Facebook Twitter Instagram

STUDY

2022.7.12

西洋美術史を流れで学ぶ(第30回)~総集編!古代から現在までをまとめてみた~

「解説本はなんかもう無駄にややこしいし、分かりにくい」とお困りの方に、おしゃべりする感覚でフランクに西洋美術史をお伝えしてきました。古代の壁画から、現代アートまでの長~い歴史をお伝えしてきたこの企画もいよいよ最終回。

今回は、これまでの歴史をざっくり振り返るとともに、2020年代現在のアートのトレンドと、現在の芸術家のあり方について紹介しましょう。

あらためて西洋美術史をおさらい

では、ここまでご紹介してきた西洋美術史をあらためて振り返りましょう。各時代に記事のリンクを貼りますので、気になった時代があったら、ぜひリンク先の記事も読んでみてください。で、美術館で作品を見たときに「あぁ、この作品には〇〇主義みを感じるわ~」なんて、腕組みながら想像してみていただけたらと思います。

メソポタミア文明・エジプト文明美術(紀元前3000年~300年ごろ)

『死者の書』『死者の書』,The Metropolitan Museum of Art

「アートの歴史がいつ始まったか」ってのはもちろん今でも研究が進んでいますが、少なくとも4万年以上前のネアンデルタール人の時代には、洞窟に「白目の牛」みたいな可愛らしい動物が描かれています。

また「手形」が残されている。ネアンデルタール人に「なんで描いたん?」って聞きたいですが、そうもいかない。「狩りの成功を祈った」といわれますが、案外マジで「男どもが狩りに行ってる間、暇やわぁ。なんか描いてみるか」くらいのテンションかもしれません。家事がひと段落した専業主婦がおせんべい食べながらミヤネ屋見る、みたいな。

そこから美術はエジプト、メソポタミア文明へ。「死者の書」といわれる壁画が有名です。いわゆる「エジプトの壁画」ってやつですね。このときには「来世がある」という思想が根付いており「死後の世界の攻略本」として描かれました。だから見やすいように「横からの構図」で描かれています。

ここからミイラを入れる棺や、ツタンカーメンなどが作られていきます。これもやっぱり「来世あるから」っていう考えがもとになっているものです。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第1回) ~メソポタミア文明・エジプト文明編~
https://irohani.art/study/4157/

エーゲ美術(紀元前3000年ごろ)

Cycladic three figurines group,Cycladic three figurines group, Smial, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons

そんなエジプト文明の影響を受け継ぎ、深化させていくのがエーゲ地方の美術です。大きくキュクラデス・クレタ・ミュケナイの3つの文化に分かれます。

上の画像はキュクラデス文化の石像です。大理石が使われた、超絶抽象的なのが特徴。個人的にはこの作品マジで大好きで、なんかもうずっと見ていられます。「父母参加の運動会感」がたまんない。家族対抗の騎馬戦、みたいな。

この後にミュケナイ文化期にはツタンカーメンのような黄金のマスクも作られているんですが、ツタンカーメンが皺ひとつない顔であるのに対して、エーゲ美術ではかなり人寄りの造形に仕上がっています。エジプト文明では「神は人でない」としていたのに対して、エーゲでは「神も人だ」と信じていたからです。このあたりの文化の違いもとても興味深いですね。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第2回) ~エーゲ美術編~
https://irohani.art/study/4275/

ギリシャ美術(紀元前700年ごろ)

パルテノン神殿パルテノン神殿 ,Steve Swayne, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

エーゲ文明のラストは暗黒時代に突入し、急に「文献がなくなっちゃう」ということが起きちゃいます。暗黒時代が明けた紀元前700年ごろからギリシャで発達した様式が「ギリシャ美術」です。このころには「建築」「彫像」「絵画」など、この後の西洋美術のスタンダードができました。パルテノン神殿の時代ですね。

彫像でいうと「アルカイック期」「クラシック期」「ヘレニズム期」という3つの潮流に分かれます。飛鳥時代の日本の仏像にも見られた「アルカイック・スマイル」という、なんかニヤニヤした直立不動の彫像から、名作「ラオコーン」のような複雑な表現まで進化しまくった時代です。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第3回) ~ギリシャ美術編~
https://irohani.art/study/4358/

『ラオコーン』『ラオコーン』,Vatican Museums, Public domain, via Wikimedia Commons

このころのギリシャでは「スパルタ」というバキバキに厳しい兵役があり、特にクラシック期以降の彫像は、もう全員ムッキムキ。「キレてるキレてる!」「肩がメロン!」みたいな声が聞こえてきそうです。

ローマ・エトルリア美術(紀元前100年ごろ)

コロッセオコロッセオ,Jean-Pol GRANDMONT, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

そんなエジプト、エーゲ、ギリシャの流れを引き継いでいくのがエトルリア、ローマ美術です。いまだ謎多きエトルリア文明の時代には巨大な墳墓が作られました。お墓にキッチンや居間があるという……。もう「あの世で楽しみます感」満載なのが特徴です。

一方、いまのイタリア・ローマの地ではローマ王の威厳を示すための巨大な建築物が作られました。あれです。国民全員が彫り深いテルマエ・ロマエの時代です。コロッセオやカラカラ浴場、パンテオンなど、コンクリートが開発されたこともあって、高さのあるドーム型の建築物もできています。

ただ彫像は「ギリシャ人には敵わないよな……」ってことで、ギリシャ人を呼んで作らせていました。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第4回) ~ローマ・エトルリア編~
https://irohani.art/study/4513/

キリスト教の美術(100年ごろ)

キリスト教美術Meister des Mausoleums der Galla Placidia in Ravenna, Public domain, via Wikimedia Commons

1世紀ごろにはユダヤ教から分派する形でキリスト教が誕生しました。キリスト教の絵画はここから、1000年以上描かれることになります。いわゆる「中世」の始まりですね。

最初は偶像崇拝禁止、つまり「キリスト、ってのが分かる創作物を作ったらあかんで」とされていた。でもやっぱり拝みたいじゃないですか。それで魚や羊飼いなどの「シンボル」を描いて崇拝するようになります。構造自体は「推しを全力で愛したい」ってのと同じで、結局のところこれは現代でいう「ファンアート」です。

ただほとんどの人が識字できない時代、キリスト教を布教するうえで「絵画」は最大のメディアだった。だから教会側もだんだんとブレてきて「個人で拝むだけならマリア(キリストの母)やキリストを描いてもええで」となります。それで9世紀ごろからは、「イコン(聖なる器)」と呼ばれ、キリストそのものを描いた作品が出てきました。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第5回) ~キリスト教編~
https://irohani.art/study/4703/

ロマネスク・ゴシック美術(1000年ごろ)

ウースター大聖堂ウースター大聖堂,Mattana, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなキリスト教美術と並行して隆盛していくのが、ロマネスク・ゴシック美術です。ロマネスクとはそのまんま「ローマ風」という意味。巨大な石を積み重ねて建築物を作っていたローマ美術の雰囲気を感じる建築物が多く作られたため、そう呼ばれます。ロマネスク美術の建築物は背が低くてガッシリしたものが多いです。

絵画の世界では「フレスコ画」が誕生。それまでの主流は「モザイク画」といって漆喰の壁に着色された粗めの大理石やガラスを埋め込んで作っていました。フレスコ画は大理石やガラスをいったん粉状にして水溶性の顔料を作ってから漆喰の下地に描く手法。筆を使って微細な表現ができるようになったんですね。

そんなロマネスク美術から、ゲルマン民族による「ゴシック美術」に移っていきます。ゴシックとは「ゴート族(ゲルマン族)っぽい」という意味で、もともとは高貴なイタリア人たちがちょっとゲルマン民族を見下して付けた名前でした。

ゴシック美術では「尖塔アーチ」「リヴ・ヴォールト」「フライング・バットレス」といった建築手法が誕生。これで背の高い建築物を作れるようになり、ステンドグラスも誕生しました。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第6回) ~ロマネスク・ゴシック美術編~
https://irohani.art/study/4792/

ルネサンス美術(1000~1500年ごろ)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』, Public domain, via Wikimedia Commons

この連載では全6回にわたってルネサンスについて紹介しました。イタリア・フィレンツェで貿易業が盛んになり、ものすごくビジネスが発達したこともあり、みんなものすごくリアリスト的な思考になった結果「絵ももっとリアルに描かないかんよ」となった。その結果、遠近法が発明され、だんだんとみんな写実主義になっていくわけです。また銀行業で儲けたメディチ家がパトロンになるなど、市民が絵画作品を求めるようになったのもこの時代でした。

絵のクオリティが著しく発達した時代ですね。記事では三大巨匠といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティの特徴も紹介しています。三者三様ですんごく面白いですね。

またイタリア以外で隆盛した「北方ルネサンス」についても紹介しています。考えとしてはイタリア・ルネサンスに近いんですけど、個人的にはものすごくサブカルチックで好きな文化です。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第7回) ~プロト・ルネサンス美術編~
https://irohani.art/study/4822/

西洋美術史を流れで学ぶ(第8回) ~初期ルネサンス編~
https://irohani.art/study/4896/

西洋美術史を流れで学ぶ(第9回) ~盛期ルネサンス編①~
https://irohani.art/study/4966/

西洋美術史を流れで学ぶ(第10回) ~盛期ルネサンス編②~
https://irohani.art/study/5118/

西洋美術史を流れで学ぶ(第11回) ~北方ルネサンス編~
https://irohani.art/study/5282/

西洋美術史を流れで学ぶ(第12回) ~ルネサンスの終わり編~
https://irohani.art/study/5386/

マニエリスム(1500年代半ば)

パルミジャニーノ『長い首の聖母』 パルミジャニーノ『長い首の聖母』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなゴリゴリの写実主義のなか、ミケランジェロは独自路線で「現実より美しいものを」と考えていました。彼の作品は弟子から「ハンパねぇ。これは美術のマニエラ(教科書)だわ」といわれており、そこから「マニエリスム」という様式ができ上がります。

マニエリスムとは現実そのものを上回る美しさをもった表現技法です。ここで美術は「現実を切り取るもの」を超えて「現実を超えた美を追求するもの」となっていくわけですね。上ンのパルミジャニーノの絵も首の長さがハンパないです。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第13回)~マニエリスム編~
https://irohani.art/study/5460/

バロック美術(1600年ごろ)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの召命』ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの召命』, Public domain, via Wikimedia Commons

さて、そんな「ちょっと過度な表現」が本格化してくるのが、バロック美術の時代です。この時代はプロテスタントVSカトリックという熱いキリスト教戦争が起きていました。先述した通り、もともと「モーゼの十戒」では偶像崇拝禁止なんです。

プロテスタントはちゃんと真面目に「その通りや」という姿勢だったんですが、カトリックは信者を増やすためにもキリスト教の絵画作品をガンガン作っていた。そんなカトリックはダイナミックな表現を好んでいました。ちょっとオーバーにキリストの素晴らしさをアピールすることで広告効果を狙っていたんですね。そんななかバロック美術はダイナミックな表現が目立ってきます。

ただし作風が多様化するのもこの時代の特徴。記事ではオランダ・バロックも含めて各画家の特徴をまとめていますので、ぜひご覧ください。個人的にはベラスケスが描くマルガリータ王女がマジで可愛くて、YouTubeの「動物系癒やし動画」の感覚で作品を観ています。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第14回)~バロック美術編~
https://irohani.art/study/5538/

西洋美術史を流れで学ぶ(第15回)~オランダ・バロック美術編~
https://irohani.art/study/5696/

アカデミーとロココ美術(1600年代半ば)

ジャン・オノレ・フラゴナール『ぶらんこ』 ジャン・オノレ・フラゴナール『ぶらんこ』, Public domain, via Wikimedia Commons

フランスで長年国王を務めていたルイ14世は1648年に「王立絵画彫刻アカデミー」という学校を作ります。簡単にいうと芸大です。ここから絵画にルールが設けられました。「歴史画が頂点で、静物画が底辺」「派手な色彩より丁寧なデッサンが大事」といった決まり事が国主導で進められていくわけですね。学校ができたことで文化的なレベルは高まるんですが、画家としては自由な表現から遠ざかっていくわけです。こう、なんというか「浮ついていないきちんとした絵を描こう」という流れになっていきます。

ただ1715年、太陽王ルイ14世は崩御します。それによって生まれたのがロココ美術です。あの「ベルサイユのばら」の時代です。それまでの圧政から解放された喜びが反映された、ゴテゴテできらびやかな装飾が特徴。ラインストーン貼りまくりのスマホケースみたいな、最高に楽し気な感じです。アカデミーのルールとは真逆の派手な作品が作られました。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第16回)~ロココ美術編~
https://irohani.art/study/6473/

西洋美術史を流れで学ぶ(第17回)~アカデミーとサロン編~
https://irohani.art/study/6691/

新古典主義とロマン主義(1700~1800年代ごろ)

ジャック=ルイ=ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』ジャック=ルイ=ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんな浮かれまくりのパリピ全開なロココ美術にアカデミーはもうキレまくりました。「おい、落ち着かんかい。もっかい教科書読まんかい」となります。それで次に隆盛するのが新古典主義です。新古典主義は皇帝・ナポレオンの支持もあり、浸透していきました。プロパガンダにも使われたので、重厚なタッチで描かれた戦争画も多いのが特徴です。

それに反発したのが「ロマン主義」。国からの依頼を受けて描かれる戦争画や神話画に対して「自分の表現したいことを描くわ」と考えて作られる思考です。「自分の感性を信じるぜ」という、当時としては結構なストロングスタイルでした。

テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏』 テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏』, Public domain, via Wikimedia Commons

新古典主義VSロマン主義は「ダヴィッドvsジェリコー」と「アングルvsドラクロワ」というライバル関係を生みます。この戦いがもうアツアツなので、ぜひ記事をご覧ください。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第18回)~新古典主義編~
https://irohani.art/study/6753/

西洋美術史を流れで学ぶ(第19回)~ロマン主義編~
https://irohani.art/study/6843/

バルビゾン派(1800年代後半ごろ)

ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』 ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』, Public domain, via Wikimedia Commons

フランスのバルビゾン地方で登場するのがバルビゾン派です。コローやミレーといった画家たちが「あるがままの自然の姿」を描きました。彼らは森にイーゼルを置き、何も脚色されていない自然や動物、そこで生活する農民たちの素朴な姿を描きました。多い時で100人くらいの画家が森に集まって絵を描いていたそうで、もうサバゲーですよねこれ。

まだアカデミーのヒエラルキーが残っている時代で、風景画はそこまで高く評価されていなかったのですが「あるがままの姿を描く」という考えは、主にロマン主義の画家たちによって評価をされるようになります。

主にコロー、ミレー、ルソー、トロワイヨン、ドービニー、ペーニャ、デュプレの七人は「バルビゾンの七星」と呼ばれ、特に有名です。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第20回)~バルビゾン派編~
https://irohani.art/study/6885/

印象派(1800年代後半ごろ)

クロード・モネ『印象・日の出』クロード・モネ『印象・日の出』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなバルビゾン派の考えを踏襲し、進化させたのが風景画や風俗画を描いた印象派です。印象派も「あるがままの姿を描く」という写実的な考えがベースにあります。ただ、この画風はアカデミーからしたら「絵? 肖像画でしょ? まだこれ下書きじゃん」とか言われるわけです。アカデミー主催の展覧会「サロン」では酷評を受けました。

それで印象派たちは「もう自分たちで展覧会やったれ」と「印象派展」を開催。だんだんと知名度を高めていくわけです。記事ではそんな印象派の画家たちのパンク魂を紹介しています。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第21回)~印象派編~
https://irohani.art/study/7039/

新印象派・後期印象派(1800年代後半~1900年代前半ごろ)

ポール・セザンヌ『リンゴと静物』 ポール・セザンヌ『リンゴと静物』, Public domain, via Wikimedia Commons

印象派展の画壇への貢献度合いはすごかった。賛否両論で言うと否定のほうが多かったんですが、だんだんと世間に作品の素晴らしさが広まっていきます。それでアカデミーの考えも、ちょっとずつ柔軟になっていくわけですね。また「自分たちで展覧会やろうぜ」と考える人も増えていきました。

そんな流れを受けて、印象派からの影響を受けつつ、独自の画風を加えた画家たちが登場してきます。スーラ、シニャック、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど、画家たちの表現はどんどん多様化していきます。ちょっとずつ「アカデミー至上主義」が揺らぎ始める、なんだかワクワクする時代です。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第22回)~新印象派・後期印象派編~
https://irohani.art/study/7160/

象徴主義(1900年代前半)

エドヴァルド・ムンク『叫び』エドヴァルド・ムンク『叫び』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんな多様化に向かう1900年代前半、第二次産業革命によってヨーロッパの人の生活は大きく変わります。それまで「手で一個ずつ作っていたもの」が、機械によって大量に生産できるようになった。世の中には「物」が溢れるわけですよ。これによって画家はデザイナーやイラストレーターの仕事もできるようになりました。

ただ粗悪品が大量にできた時代でもあったんですね。今ではあまり聞かれませんが、10年前は「100均だからすぐ壊れるよそれ」みたいな会話していましたよね。そんな粗悪品や、人々の「モノ至上主義」に反発して「アーツ・アンド・クラフト運動」や「象徴主義」が生まれました。後者は「目に見えないもの」、つまり愛とか死とか不安を描こうとしました。このあたりの画家は自分の内面をアウトプットすることに心血を注いでいたんですね。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第23回)~象徴主義編~
https://irohani.art/study/7242/

キュビスム(1890年代~1900年代前半ごろ)

パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(※壁画レプリカ)パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(※壁画レプリカ), Allendesalazar Street, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

キュビスムは後期印象派の「セザンヌ」が編み出したモチーフの描き方をヒントにピカソやブラックといった画家が推進した手法です。セザンヌはもともと印象派にいたのですが、ぶっちゃけ「印象派ってその『瞬間』の光の当たり方ばっかり気にしている。もっと永続性のあるものを描きたい」と考えていました。そこでモチーフを抽象化したり、多角的な視点でみたりしたんですね。

例えば「猫の絵」を描くときに「毛を逆立てて口を開けた猫」を描いたら「ガチギレの猫」って思いますよね。でも△と〇だけで抽象化した猫の絵を描いたら、それは「一般的な猫」になります。前者が印象派の絵で、後者がセザンヌがやりたかったことなんです。

この手法は「革新的な表現をやりたい」っていう若い画家にウケるわけです。そのなかの1人がピカソだった。彼はセザンヌの手法を進化させ、1つのモチーフを1つの視点から描くんじゃなく、360度から見た構図を1つの画面に収めた。彼のキュビスム的な人物画は「左から見た目」「斜めから見た鼻」「正面からみた口」などが同居しています。だからぱっと見ヤバい。あべこべなんです。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第24回)~キュビスム編~
https://irohani.art/study/7444/

エコール・ド・パリ(1900年代前半)

藤田嗣治藤田嗣治, Deutsch:Jean Agélou (1878-1921), französischer FotografEnglish:Jean Agélou (1878–1921), French photographer, Public domain, via Wikimedia Commons

またこの「多様化の時期」に芸術の中心地・パリでは「エコール・ド・パリ」と呼ばれるムーヴメントが起こりました。特にパリ18区のモンマルトルには、画家を志す若者がたくさん訪れた。

なかでも「洗濯船」と呼ばれる共同アパートにはピカソがアトリエを構えたこともあって、画家や詩人といった芸術家が集まってきます。シャガール、モディリアーニ、フジタ、キスリングといった、大物たちが同じ場所に住み、それぞれの画風で傑作を残していた時期です。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第25回)~20世紀のパリ編~
https://irohani.art/study/7503/

ダダイズム(1900年代前半)

マルセル・デュシャン『泉』 マルセル・デュシャン『泉』, Public domain, via Wikimedia Commons

そんななか1900年代前半には「第一次世界大戦」が勃発します。未曽有の大戦争は産業革命を経たこともあって化学兵器や武器が進化し、これまでにないほどの死者数を出しました。そんな状況において、一部の画家たちは「理性があるから論理性が生まれ、論理性があるからこそ戦争が生まれる」と考えました。

そこで「理性を破壊する」という概念のもと「ダダイズム」という様式が世界各国で同時多発的に誕生します。それまでの芸術作品は基本的にすべて論理があるため、この活動は「反芸術」とも呼ばれます。

記事ではなかでもマルセル・デュシャンの「泉」という作品について触れています。単純に男性用小便器です。でも稀代の大傑作として知られている作品。その理由とは何なのでしょうか。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第26回)~ダダイズム編~
https://irohani.art/study/7656/

シュルレアリスム(1900年代中期)

Unknown authorUnknown author , Public domain, via Wikimedia Commons

そんなダダイズムのメンバーだったアンドレ・ブルトンが始めたのがシュルレアリスムです。現代でも「シュール」ってよくいうと思いますが、アレの語源になっています。「理性を破壊する」から派生して「無意識を作品に落とし込む」という思想で創作をしていました。だからもうどの作品もわけわかんないことになっています。

記事では「フロイトの精神分析」や「ヘーゲルの弁証法」といったシュルレアリスムの概念のもとになっている考えとともに主な手法をご紹介。ちなみにシュルレアリスムの大スターといえばサルバドール・ダリですが、彼はキャンバスの前で食器を持ったまま眠り、うとうとしたときに食器を落とした音で目覚め、まどろみのなかで見た光景を描いていました。みんな「無意識」をどうキャンバスに落とし込むか研究していたんですね。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第27回)~シュルレアリスム編~
https://irohani.art/study/7784/

バウハウスとヒトラーによる弾圧(1900年代中期)

デッサウ移転後に建設されたバウハウス校舎デッサウ移転後に建設されたバウハウス校舎,Mewes, Public domain, via Wikimedia Commons

そんなダダイズムやシュルレアリスムがある一方で、テクノロジーが発達しつつ、第一次世界大戦から第二次世界大戦へと戦争は激化していました。そんななかモダンデザインの学校「バウハウス」がドイツで発足します。

それとともにヒトラーが優生思想の考えのもと、前衛芸術家たちの作品を「退廃芸術」と非難するようになったのもこの時期です。記事ではバウハウスの偉大なるモダンデザインの発明と、ヒトラーと画家との関わりについて紹介しています。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第28回)~バウハウスとヒトラーによる弾圧編~
https://irohani.art/study/7906/

現代アート(1900年代後半から現在まで)

キャンベルのスープ缶キャンベルのスープ缶,Thomas Altfather Good, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

第二次世界大戦が終わった後「芸術」は、本格的に何の縛りもなくなります。ありとあらゆる芸術運動が次々に始まり、もう完全にカオス状態になりました。特に第二次世界大戦以降は芸術の中心地がパリからニュ―ヨークに移り変わっていった印象です。

ポップアートのアンディ・ウォーホル、グラフィティ、新表現主義のジャン=ミシェル・バスキア、アクションペインティングのジャクソン・ポロックといった大スターが今日まで次々に生まれています。

▼関連記事
西洋美術史を流れで学ぶ(第29回)~現代アート編~
https://irohani.art/study/8137/

2022年のいまは「SNS」が大きなテーマに

2022年のいまは「SNS」が大きなテーマに

さて、このような歴史があったうえで2022年現在、西洋美術はどうなっているのか。というと「より混沌としている」のかなと思います。

ご存知の通り、アーティストが作品を発表しているメインのツールはSNSです。Twitter、Facebook、Instagram、YouTube、PinterestといったSNSで日々さまざまな作品が発表され、多くの人の目に留まる。そんななかで作品がWeb上で売買されるようになった。

以前のように「ギャラリーなどで展示会をして生計を立てる」という形でなくてもよくなったわけですね。作品を発表する場が増えたことで、誰でもアーティストとして認知されるようになった。これは西洋に限った話じゃないですが、今や「やってみよう」と思った方全員が芸術家になれる時代です。

このシチュエーションを見て、よく「プロフェッショナルとアマチュアの線引きが分からなくなった」という意見が出ることがあります。が、私個人的な考えとしては「もはやそんなラインなどない」と思っていますし「自由な時代になった」という意味で、とても素晴らしいことだと感じています。「やりたいことを発表して感性に響いた人が支持する」という創作のあるべき形、に近づいているのでしょう。

ただし最近たまに聞くのは「SNSのフォロワー数」という問題です。例えばギャラリーによっては「フォロワー数が足りないと作品を発表できない」という状況もある。もちろんフォロワー数が少ないとクリエイターは生計が立てられない。

つまりアーティストにとって「ウケる作品を考えて何かしらバズる」という新たな課題ができてしまったわけですね。その結果、たくさんのイラストレーターや画家、デザイナーたちが「見ている人にウケる作品を作んなきゃ(汗)」と悩んでいる状況があります。私の周りのクリエイターさんも「毎日何かでバズんなきゃ不安になるのよ」と言っている人は多い。「『いいね』がちょっとでも減ると不安になっちゃう……」みたいな。

不思議なもので、SNSによって作品の発表は自由になったものの、アーティストたちは「健康になりきれない」ものなんですね。「無理しないで~。もっと自分に正直に作品をつくっていいのよ~」って思いますが、こうしたSNSとの影響のなかで、芸術はまた「新しい役割」を見つけていくのかもしれません。

西洋美術史はもっとフランクに楽しめるものだ

さて、あらためて古代から現在までの流れを一気にまとめてみました。西洋美術史のストーリーって、こう振り返ってみると非常におもしろいです。その時代ごとにいろんな「ブーム」が起こり、それにカウンターが生まれたり、影響を受けたりしながら芸術家が作品を発表し続けた。その結果「文化」ができあがりました。文化が歴史を作り、アートは発展していき、その過程でいろんな傑作が生まれ、今でも私たちを楽しませてくれています。

「美術」とか「歴史」と書くと「なんか難しそう……」と構えちゃいますよね。でも美術史の「ストーリー」って、個人的には「週刊少年ジャンプのマンガを読む」くらいのテンションと一緒だと思うんです。だから今後もよりフランクに、美術に関することをお伝えできたらと思います。この連載によって、皆さまの美術館での体験や、アートの見方が少しでも豊かになったら超最高です。

ジュウ・ショ

ジュウ・ショ

  • twitter
  • note
  • homepage

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。

アート・カルチャーライター。サブカル系・アート系Webメディアの運営、美術館の専属ライターなどを経験。堅苦しく書かれがちなアートを「深くたのしく」伝えていきます。週刊女性PRIMEでも執筆中です。noteではマンガ、アニメ、文学、音楽なども紹介しています。