最初の校舎は、ドイツのワイマールにありました。現在も「バウハウス大学」として、建築、デザイン、美術などを学ぶ学生たちが集まっています。

ワイマールにあるバウハウス大学ワイマールにあるバウハウス大学Rainer Halama, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

7.2 バウハウス・ミュージアム・ワイマール:初期作品と資料を巡る

バウハウス大学内にある美術館です。初期のバウハウスの作品や資料を展示しています。

ワイマールにあるバウハウス大学ワイマールにあるバウハウスミュージアムI, Sailko, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

7.3 バウハウス・デッサウ:ガラスのカーテンウォールが象徴的な校舎

バウハウスは、ワイマールからデッサウに移転し、大きな発展を遂げました。デッサウには、バウハウスの象徴的な校舎や教員住宅「マイスターハウス」など、多くのバウハウス関連施設が残っています。

バウハウス大学 デッサウで建築された新校舎デッサウにあるバウハウス大学Mewes, Public domain, via Wikimedia Commons

7.4 バウハウス・ミュージアム・デッサウ:現代的な展示空間

2019年にオープンしたバウハウス・ミュージアム・デッサウは、バウハウス関連の貴重なコレクションを展示しています。

バウハウス・ミュージアム・デッサウ 2020-09-24バウハウス・ミュージアム・デッサウ 2020-09-24Gunnar Klack, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

7.5 バウハウス・アーカイブ(ベルリン):膨大な資料を収蔵する施設

ベルリンにある「バウハウス・アーカイブ」は、世界最大のバウハウス関連資料を所蔵しています。バウハウスのデザインや歴史を深く知ることができる施設です。

ベルリンにあるバウハウス・アーカイブの看板ベルリンにあるバウハウス・アーカイブの看板Aleksandr Zykov from Russia, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

8. バウハウスの精神を受け継ぐ現代デザイン:デザインの未来

バウハウスは、1933年に閉鎖されたものの、その理念は現代のデザイン界に大きな影響を与え続けています。現代のデザインには、バウハウスが提唱した、機能性、シンプルさ、素材へのこだわり、そして革新的な技術への挑戦といった精神が受け継がれています。

バウハウスデザインの特徴について、詳しくはこちら。
3. バウハウスのデザイン

8.1 シンプルで機能的なデザインの継続:生活を豊かにするデザイン

バウハウスの理念は、現代のミニマルデザインや、シンプルライフといった考え方にも影響を与えています。どちらもバウハウスが提唱したシンプルで機能的なデザインに通じるものがあり、シンプルで機能的なデザインは、私たちの生活をより快適で豊かにする可能性を秘めていると言えるでしょう。


ミニマルデザインは、無駄な装飾を省き、機能性と美しさを両立させます。IKEAの家具や、無印良品の商品など、シンプルなデザインと機能性を兼ね備えた家具は、多くの人々に愛されています。


現代の住宅では、シンプルで無駄のない空間が好まれる傾向があります。バウハウスが提唱した「Less is More(少ないほうが豊かである)」という考え方は、現代の住宅デザインにおいても重要な要素となっています。

シンプルなデザインの椅子や照明バウハウスデザインの椅子や照明Own work, GFDL , via Wikimedia Commons

8.2 クリーンなラインの建築:モダン建築の礎

バウハウスの建築は、シンプルな幾何学的な形、ガラスのカーテンウォール、コンクリートなどの素材を特徴としています。
現代の建築においても、バウハウスの影響を受けた、シンプルで機能的なデザインの建物が多く見られます。例えば、高層ビルや美術館など、都市の風景を形作る建築物の多くが、バウハウスの理念を受け継いでいます。

バウハウス建築の家バウハウス建築の家Maxwell Hamilton, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

8.3 サステナビリティとデザイン:環境と調和するデザイン

現代社会では、環境問題が深刻化しており、サステナビリティ(持続可能性)が重要な課題となっています。バウハウスのデザイン理念は、無駄を省き、機能性を重視するという点において、サステナビリティの考え方と共通しています。


バウハウスでは、、鋼管、合板、ガラスなど、当時の新しい素材や技術を積極的に取り入れました。現代デザインでは、リサイクル素材や再生可能エネルギーを活用した製品が注目されています。環境負荷の少ない素材や製造方法を採用することで、地球環境への影響を最小限に抑え、持続可能な社会の実現に貢献することができます。例えば、ペットボトルをリサイクルして作った洋服や、再生可能エネルギーで発電する家電製品などがあります。

ユニクロダウンのリサイクルユニクロダウン リサイクルSyced, CC0, via Wikimedia Commons

また、廃材などを再利用して新しい価値を生み出す「アップサイクル」も、サステナビリティの観点から注目されています。バウハウスの精神は、素材を大切にし、無駄をなくすという点において、アップサイクルに通じるものがあります。例えば、古くなった家具をリメイクして新しい家具として生まれ変わらせる、廃材を使ったアート作品を制作するなど、様々なアップサイクルの取り組みが行われています。

自転車のホイールで作られたアップサイクルの作品自転車のホイールで作られたアップサイクルの作品Up-Cycle sculpture by Graham Hogg, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons

現代のデザインでは、環境負荷の少ない素材や製造方法が求められています。バウハウスが提唱した、素材へのこだわりや、新しい技術への挑戦は、サステナビリティを実現するためのデザインにおいても重要な役割を果たしています。

8.4 テクノロジーとデザイン:デジタル時代のデザイン

現代は、デジタル技術が急速に発展する時代です。デザインにおいても、デジタル技術を活用した新しいデザイン手法が生まれています。


例えば、3Dプリンティングは、デジタルデータをもとに立体物を作成する技術です。バウハウスの精神は、新しい技術を積極的に取り入れ、デザインの可能性を広げるものでした。3Dプリンティングは、従来の製造方法では不可能だった複雑な形状やデザインを実現することができます。例えば、個人のニーズに合わせてカスタマイズされた家具や、建築物の模型などを製作することができます。

3Dプリントで作成中の立体物3Dプリントで作成した立体物Fawaz.tairou, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

また、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)は、コンピュータグラフィックスを使って、現実世界とは異なる空間や体験を創出する技術です。バウハウスは、芸術と技術を融合させることを目指した学校でした。VR/AR技術は、デザインの表現方法をさらに広げ、よりインタラクティブな体験を提供することができます。例えば、VR空間でインテリアデザインを体験したり、ARを使って実際の部屋に家具を配置したりすることができます。

バーチャルイメージでの電車の車内バーチャルイメージでの電車の車内Public domain, via Wikimedia Commons.

バウハウスは、新しい素材や技術を積極的に取り入れた芸術学校でした。現代のデザインにおいても、デジタル技術を駆使することで、より革新的で表現力豊かなデザインを生み出すことが期待されます。


バウハウスでは、デザインは単に美しければ良いのではなく、人々の生活を豊かにするための道具として考えられていました。そのため、バウハウスのデザインは、機能性と美しさを両立させた、功利的なデザインであると言えるでしょう。
現代のデザインにおいても、使い心地の良さや、耐久性、メンテナンスの容易さなど、機能性を重視したデザインが求められます。バウハウスは、機能と美の両立を重要視したデザインの考え方を開拓し、現代のデザイン界に大きな影響を与えています。

【写真31枚】バウハウス:機能性を極め、モダンデザイン・建築の基礎を築いた芸術学校の全貌とは? を詳しく見る

田村久美子の個展「YOURSCAPE ~あなたが見るセカイ〜」南青山イロハニアートスタジオにて開催!2024.9.21(土)-9.23(月・祝)11時〜18時

noah

noah

東京都在住の32歳、ライター。
デジタルアートやクリエイティブを主に専門とする。
アンティーク雑貨と古本屋巡りが趣味。

東京都在住の32歳、ライター。
デジタルアートやクリエイティブを主に専門とする。
アンティーク雑貨と古本屋巡りが趣味。

noahさんの記事一覧はこちら